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vol.2 自己紹介(改)

前回までのあらすじ

種子島で生まれ育った少年。
鉄砲伝来やロケットなど過去と未来をつなぐ
魅力のある種子島。
でも少年は、そんな種子島が嫌だった…。

前回の記事はこちらです↓


種子島編②

私の中では、あるあるなのですが
種子島出身のことを知人に伝えると

種子島って外国じゃないの?
とかパスポートいるの?とか

冗談で言われます。

笑いながらその話聞いているのですが、
内心は、



は?


こんな感じです。

(我ながら上手く絵を描けたのではと
思っています。笑)

皆さんも地元を馬鹿にされたら
少し不愉快な気持ちになるのでは
ないでしょうか?

不愉快な気持ちとともに
一方で的を得ているな、
とも思うわけです。
私が幼少の頃、種子島を嫌いだった理由は
知人達が思ったようなこういったことが
少なからず、自身の中にも
あるからだと思います。

大人になってから気付くものですけど
歴史的価値とかすごい技術とか
興味ある人からしたらそりゃあ、
すごいんでしょうけど、
子供ですよ?
ましてや、日常の中で当たり前に
なっている物を人は
羨ましいとは思わないのです。
私もその1人だったわけです。

大体の子供は遊園地とか大きいデパートとか
そういった遊ぶ場所を好みますよね。
何か刺激がある場所や環境を
探していたのでしょう。

そんな嫌いな島生活の中で、
18歳まで過ごしていたわけです。

幼少期

私は保育園に通っていました。
いくつからかは分かりませんが、
気付くと保育園の友達と遊んでた
というわけです。

私の保育園の頃は、
園児達それぞれに
動物や植物、果物のマークみたいなものを
ロッカーに貼られていたわけです。
選んでつけたのではなくて
勝手についてただけですが。

因みに私のマークは
パンダ🐼でした。
この頃はパンダが好きでしたね。
今は好きかと聞かれたらそこまで
好きというわけではないのですが
フォルムとか諸々可愛いは可愛いですよね。

上野動物園で見たパンダ

久々に昨年、動物園に行きました。
あまり最初は乗り気ではなく
何年振りですかね、
20数年ぶりに行ったわけですが、
大人になると意外といろんな視点で見れて
楽しむことができました。

動物園サイコー!

ただ、初夏に行って暑かったので
もう少し時期はみていけばよかったなと
思いました。

話が脱線しました。
戻しますね。

保育園時代、あまり記憶はないのですが
砂場遊びやブランコ、キックボードや一輪車
いろんなことして遊びましたね。

思い出に残っているのは、
家族みんなで見にきてくれたお遊戯会や
運動会ですね。
お世辞にも多いとは言えない保育園だったので
すぐに何か一位になることは
容易かったのですが、
それでも、お昼ご飯の時に
良かったね!とか頑張ったね!とか
そういった言葉をかけてもらえる
嬉しい思い出ですね。

ところでみなさんは、
『からいもくん』って曲知っていますか?
保育園の運動会の時にみんなで踊っていた
曲なのですが、
妻に聞いても知らないと言われ
YouTubeやネットとかで調べても
載ってなくて
これが本当の曲名なのかも
定かではないんです。
もし知っている方いらしたら
コメントで教えていただけると嬉しいです。

年長さんになると
いろいろな悪いこともするわけで
先生から協調性を学びなさい!という名の
お叱りをたくさん受けていましたね。
保育園、家族以外で初めて他者と触れる
社会を学ぶ第一歩なわけですが
今思えば、悪いこともたくさんして
子供らしい子供だったのではと思います。

そんな保育園時代も卒園式を迎え、
激動の小学生時代へと
突入していくのです。


昔、細木数子さんがいっていましたね。

そう、大殺界の時期がやってきたのです。

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