私を好きになる男はもしかしたらめちゃくちゃセンスがいいんじゃないか説

自分の姿って、洗面台で顔を洗ったり化粧をしているときに、鏡を通してしかほとんど見ない。

たまに友だちが撮ってくれたみんなで喋っている時の動画とかを見ると、鏡の中の自分と、自然体で友達と話している時の自分の姿がかなりかけ離れてることに気付いたりする。
そういう自分の姿って本当に生の人間の感じで、変な癖があったり思ったより歯を見せて笑っていたり、普段目指しているカッコいい自分像とは全く違うのだ。

例えばいい感じになっている男と会う日の朝、鏡の中のバッチリ化粧をした自分をみるとき、キメ顔なんかして完璧な自分の見た目を演出して「よし、今日はいける!」と自信をつけたりするけれど、実際その男と会って話している時は、たぶんそんな決まった表情は一瞬たりともしていなくて、もっと生の人間の笑顔だったり喋り姿だったりするのだ。
自分の想定する見た目のよい状態とはまったく違って、ある意味すごくダサかったり、情けなかったり、美しくない姿なのだ。

けれどたぶん、今まで私のことを好きになってくれた男は、そういう私の姿を見て好きになってくれていたと思う。
私の恋愛(というか人間関係全般)における強みは圧倒的にトーク力でしかないと思っているし、私が何か新しい切り口の話や工夫した返しをしたときに、男の子が「それおもしろい!」って目をキラキラさせてくれる瞬間があって、私の恋愛はいつもそうやってどんどん会話が盛り上がって好きになっていく、というパターンなのだ。
自分的にオシャレな服を着たり綺麗に化粧やヘアアレンジをするのも好きだけれど、それは私という個性を表現する一手段で、あまりいわゆる男性ウケみたいなのはないように思う。むしろ、私のことを人間性の面白さから好きになってくれるような男性が、服装もその面白さのひとつとしてプラスに受け取ってくれているような印象がある。

そうやって自然体の自分の姿がいわゆる社会的な美の基準からはけっこう外れていることを自覚してみると、そんな中で自分を好きになってくれる男性って本当にセンスが良いんじゃないか、と思い始めたのだ。
見た目が綺麗だったり可愛い子は他にいくらでもいる中で、従順さも扱いやすさも全くない、ただただトークと人間性の面白さを全面に打ち出している自分を好きになってくれるのは、相当人間選びのセンスがあると言わざるを得ない。
私は自分の見た目には満足しているし中身も魅力的な人間だと思っているけれど、それはあくまで自己肯定の範疇であって相対評価ではない。他人からしたら手に余る部分もあるんじゃないかと思う。
だからこそ、他人が私を好きになるというのはある意味人間として一歩秀でていないとできない芸当なのではないかと本気で思っている。

このSNS社会に入り浸っていると、凝り固まったルッキズムや低俗な男女観みたいなのが多く散見されるけれど、ちゃんと現実を生きてみれば自分が本当に面白いと思って追求したものに共感してくれる異性はたくさんいるのだ。だからやはり私は、男社会が大嫌いなだけで、男は好きなのだ。人が好きなのだ。

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