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大人になって読書感想文(6冊目)

〈参考文献〉
井上靖(1969) 額田女王 新潮文庫

2021年8月、舞台に出演し、大海人皇子役を演じました。その過程で彼の周辺の歴史を調べていると興味が湧き、歴史小説を読んでみようと言うことになりました。

今までは現代の文章の本しか読んでいなかったので、当時の言葉遣いや名称、感性に慣れるのに時間が掛かりましたが、逆にその世界にハマってからは最高という感じでした。

中でも、当時に生きる人達の感性、いわゆる「いとをかし」とか「あはれなり」というのが本作中で暴れ回っていて面白いです。そういう人の感性の違いも含め、本作を通して今と昔の文化の色々な違いを発見することができます。

「神の声を聞く女として生まれ付いている自分が、どうして人間の声を聞くことができよう。」(p.145)

作品冒頭、これが最初の?ポイントとなりました。要するに、本作の主人公額田女王(ぬかたのおおきみ)は、神の声を聞き、神と人とを結びつける聖なる巫女であり、人ではないので、人扱いしないでください、と主張しています。

そして何よりこのシーンで一番現代との感性の違いを感じるのは、額田女王よりも、その発言を聞く相手がそれを受け入れてしまえることです。

「大海人皇子さまに差し上げなかったものは、中大兄皇子さまにも差し上げられません。それは私の心です。神の声を聞くために生まれたわたくしが、どうして人間の声に耳を傾けて良いでしょう。」(p.206)

後に即位して天皇になる中大兄皇子(なかのおおえのみこ)や大海人皇子(おおあまのみこ)にこんなことを言い放ち、えげつないファンタジー理論で言い切って納得させます。

そうして額田は他を寄せ付けない雰囲気を放つ存在として次第に頭角を表していきます。読み進めるにつれて、額田が本当に神秘な女性に思えてきます。

また、額田が寵愛を受ける2人の英雄、中大兄と大海人がそれぞれのキャラクターを活かして活躍する場面も盛り上がるポイントでした。どちらかというと中大兄の方が元々神感の強いキャラで、最初から額田と気が合っていて、一方の大海人は人の欲望全開マンで、ひたすら敬遠されます。
アホやこいつ…と思うことが多かったです、大海人さん。

本作で1番好きだったのは、筑紫から近江への遷都で、嫌々ながらもピクミンみたいにご主人に付いて大移動する民衆達です。

当時の日本は現代のように、人口密度高く各地に都市機能があるわけではなかったので、有事の際には、都を住人ごと移動するという大引っ越しイベントが必要でした。当然それは民衆にとって大変なことであり、さらに筑紫から近江への遷都の時は、こないだ遷都したばっかり、という事情も重なっていたため、かなり嫌がっていました。

ただ、民衆には引っ越しすることよりも気掛かりなポイントがありました。それは、三輪山に雲が掛かっていること。

「併し、やがて、必ず雲は霽れるに違いない。」(p.438)

この感性を理解するためには本作を頭から読み進め、「地方から白いツバメが献上されました!めでたいめでたい!」といったようなノリをいくつも突破する必要がありましたが、何にせよ当時の人々が言うには、三輪山には旧都の守り神が住んでいるので、遷都の日に雲が掛かってるのはかなりやばい、とのことでした。

ここで額田が登場し、悲哀に満ちた和歌を詠んで民衆の心を動かし、さらには雲をも動かします。
すると民衆は大喜びして、満足して引っ越して行きましたとさ、というオチになります。
民衆、愛くるしい。という感想に落ち着きました。

自身が演じた時にも感じましたが、大海人皇子の欲望むき出し感、面白いなと思いました。むしろ、大海人皇子に限らず、その時代そのものが今よりずっとクレイジーな(当時の人からしてみれば今の時代の方がよっぽどクレイジーかもしれないけど)環境だったのでしょう。
本作は西暦650〜680年頃の飛鳥時代、今から1500年くらい前の日本の話です。その間で色々変わってるな、と感じる部分が多く、文中ではその違いについて書きました。しかし一方で、やっぱりそうやんなと、共感する部分もありました。

日本人、根っこにはブレない大和魂、持ってます。

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