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少年と少年 第2話

第2話
汽車が遅れ、心配したけれど、集合の8時少し前に水主町に着くことができた。
もう、1年生全員と、3年B組合わせて約120人が集合していた。
佐藤はすぐに3年B組の所に行き、川島先輩を見つけ出し、
「妹さんに会いました」と言っていた。川島先輩も嬉しそうに応えていた。
点呼が終わると作業に取りかかる。
運動会の綱引きで使うような太いロープを大きな家の2階の柱にくくりつけ、憲兵さんの「始め!」の合図で、みんなで「ヨイショ、ヨイショ」と引っ張る。初めて建物疎開をやった時は、こんな事で家は倒れるのだろうか?と思ったが、大勢で何度も引っ張るウチに家は傾いてくる。ふと見ると、僕達がロープをひっぱっている向こう側で、僕の婆ちゃんによく似た、お婆さんが涙を流していた。きっとこの家の持ち主だろう。このあたりは江戸時代、広島藩の水軍の本拠地だった。その水軍の要員を「水夫(かこ)」と言い、その人達が明治以降、水上運送で儲け、立派な船屋敷と呼ばれる家を作っていた。この町は広島では格式ある屋敷町として知られていた。
太い柱に支えられた大きな家はなかなか倒れない、僕達はさらに大きな声で
「ヨイショ、ヨイショ」と引っ張った。お婆さんが涙を流しながら壊されていく家をずっと見ているので、気になって仕方がなかったが、手を抜いたら憲兵さんの怒鳴り声が飛んでくる。
家が少し傾いてきた時だ、僕の後ろでロープを引っ張っていた佐藤が
「アレなんじゃ?」
と言った。
「アレって?」
と僕は聞いた。
「ほらあそこさ。飛行機じゃ」
と空を見上げる。佐藤が見る方向を見ると真っ青な夏空に飛行機が3機キラキラ光りながら、飛んでくる。
「アメリカかいねえ?」
佐藤が言う。僕は
「もしアメリカでもきっと偵察機じゃ。爆弾は落とさんさ」
と言った。僕は、飛行機よりお婆さんの涙に気持ちが行っていた。
「そうじゃのぉ。空襲警報も鳴らんしね。広島は呉と違うて軍艦もおらんけぇ爆撃しても意味ないもんね」
と言う。
一週間前、広島から約20キロ南にある呉は、ものすごい空襲を受け、町は焼き尽くされ、停泊していた軍艦も沢山やられた、と噂が流れていた。
しゃべりながら、ロープを引いていると憲兵さんに見つかり
「そこ何やっている。気合いを入れろ!」
と怒鳴られた。僕と佐藤君は首をすくめて、
「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声に合流した。
            ∞
「目標は『相生橋』。T字型の奇妙な橋だ。この真ん中にドンと行け。でもリトルボーイは今までの爆弾のように地上に落ちて爆発するのではない。爆発は上空だ。空で光と熱と爆風を出す。橋の約600メートル上空だ。エンパイヤステートビルの高さが約440メートルだから、それより約160メートル上で爆発する。その熱は摂氏100万度。太陽の表面は6000度だというから、その150倍もの熱を出す。爆心地の地上の表面は3000度~4000度になると言われている。鉄は2800度で気体になる。つまり消えて無くなるのだ。木や人間は勿論、鉄もみんな消えてしまうのだ。どうだ、すごいだろう」
機長は興奮している。オイラには何が何だか分からない。オイラのこの小さな体に
太陽の150倍もの熱を出す力があるのか?オイラの体の中にはウラン235というものが頭とお尻に分けておかれている。これを爆薬を使ってぶつける。そうすると原子というものすごく小さいモノがものすごい勢いで次々と玉突きし、「連鎖反応」になり、B29が普通の爆弾で1400回攻撃するのと同じくらいの爆発になるのだという。
そしたら戦争は確実に終わるのだそうだ。
 
ティベッツ機長は操縦桿から手を離して、自動操縦に切り替えた。そして爆撃手のフィアビーに向かって言った。
「フィアビー、あとは任せるぞ」
フィアビーは
「イエッサー、機長!」
と大きな声で答えた。
フィアビーはオイラを完全に爆発させるために3つの手段を用意していた。
1つはネジ式の時計を使った時限装置
2つめは気圧が高くなると作動するスイッチ。
3つめはアンテナが地上から反射する電波を受信し、地上からの距離を測り、自動的に炸裂する装置。このアンテナはオイラの頭のところに魚のヒレのように付いている非常に優れたアンテナだ。日本人の八木博士が開発したので「八木アンテナ」と呼ばれている。日本の軍隊は、この優れたアンテナを馬鹿にして使っていないらしい。イギリス軍もアメリカ軍も使っている、こんな優れたアンテナを使わないなんて日本人は賢いようで、賢くない。
 
