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途絶えかけた江戸の伝統工芸を、伊豆修善寺の職人が救った話

素朴だけれど、艶っとした輝きがときに妖艶にも見える「麦わら細工」。その不思議な美しさに魅了されてしまったライターKが、日本で唯一の技を持つ工房を訪ねて、その魅力を解剖する(前回のお話はこちら)。「民藝麦わらの店 晨(あした)」の3代目職人、辻享子さんにお話を伺った。

享子さんが「大森細工」を守り続けている、その理由は……


江戸時代から続く「麦わら細工」の精巧な技術

麦わら細工には「張り細工」と「編み細工」がある。
享子さんが見せてくださった張り細工の模様見本に、思わずうっとり


麦わら細工には「張り」と「編み」がある

「はじめまして。麦わら細工職人の辻享子です」

享子さんが名刺と一緒に見せてくれたカードに施されていたのは、光を反射してキラキラと輝く「張り細工」。麦わらを割いて伸ばし、模様にして木箱などに張り込んでいく技術だ。

「麦わら細工をご存知ない方にも分かりやすく説明できるように、張り細工の代表的な模様をカードにして持ち歩いているんです」と享子さん。

たしかに、一目でその美しさに惹かれてしまう。

麦わら細工には、この「張り細工」のほかに、麦わらを動物や植物のような形に編みあげる「編み細工」がある。「民藝麦わらの店 晨」は、辻紀子さん(2代目)、享子さん(3代目)の母娘職人がいずれの技術も手がける、貴重な工房だ。


「民藝麦わらの店 晨」を飾る麦わら細工


観光地の定番土産だった麦わら細工

日本の麦わら細工は300年ほど前に生まれ、二大産地の城崎温泉(現在の兵庫県豊岡市城崎町)や大森村(現在の東京都大田区)で大人気を誇った。

東海道五十三次の大森宿では、「張り細工」を施した小物や、「編み細工」の玩具が、お土産としてよく売れていたという。当時の人たちが、太陽を反射して光り輝く精巧な細工に熱狂した気持ちも、よ~く分かる。


江戸時代、大森細工の艶っとした煌めきは、多くの人を魅了した


昔ながらのほたる籠にLED豆電球を入れて小さな明かりを灯した「提灯ほたるかご」。
竹の持ち手があって、持ち運びができる


編み細工のクリスマスリース。
パーツをつけかえれば、正月のお飾りとして使えそう!


ちなみに、江戸を訪れていたドイツ人医師・シーボルトも、「祖国でクリスマスに飾るオーナメントのようだ」と感嘆し、麦わら細工を日本土産として持ち帰ったのだとか。古今東西、麦わら細工の美しさに魅了される人は多いんだなあ。


この工房だけに受け継がれる特別な麦わら細工の技法

「大森細工」の技で作られた小さな動物たち

菱形の編目を連ねて作る「大森細工」の妙技

麦わら細工には、「張り細工」と「編み細工」があるのは前述したとおり。さらに「編み細工」には、平らにした麦わらを組ひものように編む技法(麦わら帽子がこれにあたる)や、らせん状に編み上げる技法など、いくつかのテクニックがある。

編み細工のなかでも、日本で唯一、「民藝麦わらの店 晨」だけに受け継がれているのが「大森細工」という技法だ。

「大森細工」は、麦わらを 4 回折り合わせて菱形の編目を作り、それを表面にきれいに連ねて、ふっくらと丸みのある形に仕上げるのが特徴。その名のとおり、東京・大森で開花し、繊細なつくりが評判になった。

菱形の編目を繫げて丸いフォルムに仕上げる「大森細工」は、高度な技術を要する


だが、明治時代に鉄道が開通し東海道五十三次が廃れると、宿場町の大森村でお土産を買う人も減り、大森細工は下火に。職を失いかけた職人たちは、編みの技術を生かして、仕事を麦わら帽子づくりへシフトしていったそうだ。もともと複雑な大森細工を手がけていた職人にとって、麦わら帽子を編むことは、たやすかったのかもしれない。


身近にあるものを模した大森細工。かわいいけれど、とても精巧なつくり


江戸発祥の工芸が、修善寺だけに残る理由

それにしても、衰退した大森細工がなぜ今、発祥の地から100㎞以上も離れた伊豆の修善寺に?

「今から約26年前、初代(享子さんの父、辻晨吾さん)と2代目(母、紀子さん)が工房を切り盛りしていた頃、大森細工の唯一の職人さんのお知り合いの方が、『この技術を受け継いでほしい』と、作品を持って東京から訪ねてきました。

その方曰く、『職人自身はかなりの高齢でここに来ることはできない。でも、このままでは技術が絶えてしまうから、受け継いでくれる人を自分が代わりに探している』のだと……。その方もかなり年配でありながら修善寺まで足を運んでくださったのは、自分が動けるうちになんとか次に繋げたいという思いがあったのでしょうね」

ああ、よかった。すんでのところで、バトンを受け継ぐことができて!

「ところが、当時は父も母も張り細工の注文が多く忙殺されていて、すぐ大森細工にとりかかることができなかったんです。数年経ち、ようやく本腰を入れようとしたものの、その複雑な編みを十分に習得していなかったため、復元はほぼ不可能な状況でした。あらためて教わろうにも、職人さんも訪ねて来てくださった方もすでに他界されていて……。そこで、いただいた大切な作品を解きほどき、数年越しで編みの技術を解読していったんです」


「民藝麦わらの店 晨」の初代、故・辻晨吾さん。
2001年に76歳でこの世を去るまで、生き生きとした作品を生み続けた


復元に成功した数年後、初代の晨吾さんは他界。紀子さんと享子さんは技術にさらに磨きをかけ、伝統的なものから身近なアクセサリーにいたるまで、さまざまな製作に取り組んでいる。

麦わら細工のピン止めやピアス。女性職人ならではのアイテムがたくさん


職人たちの思いは、土地を超えて

発祥の地を超えて生き残った大森細工

「いまにも途絶えてしまいそうな状況で繫がったのは、“絶えたくない!”という、麦わら細工そのものの意志なのかな。それに私たちが突き動かされているのかもしれません」

穏やかな口調の享子さんからは、麦わら細工へのまっすぐな思いと愛情が伝わってくる。

「発祥の地で受け継がれるもの」というイメージが強い伝統工芸。でも、こうして土地や血筋を変えてしなやかに継承されるからこそ、連綿と守られるものもあるのかもしれない。


麦わら大森細工の魅力を最も表現している丸型のペーパーウェイト「むぎたま」。
何度も試行錯誤して完成。オーダーは3か月待ち!


麦(幸せの象徴)を4回織り合わせる縁起物

「大森細工は縁起物なんですよ。もともと麦は、幸せや繁栄の象徴と言われています。大森細工は菱形を作るのに麦わらを 4 回折り合せるから、『四合わせ(しあわせ)がたくさん連なる』。相乗効果で、とても大きな幸せがやってきそうでしょう?」

享子さんはいま、その魅力を多くの人に知ってもらいたいと、SNSで日々、発信をし続けている。その声は、あることをきっかけに、世界へ発信されることに。


小さな姿に、歴史や伝承のドラマを秘めた大森細工

伝統工芸を発信する重要性に気がついた、ウクライナからのメッセージ」に続く。

Supported by くるくるカンカン

クレジット

文:K
編集:JOURNALHOUSE
撮影:伊東武志(Studio GRAPHICA
取材協力:民藝麦わらの店 晨茶庵 芙蓉
制作協力:富士珈機

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