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夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)ー歴代優勝校の分析 〜その3〜

前回まで2回にわたって過去の夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)の歴代優勝校の戦績について分析をおこなってきた。「その1」では歴代優勝校の過去4年間の甲子園出場履歴について、「その2」では歴代優勝校の過去4年間の甲子園での成績についての解析結果を記している。

第三弾として、甲子園出場以前の成績にまで遡って解析をしていきたいと思う。ただ、その戦績を調べようとしたところ、まとまったデータがネット上にあまり残っておらず困難をきわめたため、十分な例数の確保ができなかったことを最初にことわっておく。

2006年以降の公式戦の成績についてはバーチャル高校野球(スポーツブル)[https://vk.sportsbull.jp/koshien/hs/]のページで調べることが可能である。
2006年以前については一部については高校野球ドットコムの学校検索から遡ることが可能であることが分かった[https://www.hb-nippon.com/]。しかしその情報もすべてを網羅しておらず困っていたところ、こだわり高校野球[https://kodawari.sakura.ne.jp/index.php]さんのページで、第71回大会(1989年)から第91回大会(2009年)の優勝校についてはその世代の公式戦の戦績が残っていることが確認できた。というわけで、本稿では第71回大会(1989年)以降の優勝した世代での地方大会の戦績を分析したものを考察することにした。
週刊朝日増刊「甲子園」やサンデー毎日増刊「センバツ」あるいは「報知高校野球」のバックナンバーをたどればそれ以前の戦績も調べられるのかもしれないが、地元の図書館にはいずれもないよう。残る手段は複写取り寄せ等になるが、そもそも1988年以前のそれらの雑誌に秋季大会と春季大会の情報が載っている確証自体が私にはないのである。なおこだわり高校野球さんのページで都道府県大会の準々決勝以降と地方大会の結果についてはあることが分かっている。ありがたい限りである。

というわけで、第71回大会(1989年)以降の優勝校33校について、秋季大会と春季大会の結果を見ていく。
まず秋季大会の結果である。33校のうち17校が同年の選抜に出場している。割合は17/33(52%)と1977年以降の53%とほぼ同じである。このうち8校が地方大会を優勝し、7校が明治神宮大会へと歩を進めている(1989年(平成元年)に優勝した帝京は前年の秋季都大会で優勝しているが昭和天皇御不例のため明治神宮大会自体が中止となっている)。夏の優勝校のうち前年の明治神宮大会も制しているのは、第93回(2011年)の日大三高と第80回(1998年)の横浜の2校だけである。第80回(1998年)の横浜は松坂大輔のいた年であり、選抜大会と国体も含めて4冠を達成するなど公式戦44連勝と圧倒的な強さを誇った世代である。私が現地観戦したのは準決勝の明徳義塾戦だけだが、明徳義塾側のアルプスで周囲が「甲子園に怪物はおらんかったな」などと油断している中、松坂がテーピングを外した瞬間に球場の雰囲気がガラリと変わったのを今でも覚えている。あのときの松坂大輔は紛れもない甲子園の怪物であり、あの鮮烈な印象を忘れることはないだろう。日大三高も選抜でベスト4と上位進出を果たしており、高山、横尾、畔上、吉永などのいた世代である。この夏の決勝戦(光星学院戦)を現地観戦しており、日大三高の選手の体格と打線の破壊力に圧倒された記憶がある。
いずれにせよ春夏連覇を達成した学校がこの期間でも4校いるのと比較すると、明治神宮大会の結果との相関は相対的には低いと考えてよいだろう。

選抜に出場した17校は当然、秋季都道府県大会で好成績(基本的には決勝進出以上)をおさめて地方大会に出場を果たしている訳だが、ほかの16校についてはどうかというと、、、実は16校中8校が地方大会に出場している(都大会と道大会についてはベスト4以上で地方大会出場同等としてカウントしている)。つまり夏の大会の優勝校33校のうち25校は秋季大会の地方大会に出場しているのである。25/33(76%)とその比率は高く、夏の優勝校を絞る条件としてかなり有効であることが分かる。

