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SUVのデザイン解析#3 〜SUVは成熟の証?それとも原点?

もくじ
CX-3はケイトモス!?
SUVは成熟の証?原理に立ち返った姿?
後記

CX-3はケイトモス!?
前回はSUVの持つ『大きさ』が目撃者の視線を制限して、見せたい姿の表現に一役を買っていると表現しました。またその手法はスーパーモデルの長い手足と背丈とも重ねて考えることができるともまとめました。
モデルの長い手足と身長は関節間の距離を十分確保します。従ってデザインの特徴や遊びを難なく収めることを可能にしています。腕が短いと肘と手首と手先の動きが近く。例えば、袖の皺と袖のフリンジそして指先の動きが、本来のデザインの意図を伝える前に干渉してうるさく見えてしまいます。その考察はSUVにも当てはまり、その体格によってボデー表面の面積が拡大して、それぞれの構成要素の距離を十分保つことになります。
 ドアハンドル、ミラー、ライトやウインドーは原則として小型車(ウインドーはベース車両)と同等であっても差し支えなく、自由な余白がそれらにデザインの制限を解きます。
 一例としてMazda2(デミオ)とCX-3はベース車両とSUVの関係にあります。デザインがより自由なCX-3は比較してウインドーを高く薄くまとめて、まるで頭の小さいモデルの様です。驚くのは両車の高さはほとんど同じ。身長が低くても納得のSUVプロポーションと個性を持っている点はかつてのスーパーモデル、ケイトモスの様な存在です。
そうなるとSUVとして拡大されたタイヤ径は、スーパーモデルの長い脚に置き換えられます。

SUVは成熟の証?原理に立ち返った姿?
 
ここで『社会自動車デザイン論』としてのSUVの話に戻りましょう。
 車の機能の本質に即したタイヤがSUV然としてサイズアップされて得た存在感は、車の頼もしさや機動力を喚起させます。その関係はもはや記号。異論を挟む余地はありません。
 SUVの下半身に備わる樹脂パーツもボデーを守るという機能が、自動車の労働力(この表現は過去のボルボの記事を参照してください)を記号として強調して訴求力高める役割を担っています。SUV要素を記号として表した理由は、その車両個体に本当に必要な機能かまでは目撃者の考察に至らせないデザイン上の企みを含んでいると思えたからです。
 正直、都市型の乗用車が荒れた路面をいなす大きなタイヤは必要ありません。砂利や泥によるボデーの傷を防ぐ樹脂パーツも必要ありません。考えてしまえば乗用車として開発されたシャシーや4WDの性能に対して過剰な装い。2WDの設定しかないモデルを例にすれば分かりやすく、やはりそれはただ車としての原理的な機動力と頼もしさを喚起、強化させる記号以上の意味を持っていないのです。
 ボデー本体の構造物ではなく、タイヤや樹脂パーツといった構成物でその魅力と個性を表現するSUVに、つまるところの『車らしさ』という原理を反映させるのはある種自動車が成熟した証とも言えます。90年までは走行性能の追求。2000年からは生活必需品として居住性向上の他に衝突安全性を求め。2010年代は経済性と環境性能が当たり前に求められ、今や生活の一部として『普通に走ることができる』状態にまで進歩しました。
 高価格車や高級車を除いて、新型車が当たり前に未来を謳わなくなったのはいつからでしょうか。もしかしたら我々一般の人間が享受できる自動車の可能性はこの先行き止まりを迎えつつあるのかも知れません。自動車の進化が生活を拡張する役割を終えたのでしょうか。それでもその利便性、これまで築いた走行性能、居住性や安全性は手放せません。そうなると乗用車の訴求力が、もともと持っている普遍の頼もしさや機動力を際立たせる方向に向かう理由が理解できます。車の原点を見つめたと言えばわかりやすいのですが、決して車の走る喜びや、機械を操作する魅力に立ち返ったわけではないのです。従って走行性能の進化を体現するボデー構造は必要がなく、3面図で明らかにされる様なボクシーな構造で最大限の居住性を提供します。このように自動車の大衆化が進んだ今、訴求力は装いとしての車らしさに返すにとどまります。それがSUVのブームの正体だと考察します。

後記
 
本編のおわりがなんとも切なく、アンチSUV若しくは懐古主義に思われたら嫌だなと思って後記を書いています。まぁそれも私の表現力の限界と受け入れられればいいものですが、念のために。一応、私はいかなる車も愛しています。と、ここに宣言しておきましょうか。保険として。
 SUVと言えば、私の好きなお仕事映画『マイ・インターン(2015年)』のCEOの移動車がアウディQ7。それまでは記号的にセダンが使われていただろう場面がなんだか新鮮でしたが違和感は無かった覚えがあります。新しい会社の話とは言え、シナリオに直接絡まない移動車にSUVを登場させるのは、今の時代(もう10年近く前ですが)を奥深く表現していました。
 ファッション業界はボディポジティブの流れがあります。一瞬スーパーモデル=不健康、という構図で切り取られた後。健康を害するほどでなければモデル体型も排除される存在ではないという、いわば大きく振り切った後の揺り返しの過程を今たどっています。どこに妥協点を見出すのでしょうか。興味深いですね。
 SUVの立場が自動車の本流になると、デザインも打って変わってSUVの派生としてのハッチバックが登場するのでしょうかね。事実日産ノートなんかはSUVのアリアのテイストを汲んでいます。そして売れています。SUV以外が傍流となれば、それもそれで自由なデザインが期待できそうです。楽しみですね。

皆さんも素敵なカーライフを。ご安全に。

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