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パルワールドの評判から見る著作物や知的財産との適切な向き合い方


🐏はじめに

2024年1月19日、日本中を震撼させたオープンワールドサバイバルゲーム「パルワールド」が発売された。
開発したのは「クラフトピア」や「オーバーダンジョン」でイタズラ好きのゲーマーたちの目を釘付けにした、日本のゲームスタジオであるポケットペアだ。

このゲームは多くの有名ゲームのオマージュ、パロディが含まれており、その行き過ぎた描写から「パクリだ」「卑怯」「倫理的に許せない」といった反発を大いに受け、日本中から称賛と共に批判を浴びせられている。

インターネット上では

  • 「日本がこんなパクリゲーを作るなんて品位が疑われる」

  • 「任天堂の作品を汚している、罰せられるべきだ」

  • 「生成AIで模倣品を作って売る輩を肯定するも同然だ」

  • 「今後のゲームクリエイターのモラルの低下に繋がる」

などの過激な批評も目立ち、老若男女荒れ狂っている。

どう見たって権利的、倫理的に危ない橋を渡っているこの作品がどうして称賛され、どうして批判されるのか。なにゆえ火種が耐えないのか。これからどうなってしまうのか。私たちは一体何を守っているのか。
うだつのあがらぬゲームデザイナーとして働く身から、この社会派作品の周囲を解きほぐす評論を、(落ちた隕石の熱がまだ熱いうちに)ここに残しておくこととする。

長い話が嫌いな方のために、先に結論を設けよう。

  • ポケットペアは娯楽に真摯に向き合っており、悪意のもとにゲームを作ってはいない。制作方針に関して「お行儀が悪い」のは確かだが窃盗を働いていなければ罪ではない。

  • 仮に「パルワールド」がポケモンに酷似したデザインを理由に処罰が下ってしまった場合、それを行わせたのは(株)ポケモンの意志ではなくユーザーのヒステリーやメディアの煽動に忖度した行動である。

  • 任天堂と(株)ポケモンは自社の知的財産であるポケモンを守る目的で「他社の著作物であるポケモンではないもの」を自社のものだと主張することはない。ただし窃盗があった場合はその限りではない。

  • もし、パルワールドが窃盗を働いていないにもかかわらず、(株)ポケモンの要請によりデザインの変更を余儀なくされたとしたら、メディアの煽動に合わせた行動を日本を代表するゲーム会社が行ったとしたら、それは日本のゲーム産業および同人ビジネスの経済的な終焉と恒久的な閉塞を約束する。一部のユーザーの自己実現と引き換えに、日本からは二度と面白いゲームは生まれなくなる。

以上について細かく語っていく。


🦜あなたのための注意書き

だいぶ説教臭い記事なので、大半の人は半分も理解できない(受け入れたがらない)と思う。読みたい人は軽い気持ちでナナメ読みしてください。あと気分が悪くなったら無理には読まないでください。私は私のポリシーにより、あなたが健やかな日々を送れる行動に敬意を払います。


🐏ポケットペアは許されざる存在か

予め断っておくと、私はこのパルワールドというプロダクトに対して肯定的だ。ただしそれは「ゲームの出来栄えや良し悪し」に対してではない。ゲームクリエイターとしてこの道を選び貫いた、ポケットペアに集ったそれぞれのメンバーの意欲と覚悟に対して、敬意を表している。

「この作品は(この会社は)許されざる存在だ」と熱を上げる人々は、どこまでゲーム制作というものを理解しているだろうか。どこまでゲーム業界を把握し、また何を信じているだろうか。
どのようにポリシーを掲げても構わない。感想は自由だ。当事者ではない私がここに好きなように書いていいように、何も知らないあなたも好きなように発言してよい。「許されざるパクリだ」という批判的な意見を拒否することはあっても、批判的なあなたを拒否することはしない。
しかし。
あなたはその義憤に燃える心が「京アニを燃やしたあの卑劣漢のそれとは違う」ということを証明する、戦いを続ける勇気はあるか。

私とて、自らの信条や美学にそぐわない作品は気に入らない。イヴァリース・アライアンスの作品群のイラストをこれでもかと模倣した『グランブルーファンタジー』、SFC時代のFFのアイデンティティの皮を着て振る舞った『ブレイブフロンティア』、世界中の伝承や偉人を流用して女体化改変エロ要素なんのそので横暴な同人ゲーとしてイタい感じで生まれたにもかかわらず清廉潔白を目指して走り続け、それが認められた『Fate』シリーズ。
その他、私が嫌悪感を持って触れも喋りもしなかった作品は数多くあり、それらは世間的に「成功している」だの「これもあっていい」だの「嫌ってる人もいるけど私は好き」だの称賛され、勝てば官軍負ければ賊軍の理論で私を閉口させる連中の語り草となっている。あとで語るが、日本人に大人気の『原神』は白猫の伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドの軌跡である。

それらの作品たちや悪びれない企業たちについて攻撃を控え、勝負を挑まず2歩も3歩も引き、何なら関係者に出会う機会すらもいただいたうえで「生理的に無理」という言葉でまとめさせてもらうほど嫌悪感を身体が発して鬱を発症してしまう、そんな私が辿り着いた答えは、世間的、倫理的、経済的に正しいのか?という薄っぺらいうわべの綺麗事などではなかった。大事なのは「彼らは何のためにそれをやりたいと思ったのか」だったのである。
ゲームの善悪とは開発者の意図、それが全てだ。ポケットペアは、何がやりたくてこれを作ったのか。ただそれだけが唯一信用できるファクターだ。

