母と過ごした1ヶ月。
はじめに
死に関する記述があります。敏感な方は閲覧をお控えください。
母がいなくなる実感
7月6日。母が胃がんでこの世を去った。66歳という若さで、想像もしていない速さで、病気は進行していた。母がこんなに早く亡くなるなんて思ってもいなかったので、親孝行なんてものは先延ばしにしていたし、自分の夢が叶ってやっと実現できるものだと思っていた。それがあっさりと居なくなってしまった。
今も母に一生会えないという実感はない。30年間一緒に暮らしていたので、亡くなったことがピンと来ない。つい数ヶ月前まで一緒にテレビを見てああだこうだ言っていたし、めいっこたちが家に遊びに来たら、お菓子を用意してご飯を作ってあげていた。ずっと、たまたま今は会えないだけ、みたいな感覚だ。
時々実感が湧いて悲しくなるときがあるけど、普段は母が生きている時となんら変わりなく過ごしている。それはきっと、本当に大事な人だからだと思う。「亡くなっても心の中で生きている」という言葉をドラマのセリフのように聞き流して来たけど、今ではその言葉の意味がわかる。生きていたときの思い出が多いと、それほどに辛くはないのかもしれない。
今年の元旦に愛犬のくるみが天国に行ってしまったときもそうだった。最初はすごく寂しくて現実を受け入れられなかったけど、しばらくしたら大好きな気持ちが辛さから守ってくれた。悔いを数えたらいくつもあるけど、でも存在してくれていたことが嬉しいと思ったし、周りの人に対してそういうふうに感じられるのはとても幸せだと思った。
母と同じ生活をした1ヶ月。
母が亡くなって1ヶ月。わたしはちょうど会社を退職して仕事をしていなかったので、家の整理や家事をしていた。母の自転車に乗り、母がよく行っていた近所のイオンに行き、お買い物をして家で料理をして、洗い物をして…。晴れた空を見ながら買い物袋をカゴに乗せて自転車を漕ぐ帰り道で、めいっこたちが居間ではしゃぐ声を聞きながら洗い物をするキッチンで、母になれたような感覚になったときがあった。
母は幸せだったのだろうか?家のことを任せきりでわたしが母の自由な時間を奪っていたのではないか?と亡くなったあと考えていた。でも、都合よく捉えているだけかもしれないけれど、きっと幸せだったのだろうと思った。本当はもっと長く生きてほしかったし、結婚式にも出席してほしかったし、孫の顔も見せたかったし、ハワイ旅行にも連れて行ってあげたかった。
できなかったことがたくさん。順当に生きていたら、もしかしたらできていたかもしれないことがたくさん。それは不甲斐ないけど、でもきっとどんなタイミングでもやり残したことはあるし、ここまで生きてくれたこと、育ててくれたこと、愛情を注いでくれたことを忘れずに生きていく。
余談だけど、わたしはずっと、自分のコンプレックスを母に重ねていた。勉強が苦手でお人好しで傷つきやすい母とそっくりな自分。大人になるにつれて、母に対しての愛情はあるけど尊敬はしていない自分を薄情だと悩んだ時もあった。
でも、母は誰にでも優しかった。そして誰にでも好かれていた。きっと損もたくさんしてきたと思うけれど、それでもみんなに好かれる良い母だった。わかっていたはずなのに、ずっと認められなかった。料理上手で、孫の面倒を見るのが得意で、イケメンとハワイが好きな可愛らしい母。病気の知らせを聞いて母に会いに来てくれた人たちを見て、こんなにみんなに愛されていた、と改めて思った。それは、損得を考えず人に優しさを分け与えてきたからだと思う。
親友たちに母が亡くなったことを話したら、「お母さんの優しいところを受け継いでいる」と言ってもらえた。そんな自覚はまったくないけれど、そう言われて誇らしい気持ちになった。
2020.08.06
あとがき
身内が亡くなったことを、わざわざネットに公開する必要があるのか?と思ったけれど、気持ちをシェアすることが自分と誰かの助けになると信じて文章を書き始めたので公開しました。誰か1人でもいいので、心に届いたら幸いです。
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