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【広島】護国寺・城址公園内の原爆遺跡に思いをはせる【2022年11月】#7

爆心地から近い「広島城址公園」は、原爆投下によって大きな被害を受けました。そして、こちらには、第二次世界大戦の戦没者および、原爆被害者を祀る、広島護国神社があります。

広島護国神社は、明治元年(1868年)に戦死者を祭る神社として創建されました。広島原爆投下により大鳥居を残して社殿すべてが消失し、
1956年に現在の地に再建されました。

ちなみに、こちらには大きな鯉が滝を上る「昇鯉(しょうり)の像」があります
「昇鯉=しょうり=勝利」とかけて目標を達成することに関するご利益があるとされており、「広島カープ」の名前もこの鯉にあやかっているそおです。

また、敷地内に、何かの跡地を見ることができました。
こちらは、日清戦争時に利用された広島大本営跡。


大本営というのは、明治時代の日清戦争から太平洋戦争の終結まで設置されていた
日本軍の最高機関です。
それが一時的ではあったものの、この広島城に置かれていました。
当時は2階建ての洋風建築がたっており、
1894年の9月15日から7ヶ月ほど明治天皇が滞在したそうです。
明治天皇はほぼここに留まって深夜まで政務を行い、
質素な生活をしていたと伝えられている
しかしこちらもまた原子爆弾により倒壊してしまいます。

こちらは、護国神社のすぐ近くにあるコンクリートの遺跡。
「中国軍管区司令部の防空作戦室跡」です。

旧陸軍の防空作戦室は全国に6ヶ所あったといわれていますが
ここは現存唯一のものです。
原子爆弾投下の第一報を外電した場所といわれており、その外電は当時14歳の女子生徒2名からでした。
現在は内部に入ったり、中を観たりすることはできないようです。

こちらは、「広島陸軍幼年学校跡」


13歳から16歳で入校し士官候補生を養成する学校でした。
実は在学生は、原爆が落ちる前の7月26日に全員、広島の山奥に疎開して原爆に遭っていないのだそうです。
建物は被爆によって消失し、門だけが残りました。

そして最後の遺構はこちら。広島城を巡っていると、所々に「被爆樹木」と表示される樹木が見られます。柳のように茂るこちらの木はユーカリの巨木。爆心地からの距離は740m


実は被爆後生き残った唯一のユーカリです。
「はだしのゲン」で有名な中沢啓治さんの漫画「ユーカリの木の下で」のユーカリなのだそうです。
被爆樹木は他にもクロガネモチやマルバヤナギが城内にあります。

「広島城址公園」、記念公園と同様、非常に考えさせられる場所でした。
見学を終え、時間も迫ってきたので、広島空港に向かいます。バスセンターに到着したのは10時半過ぎ。11時の空港行きリムジンに乗り込みます。

空港について、さて、ランチどうするといろいろみてまわったのですが、
レストランが混雑していたので、結局お弁当にすることにしました。

こちらのタコ飯とアナゴめしを、ラウンジでいただきます。

たこ、やわらかくてとてもおいしかったです。

さて、広島旅、いかがでしたか?
グルメをあまり堪能できなかったので、またリベンジしたいです。
最後には、JALの皆さんの温かいお見送りをいただきました!

動画もあわせてご覧ください!


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