例えば状況が似ている作品として、クレームが届きそうなほどの高品質オマージュやパロディに徹した『ポプテピピック』はどうか。作者やアニメ制作陣はそれでメシを食っているにもかかわらず好意的に捉えている消費者のほうが多い。それは制作者の意図が「危険でひどいことをして他人を笑わせよう」という利他的かつ自己犠牲的なもので構成されており、その意図を消費者が汲み取った結果の総合評価である。
その意図が「誰かの権利を奪って自分たちのものとして上書きしてしまおう」だとか、「手段を問わずバズって収益を得てやろう」といった賊のような意識であれば、ポプテピピックといえども受け入れられることはなかったはずだ。

すべての制作において、雑念や悪意は作品に宿る。つまり「有名になって女の子にモテたい」、「KPIを達成して上司に気に入られたい」、「今のプロジェクトは単なる踏み台で次の事業が本命」と考えて作った大作RPGには、楽しませたいという方便はあってもその意図がない。
あなたは嘘をつけるかもしれないが、あなたの作品は「嘘をついている」という事実も含めて一切の嘘をつかない。

🐓ポケットペアのここがえらい

さて、説教臭い大事な前置きが終わったところでポケットペアの一体何が敬意に値するのかを書き並べると3点ある。

  1. 制作の意図を「めちゃくちゃ面白い(=笑える)」だと決めたこと。そしてそれを満たすためだけの道を敷き、多くの開発者が執着する富、権力、名誉(=売れる、繋がる、バズる)に対する執着を捨てたこと

  2. ゲーム制作の大切なことが何かをブレさせずにチームのモチベーションを保ち続けたこと、ゲームのコンセプトはふざけていてもチーム運営をふざけなかったこと

  3. 他社の権利を仮に奪えるとしても奪わない、ケンカしないと決めたこと。法律上問題ない範囲であることを慎重に精査しつつオマージュやパロディを行っていること

要は、「娯楽において笑えるとは何か」以外を追求していないのである。それが「有名なコンテンツを起用した、怒られるギリギリのお行儀が悪いブラックユーモア」に着地したことで数多くの批判は生まれてしまったが、それこそが現代社会の多くのZ世代が求める「現実社会を茶化すナンセンス」の極致であることを彼らは命を張って見せつけた。
彼らのスピリットはドリフの大爆笑やモンティ・パイソンと何ら変わらないのだ。ただただ稀代の天才コメディアンがゲームばかり作ってテレビに出なかっただけで。
パルワールドとポケットペアは、日本のゲーム業界が世界に誇れる新しい財産である。しかもさくまあきら氏ばりにコメディ寄りの。果たして日本人の何人がその価値に気付いているだろう…。

彼らは何も嘘をついていない。命を張って身体を張って、ギリギリの危ない橋を渡って世界を茶化して笑わせた。
コメディアンたる彼らの意図を信用できない人々は、自分が笑えない理由とその所以に一刻も早く戸惑うべきだ。

🐏任天堂や(株)ポケモンはいつ怒るのか

日本において任天堂はゲーム業界の重鎮のひとつであり、「最強の法務部」と恐れられるぐらいに裁判に強い企業として、そして体験がとても豊かな良質なゲームを作ることで世界的に有名な会社だ。その豊かで優しく厳しい日本を象徴するかのような類稀な思想は山内溥氏の思想にはじまり、宮本茂氏や岩田聡氏に受け継がれ、2024年の現在までその威厳と風格を奇跡のように漂わせている。

そんな任天堂および株式会社ポケモンが誇る、言わずと知れた知的財産に『ポケットモンスター(ポケモン)』がある。パルワールドのグラフィックはポケモンのそれに酷似しているとして、任天堂や(株)ポケモンの権利を侵害しているはずだと酷評が絶えない。いつか任天堂がパルワールドを懲らしめることだろうと、世間は固唾を呑んで進展を待っている。
だが、任天堂はパルワールドには振れず、パルワールドをポケモンのキャラクターで遊べるようにする改造パッチ(Mod)のほうを現れるや否や秒殺した。

そして株式会社ポケモンはパルワールドを名指しせず、それを仄めかす文面で発表を行っている。

数々のメディアがインプレッションを狙って祭りかのように囃し立て、多くの人々が強国から核ミサイルが発射されることを望むような他罰的な風潮を、それこそ私は好まない。
上記の(株)ポケモンの声明は非常にミスリードをしやすいよう意図的に書かれており、「許諾したものかどうかを確認するお問い合わせ」に対する「許諾はしていません」という状況説明と、会社の姿勢として「ポケモンに関する知的財産権の侵害はあったら対応します」というルールの説明を併記しているに過ぎない。これを「ポケモンが知的財産権の侵害を認めたか」「勝敗の行方は!?」とスポーツ新聞の見出しのように囃し立てるメディアやギャラリーは、恣意的な煽動にあたるから今すぐやめろ。それは人として浅ましい。

