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映画「愛がなんだ」を観て読んで、それから執着を手放した

目に見えないバウンダリー(境界線)、という考え方を知っていますか。
自分の精神の自立性を他人から守るため、気持ちのおよぶ境界を定める線。
それだのに誰かに恋をして、相手から執着を向けてほしいとねがったその瞬間に、この境界線を溶かしてかまわないと思ってしまうことが、ある。

角田光代さんの恋愛小説をもとにした映画「愛がなんだ」を観て、原作小説を読みました。
この話は過分にネタバレを含みます。好き勝手におしゃべりしますので、未視聴の方はご注意ください)

http://aigananda.com/sp/ (公式サイト)

猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。
その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。でも・・・。

クビ寸前どころか、山田テルコ(27)は当たり前に正社員の職を失います
マモちゃんがいつ呼び出してもいいよう融通のきく仕事を選び、熱の出たマモちゃんのために鍋焼きうどんをつくり、鼻歌をうたいながら風呂を掃除して鬱陶しがられ、家を追い出されちゃう。
それでも忠犬ハチ公さながら、マモちゃんからの気まぐれの連絡を待っている。

いわゆる都合のいい女ってこういうものか、という感想を公開されている方もいた。
「理解できないけど、恋愛脳ってこんな感じなの?」

テルコはマモちゃんの恋人ではないのだ。

お付き合いしましょうか」というステップを逃してはじまった関係。
マモちゃんの何気ないひとことで、彼が止めるのを押し切り深夜2時にビールを買いに飛び出していくテルコ。繰り返し「マモちゃんになりたい」とテルコは言う。「マモちゃんの苦しみを変わってあげたい」「マモちゃん本人になりたい」

たぶん、一体化したいのだと思う。テルコはマモちゃんと。
空虚さを埋めるために、理想化した相手と同一になりたい。
相手がどう思うかが全てであって、自分の人生なんてどうでもいい。どうでもいいからこそ相手にぶつけたい本音もなく、あるいは自己主張した結果相手の不興を買うことを恐れている。相手がどんな関係を築きたいかなんて頭になくて、とにかくべっっっちゃべちゃに依存しあいたい。

自分の人生を尊重する必要なんてない。
不安だから。


テルコの精神には不安回路が埋め込まれていて、忠実に付き添うテルコにマモちゃんが振り返ってくれた、機嫌よく自分を相手してくれた、その間だけ回路が反応せず過ごせる。
たぶん、自分では止められないレベルに熱くその回路が焼き切れるのだ。

それは恋愛なんだろうか。ただ恐怖なんじゃないのかな。
捨てられる未来を恐れるがあまりに、テルコは安定した職も関係の優位性もマモちゃんに差し出して、遠ざけようとしているのでは。

テルコはすごい。
彼女はマモちゃんと健康的な恋愛関係を再構築するのではなく、(あるいは、真正面にぶつかって彼のそばから去る未来ではなく)、執着を胸にうずめたままかたちを変えて、マモちゃんのそばにいる方法を選択した。
マモちゃんの友人と付き合うことによって。


執着を手放す方法を試してみた。

私の中にも一つ不安回路がある。
不安型愛着スタイル、というのが、私の不安回路の名前とされている。

・相手に必要とされることでしか、自分の存在価値を感じられない
・頻繁なやり取りなど、愛情の確認方法が目に見える形でないと不安を覚える
・認めて欲しいが満たされない場合、依存し相手に尽くしすぎてしまう

半年前にお付き合いを始めた人がいる。
それから私はこのインターネット上、彼の姿がモヤに包まれている間のみ、この思考に多大に囚われることになった。
相手とのバウンダリーがどんどん溶けてゆき、いつか訪れるかもしれない不安が胸を占める。
「そのままでは愛されない」という恐怖が恋愛本を読み漁らせ(100冊は読んだと思う。異様な多さ)、自立した女を装うことに必死だった。

彼の名誉のために申し添えておくけれど、行動と言動が合致せずに彼女を不安にさせるようなひとではない。
かえって素直なひとだ。できないことはできない、と相手を考えて柔らかく伝えることができる、自立心と優しさと譲歩に満ちたひとだ。私は心の底から尊敬している。

何度も彼と話し合いカウンセラーの力に頼る中、ある日1冊の本を見つけた。
おなじく不安型愛着スタイルに悩む人がおすすめされていた本。

「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本 

この本は基礎編と実践編からなるのだが、実践編に掲載されていた「手放しワーク」がとにかく効いた。
詳しいやり方は本自体を参考にしてもらえたら…と思うのだけど
結論からいえば私は2時間泣きわめき、自分の中にあった2つの呪いが鳴りを潜め、本を閉じたときには「どうして理由もなく彼が恐ろしかったんだろう」「彼は私が好きなのに」と思えるくらいに落ち着いた。

ひとつめの呪いは、「条件付きでなければ愛せない」母で
ふたつめの呪いは、「ある日いきなりブロックし縁を切った」友人だった。

私の中で大合体し、「私の愛するひとは条件を達成しなければある日いきなり見捨てる」という上位呪詛に姿を変えていたらしい。

どんな難解な条件を達成しようとも自分を認めてあげられず、恋をした相手からの愛情が日に日に目減りする妄想にとらわれ必死にもがく。
キツかった。

ほんとうに大迷惑だ。
でもとにかく対抗のすべを得たわけで、それだけは安堵している。
ワークから1日経った今も、彼を信じられ続けている。

テルコの度の過ぎた執着を諫めるひとはいれど、「大人だから」「好きにすればいいけど」というだろう。
本人たちは好き好んで執着のなかに身を踊らせているわけではないのだと思う。
自分の不安回路のブザーが止まらなくて、半泣きになりながら相手からの視線を請い求めている。傷つけたこと、至らない自分、うんざり顔の相手のひとつひとつに多大に傷ついている。どうしようもない自分をどうしようにもできない。相手の恋情に縋るしかない、自分のコントロールはとっくの昔に失った。
しんどいよね、しんどかったよね。

過去があなたを蝕んでいる。

「別の存在じゃなきゃ相手を助けられない」と担当カウンセラーさんが言っていた。
「別の存在でなければ、相手を受け入れることもできない」と思う。
恐怖に怯えるブザーの持ち主たちに、安らげる場所が必ずあるから、と伝えられたらいいなと思う。

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