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「大丈夫」なんて言わないで

私は「大丈夫」という単語を極力使わないようにしている。多用されすぎていてチープな感覚でしかなかったし、
経験として、その場限りの慰めにしかならないイメージがあったのだ。

何かあった時に「大丈夫だよ」なんて言われても、
全然大丈夫じゃないよ、大丈夫じゃないから困っているし、これから頑張っていかなきゃいけないんだよ、なんて思って素直に受け取れない。

そんなひねくれた性格もあって、相談や愚痴のようなものを人に話すことが少ない。

そして厄介なことに、おんなじ言葉でも、言われたタイミングや言った人によって感じ方が変わることがある。

表面上しか知らない人からの「大丈夫だよ」よりも、
私の事情も、してきたことも全部見てきた人からの「大丈夫だよ」の方が幾分かストレートに入ってくる気がするのだ。



ただ、その日は違った。

一年前。
仕事を終えて、たまたま職場のMさんと並んで食事をしていた。
きちんと二人で話すのは2回目だったけれど、ポツリポツリと交わされる会話は、どこか心地が良かった。


「その……..」

私は話した。
仕事を辞めようとしていること。この先まだ何も決まっていないこと..…。

「そうかそうか」

そう言ってMさんは黙った。

あーやっぱり話さない方が良かった。
何を調子にのってベラベラと話しているんだ。話をされた方も反応しづらいだろうに。

「まあね、大丈夫だよ、キョーコちゃんなら。」

Mさんは静かにこっちを見て、ふっと笑った。

一瞬目が合った気がしたけれど、

彼女は既に正面を向いていて、何事もなかったかのようだった。

私は何も言えずに、しばらくMさんの目頭に深く刻まれた笑いジワを
じっと見つめていた。


人によるとか関係なく、なんだか無条件に心にくるものがあった出来事だった。

その人が自分より年上だったからかもしれない。貫禄があったからかもしれない。その場の雰囲気がそうさせたのかもしれない。

でもその時に、胸にグッと込み上げてくるものがあったことを私は忘れない。

これは私自身の想像でしかないけれど、
たぶんあの人は、今私が抱えている悩みは解決する、いい方向に向かっていく、という意味で発したんじゃなくて、それら全部ひっくるめて大丈夫であると....…。
「人生もあなたもそれでいい、大丈夫」ってことを伝えていたんじゃないかな、と思う。

つまり、全て肯定していたのだ。


もしかして、今までの人たちも、そういうつもりだったのかな。

言葉って不思議だ。そして面白い。






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