模倣とコピー

自己主張と言う名の表現を大義に、

自己の承認欲求を満たすため。

と八方美人のような上手い言い訳を用意する。

ただの参入障壁の低い金儲けに繋がらないかと淡い期待を抱きながら、

SNSを手段として自身を表現しています!と、

すでに商品としてパッケージ化された表情を一切隠す事もなく堂々と主張する。

その表情、仕草には「金儲けがしたい」としっかり書かれている。

自分すら騙そうとする欺瞞に見て見ぬ振りをし、

自分を表現するための手段のひとつです!と、

そこらじゅうに跋扈する作られた表情の仮面をつけて笑顔になっているつもりでいる。

その表情、仕草をするためのスキルは確かにあるのかもしれないが、

それは、自分という一人の人間の個性を表現しているのではなく、ただ同じ表現をどれだけ上手くこなせてるかの技術を見せているだけに過ぎず、

画面を通して見えるそれは、何ひとつ自分という本質を表現することなく、いっさいの光を発することなくその人間性は発揮されないままスクロールされていく。

その表情や仕草には、資本主義の構造を隠す役割と、金儲けを仕掛けた人間がより多くの時間を搾取し続けられるシステムの一部として、

ウイルスの様に自動で機能拡張され伝播する。

一瞬の流行として、有象無象の一つにも感知されない、大きな仕組みを成すためだけに埋もれる機能として、その程度の商品価値はあるかもしれない。

同じ表情を作った顔で、まったく同じ動きをして、同じものを着飾って身に纏い、

個性を表現しているつもりでいるのか…

何かしらの批評はあるかもしれないが、それが記憶に留まることはない。

世界に一人しかいない自分の自然な素の表情や仕草が、

この世に一人しか出来ない個性の表現ではないだろうか。

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