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夢と記憶の臨界点 | 哲学

こんにちは! くるくるぼっちです。お久しぶりです。
いつの間にか、夏が過ぎようとしていますね。
残暑厳しく日々暑い盛りですが、夜になると鈴虫の声が聞こえて秋を感じる今日この頃です。

さて、今日は、夢と記憶の臨界点とタイトルに書きましたが、日々、鬱々としてしまう私のメンタルはちょっとしたことで不安定になってしまいます。

謎の鬱リスト

  • 楽しい夢を見た

  • 悪夢を見た

  • 夢で懐かしい人にあった

  • 懐かしい曲が聞こえてきた

  • アレクサに「元気が出る曲かけて」って言ったら、スピッツが流れてきた(なぜかわからないけどスピッツ聴くと泣けてくる)

  • 楽しかった日を思い出してしまった

などなど、何でもいいのですが、私は一人ですぐ、寂しくなったり、悲しくなったりしてしまいます。

夏の思い出

夢と記憶の違い

こう、リストを見返すと、適当にも程がありますが、たいてい、夢か記憶に関することなのです。
つまり、私は、頭の中の幻想を追いかける習性があるみたいです。

あー、先週、すごく楽しかったな。また先週に戻らないかな。
なんか今日は寂しいな。

先日の私の頭の中の鬱々

こういうの。よく、あるんです。
でも、私は昨日というか、一昨日(いつでもいいわ!w)
すごくいい夢を見たんです。夢の中で理想の景色を見つけて、ここに住みたい!って夢。
よくあるんですが、夢の中には戻れないし、入れない。手に入れることができない幻です。

そのことはよく承知していて、何度か思い返しては、浸ってしまうこともあるんだけど、しばらくすると忘れたり、あきらめたりして執着を手放すことができるのです。

それとは打って変わって、今度は記憶ですが、日々の生活の中で、何度か思い返しては、「あー、戻りたいなあ」「楽しかったなー」と戻ってこない虚しさに寂しいとか悲しいとか感じちゃうわけです。

何となく、似ているようで受け取り方の違う、記憶ですが、頭の中にだけ存在する残像であることに変わりはありません。

だけど、言語が違い、それに基づく概念が少し違うので別物として認識して処理してた気がします。

が、私は昨日、気づいてしまったのです。

「もしかして、これ、そんな変わんなくない!?」

夢と記憶の臨界点

臨界点って、何だろう。

臨界点(読み)リンカイテン(英語表記)critical point
りんかい‐てん【臨界点】
物質相転移における臨界状態を示す変曲点液体蒸気との共存状態がなくなって連続的に変化するようになる点。

コトバンク

うーん。私もよくわかんないで勝手に比喩してますが、まあ、こんなところでしょう。
AIに簡単に説明してもらったのがこちら。

臨界点(りんかいてん)は、物質が液体と気体の境界を失う状態を示す温度と圧力の組み合わせのことだよ。この状態では、液体と気体が共存できなくなり、見た目や性質がほとんど同じになる。つまり、液体も気体も区別がつかなくなるんだ。

GPT-4o

まあ、つまり、そういうことです。夢と記憶の関係も似たようなものかなと。

どちらもリアルが元になってるものだけど、記憶や夢になっちゃえばほぼ同じことだなと。

夢って時々、悲しいし、記憶のカケラだから泣いちゃうこともあるんだけど、立ち直りは少し早い気がして。

記憶も、嫌なことってずっと覚えてるけど、楽しかったことって割と儚かったりして。すーっといつの間にかいなくなってしまうような切ないさを感じるんだよね。今、掴んでおかないとどっか行ってしまうって一生懸命、しがみつこうとするよね。

その執着の度合いが、夢と記憶とでは少し違くて、楽しいことを思い出すと、とても寂しくなってしまうのかなと。

夏の夕暮れ

立ち直ろう! 夢も記憶も一緒だよ

なんか励ましてる感じになった笑
でね、昨日、あんこを作ってて思ったんだ。

頭の中で、先週の楽しかったことを思い浮かべて、寂しいなあとか悲しいなあって思うのって、なんか……なんかだよね?

って。今目の前で、私は、あんこを煮詰めているんだよ。

つまり、あと少ししたら、私は、あんこを食べられるんです。
それってすごい発見だと思う!

あんこができたら、しらたま団子つくって、あんこと一緒に食べる。
それって、すごく楽しいし、おいしいし、幸せなことじゃない?

一人だとすぐ、頭の中の記憶や妄想と対話してしまうから、きっと鬱々するんだと思う。目の前に、これから楽しいことが待っていることにも気づかずに。

目の前のものが見えているようで、見えていないし、
未来に不安を感じているようで、未来を見据えていない。

未来は、今の続きだから、現在(今)に住んでいないと、続きがないんだよ。

大好きな白玉あんこ! 小豆を煮るところから作ったよ。うっかり考え事しててあんこは失敗したよ。

花火の儚さで知る虚無の無意味さ

昨日、花火大会があって、花火を見ながら思ったんだ。

花火っていつも写真で撮ったり動画で撮ったりするけど、結局そんな見返すこともなく、iPhoneの容量がオーバーした時に消しちゃうの。

でもさ、その時はとても感動してるんだよ。すごい! すごい! って。
あのライブ感は、カメラでは残せない。

そう思って、昨日は、一枚も写真を撮らなかった。動画も撮らなかった。

心の中に、しっかり留めようと思った。

でも、それも、その瞬間だけなんだよね。終われば、もう、その感動は返ってこない。一瞬の花を咲かせて、煙となって消えていく花火を何発も何発も見ているうちに、記憶と夢の終着地点は花火だなあと思ったよ。

一瞬の現実で過去になる。

儚いとか虚しいとか、そういうことじゃなくて、その瞬間が感動なんだ。

私たちは、現在の連続で生きてるから、その瞬間瞬間に感動したり楽しかったり嬉しかったり美味しかったり、幸せだなあと感じることがあると思うんだ。

うっかり、それを見過ごして、記憶の中の残像にしがみついてしまうと、鬱々……ってことになるんじゃないかな。

と思った今日この頃でした!

夏が終わるって寂しいよね

おしまい

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