🐓任天堂のここがすごい

任天堂はどのようなつもりでパルワールドを見守っているのか。細かく言うといろいろあるが、任天堂がパルワールドを責めない理由の極論は「別に痛くないから」である。
任天堂は寛大というよりかは「巨大」である。わざわざ他社を睨みつけて押さえ付けなくても、任天堂のやり方で大ヒットを目指せる業界のホームランバッターだ。

かつてはPSO2の水着コスチュームに「めざせポケモンマスター」の歌詞をもじったフレーバーテキストが登場したことがあったが、それを任天堂に伝えてみても彼らは取り合わず微動だにしなかった。(当時のSEGAにご挨拶ぐらいはあったかもしれない)

では任天堂にとって、損害とは果たして何か。多くの人は比肩されるディズニーの例を参考に、「自社の知的財産が他社によって汚され、ブランドイメージが失墜することだ」と考えているだろう。
しかし、実のところ任天堂は「その恐れがある」に対して動くことはない。誰が思うよりも慎重に情報を集め、それが誤っていないことを検証し、確定できたときのみ動く。
それはある種の計算高さや狡猾さを想起させるが、任天堂の狙いは自社の独自性や優位性をひけらかす事ではない。彼らは「自社によって他人の知的財産が汚され、ブランドイメージを失墜させてしまうこと」に対して慎重なのである。つまり「巨人が小さな命を潰してしまう」ことを忌避している。

コロプラをはじめ、任天堂に良い思い出がない企業は素人目から見てもそこそこいる。花札屋という生まれからして、穢れなき聖人君子だなどと言うつもりは全くない。
だが、任天堂はこれまで一貫して「自社の権利を主張することで他社の権利を侵害するのはいかがなものか」と慎重に判断したうえで行動に移している。かつてヤンチャだったがゆえに今、適切な行動を彼らは取れる。
インターネット上の人々が思うほど、彼らは短絡的に権利を主張したりはしない。それが相手の「奪われない権利」を汚す行為、相手の著作物や知的財産を汚す行為であることを理解しているから。
以前にもマリオの映画の記事で述べたとおり、任天堂は侵略者の大魔王クッパにならないように、ゲーム世界の悪者にならないように誠心誠意気をつけているのである。

彼らは数あるクリエイター企業と共に、多くのヲタクたちの著作物を尊重し、二次創作を見守っている。
私達が同人誌を買って楽しみ、X(Twitter)で漫画の切り抜き画像やゲームのクリップを共有してゲラゲラ笑い、パルワールドで好き放題GTAごっこできるのは、すべて業界の善意の解釈の賜物である。業界や政府、『巨人』たちに少しでも悪意があれば、私達はすでに地ならしによって駆逐されこの国は草も生えない(笑いも起こらない)焦土になっていたことだろう。

だから任天堂はパルワールドを責めない。あれは「ポケモン」じゃないから。彼らの著作物である「パル」だから。彼らの知的財産は彼らの著作権によって守られるべきだから。任天堂とは別の国の出来事だから。
任天堂は別の国に戦争をしかけるかどうかの判断を、常に慎重かつ冷静にやっているに過ぎない。彼らは「恐れがある」という恐怖にかられて人を殺したりはしない。彼らは「小さい」という理由で命を軽く扱うことはなく、「大きい」という理由で命を丁重に扱うことはしない。ただし、周辺の情報などから「領地への侵略または領地からの略奪行為」があると認められたとき、彼らは自衛として映画のピーチ姫の如く動く。

彼らにとって「パクリ」とは、本当の窃盗のことだけである。既存のゲームから2Dスプライトや3Dモデルデータをぶっこ抜いて使ったり、プログラムをリバースエンジニアリングして流用したりしていたら、あとは知らないよ。

🐏著作権はどのように守るべきか、何が知的財産なのか

今回の問題で法律やゲーム制作を専門としない人々や混乱に乗じてインプレッションを稼いでやろうと企むジャーナリストたちが度々論争するテーマに「デザインは著作権か」という議題がある。知的財産における「意匠権」の分野である。

似てるんだから侵害だろそれを連想させるなら侵害だろっていうディズニー論で語る人々は多く、中国や韓国の露骨なパクリ文化に嫌気が指してさらには生成AIが物議を醸した結果、日本は自分たちの知的財産や販売の機会を奪われることにウンザリしており「他人のまわしで相撲を取る悪人を懲らしめるために著作権を振り回すことが何よりの正義だ」と警察のようにあちこち捕まえようとする私人逮捕系ユーザーで溢れかえっている。これは無知に基づく誤った風潮である。

先程述べたように、他社の制作物が自社のものに酷似している場合、「自社の著作物を侵害している」と断じてはいけない。それは法律的にそうだからという話ではなく、言わないことこそが無関係な別モノだという意思表明になるからである。例えばデジモンや妖怪ウォッチを指して「それはポケモンですやめてください」と糾弾してしまうと、逆説的に任天堂はグレイモンやジバニャンのデザインをポケモン相当のものとして認めることになってしまう。それは自社ブランドにとって逆に傷がつく行為なのだ。場合によっては「僕が描いたものは公式が太鼓判を押した、れっきとしたポケモンです」と胸を張っていたアーティスト達の心を傷つけることにもなりかねない。
果たして君たちは有名なデザイナーになったとき、他人が描いた類似品を「俺のものだから返せ」と言い張るリスクにどれだけ耐えられるかな。

