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だらしない人ほど一人暮らしがおすすめの理由

 さて。わたくしごとですが、一人暮らしを始めて4ヶ月。この年齢(あえて言わない)での一人暮らしは、世間一般でいうとだいぶ遅めだ。ここまで実家に居座ったのは、立地がよく通勤に便利だったことや、経済的に不安定だったことも理由のひとつだが、なにより生活にだらしないわたしが自立できるわけがないという壮大な思い込みがあったから。そこで、だらしない人でも一人暮らしできるよ!むしろ、楽だよ!という主張を以下にまとめたいと思う。

心当たりのあるやつあつまれ!

洗濯もの……?全て母がやってくれる
お腹すいたなーと思う頃にごはんができてる
できてなくても台所でウロウロしてると食べ物を差し出される
気づいたら本やゲームで散乱した部屋が片付いてる
ずっとスマホを見てゴロゴロしてる

これが実家時代のわたしだ。

そのうえ、
「お風呂入りなよー」
「食器流しに下げといてねー」
「掃除するから自分の部屋で寝て」
などの最低限のことまで面倒でしかたなかった。

なぜこんなにもだらしないのか。
このままでは一生実家暮らし、もしくは家事を全てやってくれる旦那さんを見つけて、自分はバリバリ働かなければいけないのではないか。
いや、そもそも人2人を養うほどバリバリも働けないではないか。

孔子の論語によると30歳は而立(じりつ)の歳なのだそうだ。私の自立はどこへいったのか。しかし転機がやってくる。母がいなくなってしまった。「落とし穴に落ちる」という形容がぴったりの喪失感。急に視界が真っ暗になり、落ちていく感じがした。

勢いで始めた一人暮らしで気づいたこと

 紆余曲折あり、去年の10月から正式に1人暮らしを始める。初めての賃貸契約、光熱費の概念、自炊、洗濯と掃除、地震が来た時に、じしんだ!と言うときの虚しさなど色々なことを経験した。

生活してみてとても意外だったのは、これまで一度も生活自体をストレスだと感じていないことだ。物音がした時の不安とか、洗濯もの溜まってんなぁとか、浮かんでは消えるよしなしごとはあるものの、実家時代より「面倒だ」という感情が明らかに薄くなった。

その最大の理由は、自分のペースを守れるというところにある。

一人暮らしのいいところは、全ての動作を自分のリズムで行えることだ。たとえば、まとめて皿洗いをしちゃいたい気分の時もあれば、3日間放置したいときもあるし、手を洗うついでに、よし1枚だけなら洗えるぞ……!という時もある。

その全ては自分しだいで、だれに怒られることもがっかりされることもない。思えば実家では「お皿洗わなきゃ、でも今はしたくないな」と思ううちに誰かが洗ってくれていて「また洗わせてしまった」という負の感情が残る、といったことの繰り返しだった。こんなに育ちきっている私の面倒を見てくれていた両親には感謝しかないし、人に洗わせておいてこんな言い草は情けないが、事実としてこの負の感情の積み重ねがストレス→自己肯定感の欠如に繋がってしまっていた。

とにもかくにも、だらしない人こそ今すぐ家を出た方がいい。どうにかなる。むしろ快適。それは親のためでもあるし自尊心を守るためでもある。

話は少し逸れるが、わたしは、子どもが巣立ったあとの夫婦ふたりの生活をつくってあげられなかったことを後悔している。まだ時間はあると高をくくっていた。自分が自立して第二の人生を歩む=親も新しいステージの人生を歩むということ。もっと早く出ればよかった。

とは言っても、やはり実行した時が適したタイミングだったと思うほかないので、これから粛々とひとりの生活を楽しんでゆこうと思う。 ちなみに洗濯に関しての考えは変わっていないのでこちらもよろしければどうぞ!


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