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#115 朝日記 「問い:何を恐れているか」「恐怖心がバグっている人間がイノベーションを生む」 (2021/06/24)

6:10起床。1:47/6:55。

通常運転になりつつある。今日の夜は高校時代の友人と会う。きっと楽しい夜があるだろう。週末は秩父へ小旅行。台風だけが少し心配だが、問題なく行けることを祈る。

昨日の朝会で問われたテーマ「何を恐れているか」。

恐れには、その人の癖が出る、そんな話だった。

恐れとは、生きることへのエネルギーのように私は感じた。

例えば、ジェットコースターを恐れるのは、死にたくないと思うからだ。死は言い過ぎまでも、心拍を上げることは寿命を縮めることにつながる。死を遠ざけるために恐れるのは正しい態度だと思う。

仕事における恐れの筆頭である失敗も死につながる感覚がある。仕事で失敗した後、上司に怒られ、評価が下がり、給与も下がり、やる気もなくなり、退職を迫られたように感じ、やめる。給与がなくなり、生活が苦しくなる。即ち死。

極端だが、仕事の失敗を死と同義のように感じる人のロジックはこんなものではないだろうか。その手前で、失敗を社内や社会に晒され、社会的な死を感じる人もいるだろう。

恐れから避けたいと思いつつ、ついて離れないのが恐れでもある。恐れを感じることは悪ではない。なぜなら、生きることを渇望している現れだと思うからだ。

半年前を思い出してみる。うつで死にたいと思った時、恐れを感じたかといえば、そうではなかった。この時点では、生きるエネルギーが不足していたんだと思う。何も恐くなかった。

今は死ぬのが恐いし、未来がどうなっているのか少し恐れがある。この状態は正常に体が反応している証拠だとも思った。

恐れの話を聞いて思い出したのが『サピエンス全史』だ。

生物界で、なぜ人間はここまで君臨するほどの存在になれたか。要素は2つあり、1つはフィクションや概念を信じることができ、集団を形成できたこと。2つ目は、一部のホモサピエンスが恐怖心を突破したことにあるという。

生物界で、火を扱えるのは人間だけである。今では、みんな特に恐れもなく、キッチンで火を使っているが、自然界において火は恐れの対象でしかなかった。

当初、人間も他の生物と同じく火を恐れていたに違いない。しかし、一部の恐怖心がバグっている人間がいたおかげで、火は扱えるものとなり、イノベーションが起きた。

昨日まで話していた着火者にも通ずるかもしれない。ファーストペンギン的行動を起こす人間が一部でもいるおかげで、人間はここまで君臨できたのだと思う。

ここまで書くと、恐れは悪くないし、むしろ突破した先に何かあると思えるはずだ。

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