ちなみに著作権侵害だろって訴えて裁判に勝利しても、「紛らわしい商法にあたるからこれは不正競争防止法違反ね、著作権法違反じゃないね」となったケースはある。そんなのはもはや著作権侵害だろって顔真っ赤にしてただけの単なる赤っ恥である。

知的財産権は「自分の作品が守られる権利」であって、「自分の作品で人を殴っていい権利」ではない。商標権、意匠権、著作権、どれにおいても自他双方に発生しているもので、互いが「競争にはなるが攻撃や略奪とは言えない」と判断できるのであれば無用な争いは避けて事実関係のみを担当者間ですり合わせ、「やっぱり別モノでしたね、安心しました」と合意したうえで別々の道を模索するのが賢明だ。
あくまで相手に同等の権利があることを尊重した決断を行う」この辺りはいくら世間的に名のある企業や開発者であっても適切な対応は難しい。昨今では大企業が「名前に著作権はない」などとしてお抱え小説家の著作物を部分的に盗用したばかりか踏みにじるという痛ましい事件が起きたばかりだ。

知的財産権とは、自分を守る権利であると同時に相手を守ることができる権利なのである。いずれかに明確な侵略や略奪の意志があるときにだけ、戦えばよい。競合する魅力を持つ他社のチャレンジャーが現れたならば、王者は権力を振りかざすまでもなく正々堂々と競争を掲げてユーザーにどちらが生き残って欲しいかを選ばせればよいだけのこと。ただパルワールドとポケットモンスターはゲームジャンルが異なりプレイヤーの目的意識が違うため、「競争しても相手にならない」が各社の判断として着地するところだろう。
知的財産権の主張はユーザーの出る幕ではなく、ユーザーに選ばれて生き残るかどうかに企業の主義主張は一切関係がない。戦わなければ生き残れない一触即発のサバイバルであるはずのコンクリートジャングルの中、権利を主張しておけば一生安泰だと思い込んでいるほうが、企業として滑稽だ。自分の力でたった独り守れないで、生きて行く甲斐がない。

🐓公共の資産はどうして生まれるのだろう

海外に目を向けると海外企業の強情な姿勢には困ったもので、黒い丸が3つ並んでいるだけで「ウチのものだ」と言ったり、加算の演算子が赤色なだけで「ウチのものだ」と言ったり、籠目模様が円で囲んであるだけで「ウチのものだ」と言ったりする人々が後を絶えない。最近では7色に塗った旗も怪しいものだ。社会的な貢献度が高い企業もあるので彼らを直接的に批判するつもりはないが、世界観の表現や訴求力のあるデザインを推敲して指示する側としては通行止めが多すぎて決定稿までたどり着かない。あまりに袋小路なので迷惑料として連中に金を逆に払ってもらえないかとすら思う。近頃では皆さんも大好きなモンエナが「モンスターは我々の商標だ取り下げろ」とまさにモンスタークレーマーのように喚いている。(パルワールドはモンスターじゃなくて「ともだち(Pal)」ですから、って言ってうまく避けたな)

日本においても、モンスター社は頻繁に他社商標登録への異議申立を行っており、「モンスター」あるいは”MONSTER”という単語を含む商標を出願するとほぼ確実に異議申立が行われる状態になっていたのは私も含め知財業界の多くの人が認識していたと思います。この機会に調べてみました。

特許情報プラットフォームで「モンスターエナジーカンパニー」を請求人にした異議申立の件数を調べると117件ありました(ロゴの類似や「モンスター」以外の言葉に関する異議申立も含みます)。その中には、ミクシィの「モンスターストライク」「モンスト」や任天堂の「ポケットモンスター」も含まれています(モンスターが出てくるゲームの商標に「モンスター」という言葉を使うなというのはちょっと無理筋ではと思います)。そして、今までに異議が認められたものはありません。0勝117敗です。

Yahoo! ニュース
「モンスター警察」モンスターエナジー社の日本での異議申立の履歴について

ところで私の話をここまで聞いてくれたありがたい読者の皆さんは「葬送のフリーレン」をご存知だろうか。私ひとりが一生懸命考えてここでダラダラと述べてもつまらないので宿題として投げておこう。どうしてドラゴンやエルフやドワーフは明らかに誰かの創作物を拝借しているにもかかわらず誰からも咎められない?

『葬送のフリーレン』

🐏日本の品位はこれから下がっていくのか?という不安の声に対する私見

ネット上では「こんなことを許していると日本の品位が下がる」という心配の声が見られたので語らせてもらうが、これは大きな勘違いである。なぜならば、商品の風潮を選ぶのは消費者だからだ。
消費者の皆さんはいつまでも勘違いしているようだが、商品の売買は正真正銘100%の民主主義だ。国家権力に「買え」と言われて疑いなしに従う消費者は日本にはいない。私もNHKには圧力に屈して渋々払っているだけで、できれば金を払いたくない。日本の経済において、売買契約において、基本的に選ばれる側は一世一代の大勝負、選ぶのは君たちだ。