では、春季大会についてはどうだろうか。春季大会は甲子園に通じない大会で、強豪校は控えの戦力確認が中心でその成績は戦力とはそこまで相関しないと一般的に考えられている。このようにあまり重要視されない大会ではあるが、実際に調べてみると夏の優勝校33校中21校が春も地方大会に出場している。21/33(66%)とその割合はかなり高い。
ただ、このうち18校は秋季大会と春季大会ともに地方大会に出場しており、春季大会のみの学校はわずか3校と少ない点に注意が必要である。逆に言うと18/33(55%)の夏の優勝校は秋季大会と春季大会ともに地方大会に出場しており、その母数の少なさを考えると選抜での上位進出と並んで重み付けをするポイントとなりそうである。
春季大会のみ地方大会に出場の3校は、
第97回(2015年)東海大相模
第96回(2014年)大阪桐蔭
第90回(2008年)大阪桐蔭
である。
2008年の大阪桐蔭はエース福島由登、ショートに浅村がいた年であり、秋季府大会は準々決勝でPL学園に負けているが、春季近畿大会は準優勝している。2014年の大阪桐蔭はエース福島孝輔、内野に峯本、香月、正随、福田がおり、他にも青柳などその後プロ入りする野手が4人、主力が全員社会人まで野球を続けた世代である。この年は秋季府大会4回戦で履正社に負け、春季近畿大会を優勝している。大阪は(近年では)大阪桐蔭と履正社を中心に強豪校が多いにもかかわらず最近までシード制がなく、序盤で潰し合う展開が散見されたという特殊性によるのだろう。今後はシード制の導入により、こういう例は減っていくと予想される。
2015年の東海大相模は下級生から活躍していた小笠原・吉田の2枚看板を擁した年で、他に野手には豊田がいた。秋季県大会は準決勝で平塚学園に敗退し、春季関東大会は準決勝で浦和学院に負けている。その前年の2014年に青島・佐藤・小笠原・吉田で140キロカルテットなどと言われて優勝候補として注目された年であったが、初戦で盛岡大付に敗退している。今や最速140キロの投手は強豪校では普通となったが、当時としてはその先駆けだったと記憶している。
いずれにせよ、大阪、神奈川という全国有数の激戦区限定で見られる事象である可能性が高い。他にここに含む都道府県としては東京ぐらいのレアケースと捉えるのが良さそうである。

一方、秋季大会と春季大会どちらかで地方大会に出場している校数は?とみると、ここまでの情報で明らかであるが28校となる。割合にして28/33(85%)となる。つまり、その世代の秋季大会もしくは春季大会で地方大会に歩を進めた学校という条件を設定すれば85%の確率でその年の夏の大会の優勝校が含まれるということになる。

次に例外となる残りの5校について詳細にみていく。以下がそのリストである。
第98回(2016年)作新学院
第89回(2007年)佐賀北
第76回(1994年)佐賀商
第75回(1993年)育英
第74回(1992年)西日本短大付
の5校である。
佐賀北は7年ぶりの甲子園出場な上に、その世代の公式戦が秋季県大会初戦敗退、春季県大会3回戦敗退とどう考えても優勝校予想には入れられないようなお手上げな戦績であり、イレギュラー(外れ値)として取り扱わなければならない。がばい旋風と呼ばれるように甲子園に行ってから確変が起きたチームと言って良いだろう。
では、残りの4校について詳細に見ていく。
まず2016年の作新学院である。その後、プロでも活躍することになる今井達也と入江大生のいた世代ではあるが、秋季県大会ベスト4、春季県大会ベスト8と惜しいところで地方大会出場を逃している。前年の選手権では甲子園に出場しているものの今井はメンバー外、入江も背番号11で1イニングのみの登板と最後の夏で見せたような打力を示せていない。最後の夏の大会までは今井のコントロールが安定せず、2番手の入江を投手として試した春季県大会でも結果を残せなかった。それが一転、今井が最後の大会で覚醒し、とんでもない投球を見せたのは記憶に新しいところである。作新学院は2011-2021年まで10大会連続で夏の甲子園に出場しており、この年は6年連続で4年前にベスト8と秋春と結果を残せなかったものの選手権制覇へ向けたモチベーションは高かったことが想像される。
次に第74-76回の3年間の優勝校についてみていく。ちょうど私が高校野球を好きになった頃であり、一番古い私の記憶がこの辺りである。初めて甲子園で高校野球を見たのが第73回大会の高橋由伸のいた桐蔭学園の試合だったと思う。
1994年の佐賀商は2年生エースの峯(2022年長男の大翔くんが横浜高校に進学)を中心に下級生が主力に多かった年である。秋季県大会は初戦敗退だが、春季県大会はベスト4と惜しいところまで辿り着いている。下級生が多かったため夏に向けて戦力が強化されたと考えられるが、過去4年間の甲子園実績も2年前の選抜の2回戦敗退と優勝予想の中核には据えづらい。佐賀北といい佐賀は過去2校もこういう大番狂わせを起こした県であり、特殊な県民性があるのかもしれない。優勝校予想の天敵だが、大穴枠の筆頭といえる。
1993年の育英は秋季県大会は2回戦敗退(ベスト16)、春季県大会はベスト8で敗退している。ただ、前年選抜でベスト8には進出しており、候補校として残すことはできるだろう。主力打者として大村直之がいた年である。投手は井上、酒谷、松本の3人で勝ち上がっている。ちなみにこの年は埼玉出身者としては春日部共栄が2年生エース土肥を中心に埼玉県勢初制覇に迫った年として印象深い。
1992年の西日本短大付は秋季県大会4回戦敗退、春季県大会5回戦敗退である。ただ、2年前の選手権でベスト4と優勝候補に残す条件を満たしている。2回戦登場の全5試合でエース森尾が4完封を含む1失点で投げ抜くという脅威的なピッチングをして勝ち抜いた年である。