まもなくだ。
 
投下のスイッチが入る前に、オイラが乗ったエノラ・ゲイの後ろに付いていた観測機が3個のパラシュート付き観測容器を投下した。
               ∞
「あれなんか落としたぞ。パラシュートじゃ」
佐藤は、あの3機の飛行機が気になって仕方がなかった。憲兵さんに怒られてもこっそり見続けていた。
「パラシュート?」
涙のお婆さんを見ていた僕も気になり空を見上げた。確かに真っ青な空にパラシュートがフワリフワリと浮いて落ちてくる。
「なんじゃろう?」
すると
「そこの二人、どこを見てるー!何度言ったら分かるんだ」
とまた怒鳴り声が飛んできた。
              ∞
照準レンズにある十字線の真ん中に橋が来た。
フィアビーはスイッチに手を掛けた。
「十字の橋だったら、十字架を攻撃するようでとてもできないが、これはT字だから問題ない。これの真ん中だ。オレが今スイッチを押したら人類の歴史が変わる。頼むぞ少年、ちゃんと落ちてくれよな。途中でひっかかって、この飛行機もろとも爆発なんていやだぜ」
フィアビーは狭い爆弾倉の中で独り言を言った。
                 ∞
大きな屋敷はみんなでひっぱるとグラグラと動き出した。
「もう少しだ、頑張れ!」
と憲兵さんの声が飛ぶ。
それにしても暑い、さっきまで爽やかだった朝の日差しは日が高くなるにつれ、ギラギラと照りつけ始めた。
「ヨイショ、ヨイショ」
かけ声が大きくなる。
                  ∞
フィアビーは自分の指を見つめた。この指が歴史を変える。
1945年8月6日、午前8時15分17秒。
フィアビーの指が動いた。
爆弾倉の扉が「パカッ」とあいた。
オイラを支えるモノは何もなくなった。
フワリと。まるで落下傘部隊の兵隊が空に飛び出すように宙に浮いた。オイラは機長のママのおなかから真っ青な空に飛び出し叫んだ。
「ヒャッホー!」
「オイラが戦争を終わらせる。ユダヤ人の子どもを大量殺戮したナチスの仲間の軍隊を徹底的にやっつけてやる。そして平和を作る、イクゾー!めざすは Tだ」
オイラはすぐに時速1200キロになった。
                 ∞
 大きな屋敷はグラグラするもののなかなか倒れない。
今朝、汽車の中で恵子さんが言っていた「水主町は大変よ。大きなお屋敷ばかりだから」の言葉を思い出した。大きな屋敷は「倒されてなるものか」と言っているように踏ん張って倒れない。お婆さんの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。その涙を見ているとかわいそうでならない。
「なぜこんなことまでしなければならないのだろうか?こんなことまでしなければならないのだったら、日本は戦争に勝てるのだろうか?もしかしたら恵子さんのお父さんが言う『この戦争は勝てないかもしれない』という言葉は本当なのかもしれない」
そんな思いが僕の中でぐるぐると回っていた。
                ∞
1945年8月6日、午前8時15分40秒。
オイラはお尻についた四角い羽をゴーゴー言わせながら、地上に近づいていく。広島の町が見えてくる。まもなく高度2100メートルになる。そうすると気圧が高くなり電気回路がつながれ、その9秒後に爆発するはずだ。めざすはTだ。
少しずれている。
                 ∞
それにしても、恵子さんはどこへ行ったのだろう?もしかして駅からどこか別の所へ行ってしまったんだろうか?そんなことをしたら大変だ。学校はやめさせられるだろう。そうじゃなくてもお父さんが警察に連れて行かれた事は学校にも伝わっているはずだ。目を付けられているに違いない。市立女学校は良いとこのお嬢様達が通う学校で規律も厳し
い。
僕はボンヤリとそんな事を考えていた。
佐藤が
「あれ?またなんか落としたぞ」
と、まだ倒れない大きな屋敷の上空を見て言う。
彼は野球部だけあって、メチャクチャ視力がいい。いつも
「わしは外野におってもキャッチャーのサインが見える」
と言っている。僕はパラシュートは見えたが、それは見えなかった。
             ∞
1945年、午前8時15分50秒。
 「地上が見えてきた。建物も、人も見える。おーウジャウジャいる。建物にロープを付けて何をやってるんだ?おい、そんなことしてないで反撃してこい。戦争だぞ」
「軍隊はどこだ?憎っくき残虐な日本軍はどこだ?」
「ウン?待てよ」
「こいつらは軍隊じゃない」
「子どもじゃないか?」
「ちょっと待てよ」
「話が違う」
「オイラは子どもは殺したくない」
「ティベッツ機長、言ってることが違うぞ!」
「ちょっと待てよ」
「オイラも子どもだ!」
           
      

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