「自分の金を誰に使うか」という視点で日本経済を見つめ続けている私に言わせれば、日本の品位はすでに取り返しのつかないレベルに下がっている。しかもその品位の低下は20年(下手すれば40年)近く続いており、「そんなものに金を払うのか」「そんなコスい稼ぎ方をするのか」と顔がひきつるような行為を続けていた人々は今、40代〜50代の管理職の世代かつ主要購買層だ。彼らは今何を買っていて、企業から何を宣伝されている?ネット上のどこに住んで何を主張している?過去に何をした?
まだ日本の品位が高いと思い込んでいるお兄様、お姉様がたは10代、20代の若い子とドン引きされないように仲良くしてみよう。「こんなクソな家庭や日本社会を抜け出して自分たちの尊厳を取り戻すんだ」と模索している新芽たちに「あなたのような品のある人になりたい、付いていきたい!」と尊敬されるのはエルデンリングをやるより難しいぞ。

🐓日本が過ごした幸せな暗黒時代

そして、(もう24年前になるのか…)時効の昔話になってしまうのだが、日本のコンシューマゲームが廃れたのは西暦で言うと2000年ごろで、インターネットを利用したオンラインゲーム、Webサイトで遊べるブラウザゲームというものが生まれはじめ、日本のガラパゴス化が良くない事として吹聴され「ゲームをやっているやつは社会不適合者の犯罪者予備軍、ケータイで暇つぶしアプリを電車やバスで触るのは時代が変わったから当たり前、中国・韓国が作るものはクオリティが上がってきたよ皆でのめり込もう!」というメディアによる煽動とパラダイムシフトが発生した時代だ。その頃、ゲームの何にお金を払うのかという視点で消費者の行動を見ると「闇鍋ガチャとサブスク」に傾倒していた。日本全体が統治者も生産者も消費者も上から下までダークパターンに染まった最悪な時代だ。

当時の日本のユーザーの行動を今責めても詮無いことだが、日本人は20年前から「自分の身にならないコト、手元に残らないモノ」かつ「他国の商品」を買い続けていた。日本企業の何がバカ売れしているだとか、日本発のWebサービスが世界で愛されているだとか、日本の大手が成長中の中小企業のスポンサーになって肩入れしただとか、景気のいいニュースをとんと聞いたためしがない。
私の耳に入ってくるのは、ヲタがアイドルのCDを何十枚も買ったとか、何十万もつぎ込ませるガチャで目当てのキャラがでなくてクレームつけたいのにお問い合わせフォームも隠されていて住所も電話番号もわからず運営がのらりくらりだとか、ゲームは発達障害のチー牛がやることだとか、日本のスマホは買わずに高級なiPhoneを2年に一度買い換えるだとか、無料のLinuxで済む話にもかかわらずMacbook Airでオシャレに開発しているだとか、大手メーカーがPC・スマホを作るのをやめたとか、お店の菓子やハンバーガーが目に見えて小さくなっていくとか、オレオレ詐欺に日本人が集団で関わっていたとか、日本のゲームメーカーが韓国のソシャゲ大手と手を組んだとか、中抜きが一向に消えないくせに下請けのプログラマーの給料がアニメーター並みに低いだとか、中国の富豪が日本の土地を買い占めていただきストリートしているだとか。
そんな話しか聞かない20年がまともな経済状況であるわけがないだろ。

当時の主要購買層であった人々は「金がない金がない」と疲れた顔で文句を言いながら、海外の商品を買い続けていた。中国産の野菜を買って節約気分を味わい、アメリカ産の牛肉で作った牛丼を仕方ないと言いつつ食べ、トレンドに合わせてK-POPを聴いて、台湾のPCで中国や韓国のゲームに大金をつぎ込み、TwitterとLINEとInstagramに入り浸って、小金が入ったらエルメスやフェラーリを買ってしまい、GAFAMのレンタルサーバーに月に50万支払って「運営も大変ですね」なんて痛み分けし、日本で生産している製品があったとしても「高い、面倒臭い、性能が低い」と言ってまったく応援しなかった。(NECとか富士通とかいい加減ゲーミングPC作れよって文句言いたくなるのはわかる)
なんでお金がないんだろう?って言われたら、消費者が海外商品を選んで自国の金を流出させてるからだ。金が天下を回ってねぇ。

別に不買運動をやれとか愛国心を高めろとかっていう政治思想的な話をしているわけではない。人のせいにする前に自分の行動が何を招くのかを客観的に見定めようか?って話をしている。
私は中国や韓国のゲームは技術的には認めるが、ゲームデザインや課金システムに関してはリネージュなりROなりで苦悩してきた嫌悪感が募るのでゲームプレイがストレスにならないよう本腰を入れないことにしている。なんでここまでしてゲーム内で労働しながら外国に支援金を送り続けなきゃならないんだっていう苛立ちを、よくみんな受け入れられるもんだ。私は無理だ。お心づけなら日本で頑張っているクリエイターの同志に向けて贈りたい。日本からこそ原神が生まれてほしい。

パルワールドに関してはSteamのレビューに「ポケダの伝説〜」なんていうネタが投稿され盛り上がっていたが、それで言うなら『原神』は「白猫の伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドの軌跡」だ。それをわかっていて、ブレワイのパクリじゃねーかなんて言いながら、キャラクターが可愛いストーリーが素敵、日本の声優が最高、ゲームシステムが楽しいなんて言って認めてみんな腐るほど金を払った。それは日本の良質なゲームを分解して組み合わせた中国のクリエイターの「超大作」を日本のユーザーが「選んだ」ということだよ。ああ、ブルアカも人気だね。忘れてないよ。
もちろん、自分たちの生活がより苦しくなっていくことをわかっていて覚悟のもとに買うならいい。それは英断で蛮勇なる投資と言えるだろう。でも、地元が貧しいことを知らずに海外製を選び続けて日本製を叩き続けていたとしたら、私は日本人を海外に向けて「とても素敵な人々ですよ」などと胸を張って紹介できる自信はない。別に何を好きになっても構わないが、自分の行動による運命分岐、バタフライエフェクトをわかったうえで決断する恥ずかしくない日本人であってくれ。

