広島のおっさん。が読書を始めた話。

私が読書を始めたのは30歳を超えてからです。30歳の時に自分が変わった、きっかけがあるのですが、それはまた整理して語ろうと思います。

それまで私は本を読むということは学校の教科書と、夏休みの読書感想文のために読むくらいしかありませんでした。はっきり言って本嫌いでした。今現在、本好きといっても週に1冊読むか読まない程度で、買って満足したり、少し読んでつまんないからやめるということもしょっちゅうありますが・・・

話戻しますが、30歳を超えたころ死を意識したことがあるのです。人って死ぬのだとリアルに意識しまた。その時、直接的に読書しよか~!って思ったわけではないのですが、ふんわりと「世の中にある名作って大多数の人が面白いと思うから面白いのかな??」とふと思い、そんなもの知らずに死ねるか!とか思ってきたのです。

そして、図書館でまず太宰治走れメロスを借りたのです。これは皆さんは知ってるでしょ?それも読んだことがなかったとは恥ずかしいのですが、とにかく読書の第一歩は走れメロスなのです。読むと意外とあれっ!面白いかも!と、即効で読破しました。その後は太宰治をある程度読み、酒と女と自殺の話に没頭しましたよ。しかし、私に読書の楽しさを教えてくれたのは太宰治ではなく、

!!!!夏目漱石先生!!!!

実は最初に図書館で走れメロスと坊ちゃんと吾輩は猫であるを借りたのです。走れメロスのあと坊ちゃんを読みました、そして吾輩は猫であるを読み始め、気づくのです、あれっ・これは読めないかも・・・そこで私はやーめた!をしたのです。

大人になると読みたい本とそうでない本を選べる。

ことに気づきました。今までは半強制的に、受動的に本と付き合っていましたが、これからはおれの方から選ぶぜ!という感じで、また一つ世界が広がりました。それからは、古いものから新しいもからビジネス書から、コラム、エッセイ、興味の赴くままに選んでいます。小学校の時は、社会科の地図帳とか資料集は好きだったんだよな、と思い出し、いつの間にか学校教育の中で嫌いになったんだよなあ。まぁ昔を悔やんでも仕方ないので、30歳で気づいて良かったよおれ。最近ではもっぱら重松清先生の作品を読んでいます。

 ネットで情報が蔓延している時代だから私ごときが書いた文章を誰が読んでくれるかわからないですが、書籍を残す(紙、ネット媒体含めて)すばらしさにも気付けて良かったと思っています。そういえば昔、ばあちゃんからお経の本がなぜ赤いか聞かされたことがあります。それはお寺が焼討ちにあった時、お坊様が、これだけは燃やされてはいけない!と自分の腹を裂き、体の中で守ってくれたからその名残で赤いのだと言っていたのを思い出しました。

#日記 #自己紹介 #読書 #ブログ #太宰治



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