Kurumin

フリーアナウンサー歴30年 ラジオパーソナリティーやイベント・式典司会などを数多く担当…

Kurumin

フリーアナウンサー歴30年 ラジオパーソナリティーやイベント・式典司会などを数多く担当してきた。 2019年から「みなくるボイス」としてトークレッスン開始。女性起業家や講師を「格上げ」するレッスンが好評! 2023年1月末「くも膜下出血」を発症し奇跡の生還。今に至る。

最近の記事

人も車もエアコンも、みんな同じ。

久しぶりの更新となりました。 タイトルにあるように、人も車もエアコンもみんな同じ。 今私が痛切に感じていることです。 コレ、どう言うことかというと、 要は、 「まめにメンテナンスしないと壊れちゃうよ」 ということなんです。 実は、 このところの暑さで、我が家のリビングのエアコンの効きが悪くなり、 冷風が出なくなったり、逆に、調子が良い時は、 冷蔵庫のようにリビングが冷え冷えになったりしていました。 そういえば、我が家も10年目。 夫曰く「エアコンの保証期間、確か10

    • 「くも膜下出血」からの奇跡的復活。

      私の50代最後のチャレンジ!レオタード姿で20秒のプレゼン🎤✨ 手術を受けて4か月が過ぎました。 朝起床時の胸の違和感は、ずいぶんと良くなったものの 動き過ぎた翌日などは、やっぱりまだ残っており、 一足飛びに元の私には戻らないのだと言い聞かせながら 6月を迎えました。 6月11日。この日は私にとっては「初のチャレンジ」の日でした。 昨年、運命的なご縁で出会ったプロポーションカウンセラーの伊原さん。 彼女とのお付き合いはまだ1年と少しですが、 昔から知り合っていたかのよう

      • それでも私は復活した!

        まさか58歳にしてこのような大病をするなんて、 いったい誰が想定したでしょう? まず、私自身が本当に「寝耳に水」状態。 自分が置かれている状況がどれほどまでに「深刻」な状態なのか まったく理解できず、 倒れた時からずーっと意識があり、救急車で運ばれる時も、 病院についてからも、ほぼ意識があった状態で、 まるで小さな怪我でもして病院に運ばれたかのようでした。 医師から「くも膜下出血ですよ。明日手術しますね」と言われた時も、 「えーーー!! 私仕事休めません」なんてことを口走

        • 7時間の大手術後のワタシは…。

          「くも膜下出血」という命に係わる病気になってしまった私。 幸運なことに、7時間の手術を終えて麻酔から覚めても、記憶はちゃんと つながったままでした。 (「私は生きている」と確認できた時は嬉しかった😢) そして、声が出る。頭とことばと声がちゃんとつながっている。 手足も普通に動かせる。 何も障害はないようだ。。。 ~これだけで、もう本当に「救われた」という思いでいっぱいでした。 こころから、有難うございます。 脳動脈瘤が破裂した時、全身の脱力を感じ、 その後どんどん強くな

        人も車もエアコンも、みんな同じ。

          「くも膜下出血」からの闘病記

          「明日、開頭手術しますね。」年齢は、30代初めくらい?? とても若くてイケメンな医師が私に言いました。 「え?カテーテルじゃないんだ。」 開頭手術がどれほど大掛かりで身体への負担も大きくなることは 私なりに知ってはいましたが、その時は深く考えられる余裕もなく (というか、頭の中で出血が起きている状態だったので、そこまで考えられなかったのではないかと思います。) ただただ、「あぁ、大きな手術になるんだ。」という 諦めの気持ちでした。 カテーテルでの検査で、「脳動脈瘤が破裂を

          「くも膜下出血」からの闘病記

          「くも膜下出血」発症時のこと

          2023年1月30日の夜、21時30分過ぎごろだったと思います。 私は自宅の2階の部屋で、オンラインの講座を受講しており それが終了して、1階のトイレに行った後のことです。 用を足して、ドアを開けようとしたとき。 頭の中で、音はしないけど、 「プチッ」と 何かがはじけたような感覚がありました。 と同時に、全身の力がスーッと抜け、 足元、腰、背中と順番に崩れ落ちてしまいました。 この全身脱力感は、貧血を何倍も強くしたような感じでした。 そのあと、間髪入れずに、首の付け

          「くも膜下出血」発症時のこと

          「くも膜下出血」術後3か月検診と、まさかの「心臓病」の疑い!?

          2023年1月30日の夜に、私は「くも膜下出血」で救急搬送されました。 その後、7時間にもおよぶ開頭手術を受け、奇跡的な回復で3週間で退院。 そして、5月15日。 術後3か月の検診に行ってまいりました。 CTスキャンの造影剤撮影の結果、手術部の経過は良好。 担当の主治医からも 「良好ですね!~いい状態です。」 との太鼓判を押していただきました。 まさかの「くも膜下出血」。 でも、こうして一命をとりとめ、後遺症もなく順調に回復していることには、本当に私は護られているので

          「くも膜下出血」術後3か月検診と、まさかの「心臓病」の疑い!?

          お陰様で「ひとつ」歳を重ねました。

          4月13日私はお誕生日を迎えました。 その日の夜にfacebookにアップした投稿は、2日間で200もの温かいコメントをいただきました。 中には、私にしかわからないプライベートなコメントもあり、現在「非公開」にしております。その投稿記事をこちらにご紹介します。 「トリプルお祝いの4月」。 結婚記念日、夫のお誕生日、そして私のお誕生日。 先日から、たくさんの皆様。 心温まるメッセージをありがとうございました 4月13日。今日私は 無事にひとつ歳を重ねることが出来ました

          お陰様で「ひとつ」歳を重ねました。

          私のアナウンサー人生①(駆け出しの頃)

          フリーアナウンサー歴30年余り。 今は、ラジオパーソナリティ、司会、そして「話し方講師」の肩書をもつ 私ですが、 最初のきっかけは、ただただ「アナウンサーになる!」という気持ちから 何も考えずに突っ走っただけでした。 そこから始まった「アナウンサーとしての生き方の経歴」をお話ししますね。 ①きっかけ 短大を卒業した後、実は出版社でOL経験がある私です。 新卒で採用された会社では、まず営業からスタート。 のちに営業事務と職種は変わったのですが、 電話や対面で「人と話す」仕事

          私のアナウンサー人生①(駆け出しの頃)

          「みなくるな日々」は仕事に家事にとフル回転する「50代女性」に贈るメッセージです。

          はじめまして。「みなくる」こと、南くるみと申します。 私は、和歌山市在住のフリーアナウンサー。 これまで30年以上にわたって、和歌山を中心に、時々関西、時々東京、といったように「必要とされればどこにでも行く‼」というスタンスで、 アナウンスのお仕事をしてきました。 今振り返れば、この30年余り「仕事仕事」の毎日でした。 プライベートでは夫と二人暮らしなのですが、 お互い干渉せずにそれぞれの仕事にフル回転してきたように思います。 そんな私も50代に入り、気が付けばもう後半。

          「みなくるな日々」は仕事に家事にとフル回転する「50代女性」に贈るメッセージです。