そりゃ苗を奪われたブドウ農家さんも、種を奪われた酪農家さんも、後出しの外国産を消費者が選んでたら涙を流して悲しむよ。外国産ばかり選んで国内の生産者を軽んじる日本は一体どうなっちまったんだって。

🐏模倣を認めたら生成AIを肯定するやつらと同じだという主張に対する私見

言いたいことはわかる。ただ道理は通らない。
ひとつ勘違いしないでほしいのは、システムに悪意があるからそれをみんなが正々堂々とやってしまうのではなく、利用者に悪意があるからシステムをそう悪用するのだということだ。端的に言うと私はパルにひどいことができるシステムだとしてもそういうプレイスタイルは選ばない。ある程度学習したら、1匹残らず愛でてやろうじゃないか。

お誂え向きな話題だが、ポケットペアの別の作品に『AI: Art Impostor』という「1人だけ違うお題を渡されたペテン師」をみんなで予想しあう人狼風お絵描きクイズゲームがある。この作品は生成AIを利用している。

「面白そうだからリリースしよう」というポケットペアの意図とは裏腹に、この作品はお題と関係ないポルノ生成を目的とするユーザーが現れ結果的に荒れてしまったらしい。それはポケットペアが仕込んだ悪意でもなければ生成AIの悪意がひとりでに暴走したわけでもなく、もともとそういう悪意のある利用者がシステムを悪用しただけだ。
「その機会を幇助した企業が悪い」という主張は一理あるが、根本の問題は利用者側にあるので控えるべきである。例えば同じ理屈で「チートできるゲームを作った企業が悪い」なんて大きな顔をされても困る。それはユーザーのモラルの問題だ。販売側としては提供したシステムに対して悪意のある消費者が現れたなら「他のお客さんに迷惑かけるなら営業妨害だ、出てってくれ」という至極真っ当な主張以外はない。

過去の例を見てみると、インターネット上に溢れる怪しいツール群は表向きに真っ当なことを説明していても「まあ、そういう使い方をするものだよね」とユーザーが解釈し、悪意ある成果物を作り出すために使われるものが山ほどある。
例えば昨今で言えばボイスチェンジャーやカメラ映像加工で異性になりきる技術などは、悪用するつもりかといわれれば言葉に詰まる技術である。生成AI開発の本命であるネット広告の素材制作は「生成AIの悪意のない利用にあたると思いますか?」と問えば、ほぼ全ての企業は回答を差し控えるか体裁の良い嘘を付く。

それを踏まえ、パルワールドに関してはどうかで言うと、ポケモンのイメージを損なわせることができるシステムを利用者が悪用しているに過ぎない。(しかし実際には「ポケモンのようなもの」なのでポケモンのイメージは悪くならずパルワールドのイメージが悪くなるだけ)
公式のムービーでそのような遊び方を推奨するような「悪ふざけ」をしていることは確かだが、逆にパルと仲良く触れ合って戦わせ「まるでポケモンのようなゲーム」と宣伝し、ユーザーに「デジモンよろしくの競合ゲームが出たぞ」と錯覚させたほうが、より罪深く戦争が苛烈になっていただろう。

ポケットペアは「ポケモンのようなゲームです」と宣言することを避けるがためにパルに機関銃を持たせて「※ポケモンだと思わないでください」とアピールしている。ポケモンだと解釈し、そのイメージを利用してキャッキャしているのは他ならぬユーザー達である。ポケモンのような生き物が可哀想な目に合っているのを見てられないという優しいが激しい方々は、まずそれがポケモンではなく、任天堂も株ポケもポケモンだと思っていないという事実を認知してほしい。パルの愛護団体ならパルデア地方から叫ぶのではなくパルワールドで作ろう。それが筋ってもんだ。

🐓敵の正体は「自分の持つ感情が悪意であることを理解できていない人」

話を戻すと、生成AIは著作権を侵害しているか?という花形の議論は「利用者が悪用を理解しない」ゆえに決着しない。例えば目の前に猟銃があるとして、その武器は人の命を軽視しているのか。自動車があるとして、その道具は人を殺めるためのものか。「悪用を理解しない」とは、それほどまでに罪深いものだ。鶏卵は人にぶつけて不快にさせるものではない。パソコンは他社の財産を奪うために使うべきものではない。携帯電話は性犯罪の温床となるべく生まれたわけではない。SNSは本来、人を殺す道具ではない。

生成AIは「著作権を侵害することができる道具のひとつ」に過ぎない。もともとそういう悪意のある人間が絵筆を取ることが難しかったというだけで、潜在的には人の権利を奪いたくてしょうがない危険人物の集まりだということを互いが認めない、醜い集合体だと言ってしまってもいい。そういった粋じゃない人々を、未来を育てられない人々を、国作りを行うプランナーとしては認めて受け入れてあげるべきな事がわかればわかるほど、それが私と同じ、世の中を導くべき世代だという事が明るみになればなるほど、私は気を病むのであるが。
例えば将来、女性を好きなだけ性のはけ口にしてもいいという倫理的にアレでエロ漫画がそのまま実現したかのような待望の技術や制度が現れたとしよう。それが自分の手に渡った時、自分の子供達がそれを手にした時、暴君になる権利を与えられた時、「そいつをやっちゃあ男が廃るな」と男意気や美学に従ってその誘惑を跳ね除ける『漢』になれる自信は君にはある?