ここまでの結果をまとめて、下記のような条件設定をすることによって優勝候補校を効率良く抽出できると考えている。
1)前年の選手権あるいは同年の選抜大会に出場している。
2)過去3年以内に甲子園で上位進出(ベスト8以上)を果たしている。
条件1が33/44校(75%)、条件2が32/45校(71%)でどちらかを満たすという条件では41/45校(91%)となる。
3)秋季大会もしくは春季大会で地方大会出場同等の成績を残している。
条件3は39/45校(87%)である。

条件1と条件2に含まれない4校というのは、
第95回(2013年)前橋育英
第89回(2007年)佐賀北
第76回(1994年)佐賀商
第62回(1980年)横浜
である。佐賀北と佐賀商については上記のとおりお手上げである。一方、第95回の前橋育英は2年前の選抜に初出場して初戦敗退。夏の大会は初出場ながら一気に頂点まで駆け上がった。当時2年生エースの髙橋光成を擁した年である。秋季関東大会ベスト8と惜しくも選抜出場は逃したが、春季関東大会準優勝と自力をみせている。甲子園実績的に予想の中心には入れずらいが、春季大会と秋季大会両方で実績のあるチームは予想するにあたってダークホース的に頭の片隅においておきたい。1980年の横浜はエース愛甲で甲子園初優勝を達成。他には捕手片平、セカンド安西と3人がプロ入りしている。この世代の戦績を調べると秋季関東大会には出場していないが、春季関東大会を優勝している。過去4年以内に甲子園出場履歴があれば春季地方大会での上位進出校は伏兵として注目するに値するのかもしれない。

ちなみに第59回大会(1977年)まで遡って秋も春も地方大会に出場していないのは、
第70回(1988年)広島商
第65回(1983年)PL学園
の2校だけである。1988年の広島商は前年の選手権で初戦敗退、秋季県大会ベスト4、春季県大会ベスト8とあと一歩で逃している。2016年の作新学院と非常に似た状況である。私は世代的に知らないが、上野投手と山本三兄弟が話題だったようである。一方、1983年のPL学園は秋季府大会ベスト8、春季府大会は準優勝(春季近畿大会は開催地以外は各府県優勝校のみの参加)と実質的に地方大会出場と同等の成績を残している。KKコンビが1年生の年で春から夏にかけて戦力が充実した特殊性があり、下級生に有力選手がいる高校の戦力分析に注意が必要であることが分かる。

結論としては、
A)過去4年以内に甲子園出場経験がある。【大前提】
B)前年の選手権か同年の選抜に出場している。
C)過去3年以内に甲子園で上位進出(ベスト8以上)を果たしている。
D)秋季大会あるいは春季大会で地方大会出場レベルの戦績を残している。
 (少なくとも都道府県大会でベスト4への進出が必要。)

あたりが優勝校候補の絞り込みに有効といえそうである。
参考までに、「B or C」かつDを満たすのは37/45校(82%)、都道府県大会ベスト4まで拡張すると39/45校(87%)である。そこにAかつDを加えると地方大会出場レベルだと39/45校(87%)、都道府県大会ベスト4まで拡張すると42/45校(93%)となる。最後の例外3校は2007年佐賀北、1993年育英、1992年西日本短大附である。

以下では実際の秋季大会と春季大会の戦績リストを公開している。

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