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マツダ3のデザイン解析#3  〜あのカッコイイは人間の危機回避能力に関係する?〜

もくじ
Mazda3はなんで”カッコイイ”?
社会自動車デザイン論における“陽デザイン”
人間の危機回避のための情報発信(デザイン)

 Mazda3はなんで”カッコイイ”?
 質問ですが、あの大胆だけれども説得力のあるスタイリングを実現させている要は何だと思いますか。
多くの人が、サイドドア下部を大きくえぐる様に凹ませた個所が、ボデー全体を引き締めて個性を演出していると回答するでしょう。それが魂動デザインの真骨頂。そのえぐりが引き立てるのは、リアタイヤの膨らみを滑らかにつなげるcピラーの大胆な面構成。cセグメントハッチ特有のキャビンの重量感をリアの踏ん張り力に転換させることに成功しています。  
 車をよく知っている方は、イメージの補完のためにVWのシロッコ(2008年〜2017年)を引き合いに思い出した方もいるでしょう。けれどシロッコはリアに向かって力が流れる様な2ドアクーペの構成を基に、ハッチバックとそれに準じたリアライトの構成を組み込ませた軽快な佇まいです。水平に伸びるキャラクターラインに沿って目撃者の目線を矯正して集中させて、リアに向かって抜けていく様子を見せつけて印象を操作しています。対するマツダ3は、キャビンの重量を封じ込めたような面が、目撃者の自由な視線を許し、堂々と大きく映ります。結果、車全体がずっしりとリアのタイヤに乗っかっている様に見せているのが大きな違いです。
多くの車(特に日本車)がキャラクターラインなどの折り目を、建造物の様に並べて車の構造や剛性を視覚に訴えますが、マツダ3はより密度の高い凝縮した物体が変態して生み出されたような一体感を持っています。
もう少し踏み込んで考えてみましょう。

社会自動車デザイン論における“陽デザイン”
 私が提唱する社会自動車デザイン論の中で、陽デザインとはボデーの中で主役となる造形を指します。アウディのシングルフレームグリルから波及して起きる造形や、初代ヴィッツや前世代のマツダ車に見られた斜めに蹴りあがるキャラクターライン。そしてプリウスの”トライアングル”や、弾丸の様なフィットの“ワンモーシンフォルム”。これら車のコンセプトを印象付ける要素を陽デザインと定義します。モーターショー公開時のプレスが外観上の特徴として紙面に挙げることが多いでしょう。
誰にも似ていないマツダ3の場合は、リアタイヤにキャビンの重さをずっしりと受けとめさせるような面構成が陽デザインと言えるでしょう。
“キャラクターラインが…”、“ヨーロピアン…うんぬん”といった常套句で語らせないデザインは、図らずとも自動車ジャーナリストの力量を試すことにもなっていました。
 ただし、“社会”でその車が“生き”始めたとき、その陽デザインが必ずしも人々を惹き付け続けるとは限りません。皆さんも街で走っている姿をみて意外にしっくりこないことありませんか。

人間の危機回避のための情報発信(デザイン)
 人が街で車と接近するときどこを見るのでしょうか。
動いている車は人間にとって脅威です。車と認識した瞬間、こちらに向かってぶつかる危険があるのか無意識に情報を探ります。点灯の有無に関わらずライトが指す先に自分があるのか。タイヤの向きはどこか。ぶつかった際の衝撃も予め情報として持っておく必要があるので車の大きさ(重量感)と、周りとの位置関係から見える速度を交互にかつ瞬間的に観察します。車は人間より絶対大きいので、手のひらに入る消しゴムや、紙面に写る車両の様に1つの焦点の範囲にそのすべてを捉えるのは不可能です。ほとんど瞬間で、重要な個所に順次焦点を当てて情報を得ます。重要なのはいずれの認知反応は人間の無意識下で行われるということです。つまり社会における車のデザインは危機回避させるための情報発信性能が問われます。
マツダ3の場合は、それら観察する目線の動きを阻害することのない陽デザインを実現しています。むしろ、捉えた焦点の外に必ず、タイヤに繋がるキャビンの膨らみ(重量感)が視界に入ってくるのは、ストレスのない情報の獲得に有利に働くポイントです。これはマツダ3の陽デザインが街の中でも機能している証拠です。
 加えて、日頃車をよく見た人ほど、無意識に向かう目線の先に、多くの車に当たり前にあったはずのキャラクターラインやフェンダーの膨らみがない事に違和感を覚えたでしょう。そうすれば無意識下での危険回避のための観察を超えて、意識的にマツダ3を観察することになるのです。
 逆にボデーの構成を無視した陽デザイン要素は認知動作にとってノイズになるので、初見以降は無意識下に押し下げられ、それでも与えるストレスから次第にその車自体の印象を薄めていきます。無難に並べられたデザイン要素も然り。
広告やショールームで見たときよりも街で走る姿にしっくり来ないあの感覚の正体はもう理解できましたね。やっぱり車は街で”活き”ていないと意味がないのです。

次回予告:マツダ3の巧妙な”陰デザイン”

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