悪意を自覚する、悪用を理解するということは、その誘惑に勝つということだ。そしてその誘惑に勝てない人たちのために生まれた疑似体験のゲームこそが人気を博す。人が死ぬような大げさなイタズラをしてゲラゲラ笑いたい人のためにGTAがあるし、ただ女の子を脱がせてウキウキしたい人のためにヤマなしオチなし恋愛なしのシンプルなエロゲがある。エロゲが直接すぎてダメだという世間の声に応えた結果日本のエロゲメーカーは衰退し、「総督!」「王子!」「先輩!」「先生!」と呼び慕ってくれる制服女子たちがひしめき合う準エロゲが世の中に生まれ、現実での誘惑に勝てない男たちはそれに飛びついた。
生成AIは「他人の権利を手軽に剥奪したいという欲求」を満たすゲームコンテンツとして悪用されているに過ぎない。悪事に加担することができるけど、さあどうする?と渡された人々が、今でも自分を試されているだけだ。

「そんなことやっちゃイカンでしょw」って笑わないといけない人たちが、それを笑わずにシステム=制度の後ろ盾を得て本気で他人の権利を剥奪しにいき、世間の不安を煽って、最悪、金を巻き上げる。それを人は犯罪と呼ぶのだ。日本が危うくなっていくのは社会の壊れたシステムのせいもあるだろうが、何より悪いことを悪いことだと理解しないどころか下手をすると悪いことを良いことだと逆に正当化する、その壊れたマインドセットのせいだ。

万人にわかりやすくなるよう、男性が陥りがちなケースを槍玉に挙げたが、女性も同じだ。他人の生きる場所と権利を奪うために活動している女性は、今すぐその大ナタを片付けて自分が愛する人を自分で笑わせられるかどうかを確認してくれ。

生成AIやインターネットは数々の「自分の悪意を理解できない人間」をあぶり出した。それは幼さからくるものではなく、目的意識、意図からくるもので、個人だろうと企業だろうと関係ない。
新しいサンドボックスに対して、悪意があるユーザーがその悪意を作品に載せてのさばらせている。その作品を選んで買うのはまたそのユーザーで、それが重なれば重なるほど「僕たちは悪くない」と企業化していく。それを止めることができるのは、唯一の対抗手段は、この世で最も残酷な攻撃方法である「無視」しかない。「売れない」「注目されない」「話題にならない」こそがそれらの悪意への対抗手段である。それが健闘むなしく空振りに終わるときは、身近な友人がそれを選択しないように説得するのが消費者としての限界だ。

パルワールドに関してもし大きな勘違いをしている人が多いなら残念ではあるが、他人を貶める意図が込められた作品は絵画にしろゲームにしろ買うべきではないというのは私の伝えたいことのそれだ。
生成AIにしろパルワールドにしろ、ユーザーに「悪いこともできなくはないです」と仄めかすオモチャに向き合えないということであれば、それは仕方がない。私もGTAは開発者の意図は理解できてもあまり楽しく遊べない。

「これはイケないとわかっているけど自分にとってはいいものだな…」と感じるもの(自分の気持ちが捗るもの)は、無闇に広めずに胸に留めておくべきだ。それが守れないとき、自分の悪意を理解せず垣根を飛び越えるとき、犯すという誘惑に負けたとき、今の日本のような恐慌は起きる。

これは精神論だ。生成AIを含め、何かの力を取り扱うものは自分の悪意や誘惑に打ち克て。それができない者は、堕ちる。

生成AIを使って他人の権利を侵害するもの、パルワールドを使って他社のイメージをダウンさせるもの、表層の意識としては同じだ。同じように悪意のある人間が取り扱えば、どんなゲームでもどんなツールでも他人の生きる場所と命は奪われる。それは「言葉」というツールも例外ではない。

🐓「幻惑」という、模倣とは別の悪行

パルワールドの行き過ぎた模倣は良いか悪いかで言うと、人を惑わすという点においては良くないだろう。私の周囲にも「あれポケモン公式がやってるのかと思った」と驚きの意見を述べるベテラン企画者がいたほどのことで、酷似というのはあらゆる場所と領域に「勘違い」を起こす。
いくら訴求力が極限まで高まるからと言って、幻惑を利用して注目を集めることはあまりよろしくない。将来的に「みんながそうしてるから良いと思った」という危険な勘違いを周辺に引き起こす。著名人のボイスデータを作ってディープフェイクの動画を作ったり、アイドルの写真を加工して裸になっているように見せたり、綺麗な女性の写真をSNSに載せて自分だと偽ったり、芸能人のモノマネでウケているのを100%自分の技だと語ったり、それがギャグやユーモア、パロディ、フェイクであることを明かさず幻惑し続けるのはよろしくない。

