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「くも膜下出血」発症時のこと

2023年1月30日の夜、21時30分過ぎごろだったと思います。
私は自宅の2階の部屋で、オンラインの講座を受講しており
それが終了して、1階のトイレに行った後のことです。

用を足して、ドアを開けようとしたとき。

頭の中で、音はしないけど、

「プチッ」と

何かがはじけたような感覚がありました。
と同時に、全身の力がスーッと抜け、
足元、腰、背中と順番に崩れ落ちてしまいました。
この全身脱力感は、貧血を何倍も強くしたような感じでした。

そのあと、間髪入れずに、首の付け根から後頭部にかけて
ズンズンズン・・・と、
どんどん強くなる頭痛に襲われたのです。

しばらく、そこにうずくまった状態で
「これは普通ではない」と感じたと同時に、
心のどこかで、「あー、やっちゃった!」という、
後悔のような思いが湧いていました。

そうして、
しばらくしたら(たぶん1~2分)強い頭痛がスーッと退いたのです。
その瞬間に、腰抜け状態のまま階段を上がり、夫の部屋のドアを叩き、

「助けて!」

と叫びました。

この日、ちょうど夫は帰宅しており部屋で作業をしていました。
私の声に驚いた夫は、すぐに救急車を呼んでくれました。

私は自室のベッドに倒れこみ、頭を抱えて救急車を待つ始末。
救急車はあっという間に到着し、2階に救急隊員が上がってきてくれました。

幸い、私の意識はずっとしっかりしており、
救急隊員にも、倒れた時の様子をきちんと説明出来ましたし、
その頃には気分も少し良くなっていて、
救急車に乗り込むまでは順調。

でも、救急車って、そこから病院探しが始まるのですね。

私がその時、頭痛はほぼ退いていたように思います。
それよりも足腰が抜けて全身ガクガクの状態だったので、
救急隊員は、まず整形外科のある病院を探してくれたのですが、
「受け入れ出来ない」と、3~4軒ことごとく断られてしまい、
最終手段となる日赤和歌山医療センターへの搬送が決まりました。

しかし、今から思うと「日赤」が大正解だったのです。
救急車両を走らせて、我が家からたった5分で日赤に到着。

救急外来には、脳外科のドクターもいらっしゃり、
すぐに私の状態をチェックしてくれました。

病院に到着してからは、脳疾患特有の症状がどんどん出て来て、
本当に、お腹が空っぽになるほどのおう吐を繰り返し、
しばらく辛い時間を過ごしました。

どれだけ時間が経ったでしょうか?

その後、カテーテルで検査をしてくれたドクターから、

「南さん、くも膜下出血です。明日手術します」

と告げられました。

えーーー!! まさか?
くも膜下出血って?
先生、こんなに簡単になる病気ですか!
どれだけ入院しなけれないけないのですか?
1か月なんて、無理です!

このようなことを言っていたのを思い出します。

しかし、私は今何の後遺症もなく生きています。

恐らく、
発症して倒れてから1時間以内に病院に到着していたこと。
そして、私がずっと意識があったことが、
のちに功を奏したのだと思います。


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