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「くも膜下出血」からの闘病記

「明日、開頭手術しますね。」

年齢は、30代初めくらい??
とても若くてイケメンな医師が私に言いました。

「え?カテーテルじゃないんだ。」
開頭手術がどれほど大掛かりで身体への負担も大きくなることは
私なりに知ってはいましたが、その時は深く考えられる余裕もなく
(というか、頭の中で出血が起きている状態だったので、そこまで考えられなかったのではないかと思います。)
ただただ、「あぁ、大きな手術になるんだ。」という
諦めの気持ちでした。

カテーテルでの検査で、「脳動脈瘤が破裂をしていた」ということを
突き止め、翌日の手術が「開頭手術」になったことで、
付き添ってくれた夫もようやく自宅に帰れる運びとなったようです。

その時初めて私は「今何時ですか?」と看護師に訊ねました。
「3時ですね」

3時!!

たぶん病院に運ばれたのが22時過ぎ。5時間も経ったのですね。。。
その間、急激に容体が悪化して、身体の中が空っぽになるほどおう吐し、
ベッドからストレッチャーに移動して、別室でカテーテル検査を受けて、
また戻ってきて、
何度も、身体を移動させられたことが記憶にあります。
その間、1時間以上離れた所に住む妹が来てくれていたことも、
おぼろげに記憶にあります。
そうして、長い長い1日が終わりました。


いつ眠って、いつ起きたかも定かでない。

翌朝。
私の記憶では、もう間もなく手術室に入るというまで、
スマホ片手に、私の急病手術~入院になるという事を
仕事関係のいろいろな方にLINEでお知らせをしていました。
(スマホを放さない私を、病院側もしぶしぶ容認してくれていたようです。)


画像は、手術室に入る間際。夫が撮ってくれました。
「こんな調子でしっかり話せるしスマホもいじれるから大丈夫!」と
きょうだいや義母にも連絡をしてくれていたようです。

手術室へ~7時間ののち私は。


長い廊下をストレッチャーで運ばれ、手術室へー。
大きな扉をいくつも超えて、手術室に到着し、冷たいベッドに寝かされ、
全身麻酔のマスクを付けられるまでしっかりと記憶はあります。


そして、


目覚めたのは、翌2月1日(水)。
最初に目覚めたのは何時だったのか?
時間は覚えていません。
ただ、この日の記憶は、眠っては目が覚め、また眠ってを繰り返すのみ。
何度目覚めても、2月1日水曜日。
1日40時間ぐらいあるの?と思うほどの長ーい1日。

ようやく頭が働き始めて、最初に私が確かめたのは、
声を出せること、頭とことばと声がつながること。

どれも大丈夫みたい。。。

良かった。。。。

そして手足。ちゃんと動かせる。

良かった。。。。

頭は包帯グルグル巻きの状態。でも、自分の姿はどうでもいい。
とにかく、仕事が出来る「声」「ことば」に支障がないことに
心から感謝しました。本当にこれらの機能を残していただき有難うございます。

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