パルワールドに関しては「あたかも」という部分についてビジュアルで惑わせ、それを言葉少なにムービーで見せてほんのりと種明かしをした。ポケットペアにとっては「まだ勘違いされている方がいらっしゃるようですが」と毅然とした態度で臨むような形となってしまっているが、国民の勘違い度は度を越えてひどいものだ。ちょっと騙してびっくりさせるつもりが、幻惑魔法にかかったままで恐慌しており本気にしてしまっている。これでは冗談が通らない。笑わせようとしているのにギャグのひとつも言えない。惑わされた人々は見えない敵を作り出して権威に訴えかけ、幻惑状態のままお化けにナタを振り回している。

ウケが狙えるからってピカチュウ風の着ぐるみで下品なコントをやるのなら、早めに被り物をとって半ギレのツッコミパートに入らなくてはお客さんは不安なまま取り残されてしまう。お笑いの心理として不安や緊張からの解放がなければ、「面白い!」とは思ってもらえない。このパルワールドという危ないコント、致命的なことに「オチ」が今のところ存在しないのだ。
(※出オチとするには着ぐるみが本物のように精巧過ぎる。)

仮にポケットペアに対して私がたしなめることがあるとすれば、「小ジカをお行儀の悪い魔法で惑わせるのはほどほどに」という事くらいだ。生成AIに関しても、遊び心でやっている人間と、本気で気が狂っている略奪者は住む世界が違うから切り分けたほうがいい。その2者を同一視しているのは(あるいは自らの意思で)惑わされがちなユーザーであり、勘違いしやすいタチの人々であり、思い込みと語気が強い人々である。(下手をすると人を喰い殺しても良い理由を探し続ける魔物である。)
闇の力を扱うヒーローと、闇の力に取り込まれた魔王を同一視してしまうようであれば、そりゃ視界も曇って世間を見辛かろう。そういった人々には、コンピュータのひしめく『魔界』はまだ早いのかもしれない。

🐉あとがき

まず、これはビデオゲームを使って世の中を笑かそうとした芸人の話や。

(c) 1993 Nintendo

ゲーム屋はおもちゃを作って人を笑わせる仕事やさかいに、水道屋や電気屋みたいな生真面目な連中には務まらへんし、ゲーム屋をそうやと思い込んで見とる人らは顔洗ってきたほうがええ。ましてや政治家気取りがおもちゃを作ってインフラ牛耳ろうやなんて、それこそ片腹痛いわ。何と勘違いしとんねん。ボヤボヤしとるうちに任天堂さんはすでにそこ1周回っとんや。

バズることや儲かることばっかり考えとる芸人はどう頑張ってもオモロない。これは関西では当たり前の話。
モノマネ芸人は何よりモノマネさせてくれている師匠に敬意を払う。これも関西では当たり前の話。

それに対してお客さんが「あの人には悪意がある、悪ふざけがすぎる」って寄席で攻撃し始めたら、それこそおもろない。パクリや思ても見ていって、「おもろかったけどここはアカンな」って直接言うてサラッと次いくのが確かなお客さんや。それができるかどうかで、街が元気になるか窮屈になるかが決まる。


今、ゲーム開発者は品行方正なビジネスマンや社会のインフラを担う業者のような言動を期待されている。それ故に「保証しろ」「対策しろ」「改善しろ」「わきまえろ」などのお門違いなクレームに耐えなければならない。
それはゲーム業界の人間がそうなれると「勘違い」してマスメディアの業界と繋がり、およそ20年進めてきた改革の末路だ。

80年代、90年代に生まれた「名作」と呼ばれるゲーム、それを作ってきた大御所たちは、そんな気持ちでゲームを作ってきたのではない。パクリ、パクられはユーザーに指摘されずとも監視しあって血みどろの戦いをやってきて、他社が取りそうな特許や商標を先に奪ってしまう権利ゴロも生まれるような修羅の道の中、まるでヤクザが竹とんぼとピコピコハンマーを作って売るような滑稽な歴史を経たのちに「これが一番おもろかった」って子どもたちに選ばれて今残っているのだ。

今我々が選ぶべきは、権力と金のことしか考えてない政治家くずれのビジネスマンではなく、アホなことをやって笑われたり怒られたりする「娯楽のクリエイター」だ。そんなに心配せんでもやりすぎとるやつは面白くないから必ずゲンコツで怒られる。アホな娯楽を作ってくれるクリエイターに、権利書を持って立ち退きと差し押さえを要請するビジネスマンが乗り込んでくるような社会は世も末や。カネや権利やでやかましいだけで笑えない日本なんか、志村けんさんも坂田師匠も天国で泣いてまうわ。

私は日本がもう一度世界に勝負をかけられるように、アホなことを真面目にやる人々を応援したい。日本が自分たちの国を誇れるようになるために、金と権力の政治家ごっこをゲーム業界に持ち込んできた人々を少しずつでも追いやりたい。だから、そのうちお行儀の良い笑いを気持ちよく提供してくれるようになるパルワールドは応援させてもらう。

この国は私の世代がやらかしたおかげで20代を中心に少しずつ良くなっている。誰かが作ったものをどう扱うのか、どんな気持ちで誰にお金を使うのか、しっかりと考えてから「人を笑顔にする権利」「人を守ってあげられる権利」についてみんなには知っていってほしい。ゲーム制作っていうのは、そういうものなんや。


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