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短編小説 『剥けないりんご』

 簡単だから、と私は言う。面倒だから嫌、と娘が言う。ピーラーのほうが便利だし、指を切る心配もないでしょ、と。

 スーパーの棚に並んだ赤いりんごを前にして、私たちは時々そんな会話をした。もう6年生なんだから、そろそろ包丁で剥けたほうがいいわね、そのほうが早いし簡単だから、練習してみたらどうかしら。水を向ける私に対して、娘はいつも首を振る。怖いから、面倒だから、ピーラーで剥けるんだから練習なんて必要ない、と。

 何度もそう断られるうちに、私は何も言わなくなった。言えなくなった、そう言っても良いかもしれない。

 ニンジンをいちょう切りにしたり、キュウリをちょっと厚めの千切りにしたり、娘は包丁が使えないというわけじゃない。むしろ料理は好きなほうで、進んで手伝いをしてくれる。けれど、りんごを始め、果物の皮は剥くことができない。

 包丁で皮を剥くという作業は、いちょう切りや千切りとは少し違う。皮の下に包丁を入れ、それを指で押さえながら動かしていくという、少し難しい動きが必要だ。誰でも最初はうまく剥けない。厚く厚く剥かれた皮は、それ自体も食べないともったいないと思うほどで、そんな犠牲の数々を経て、ようやく一人前に、そしてさらなる練習を経て、教えてくれたお母さんのように薄く、一繋がりになった皮を得ることができる。

 りんごを剥くたび、いまも私が誇らしい気持ちになるのは、そのときの母の笑顔が浮かぶからだ。上手に剥けたねえ、すごいねえ——母はそう言って、私を褒めてくれた。これで祐子も良いお母さんになれるね、と、面映ゆさに俯いた私の頭を撫でながら。そんなとき、私はこう予感したものだ。いつか、私も同じように娘の頭を撫でるのだろうと。そして、私に撫でられた私の娘も、同じようにいつか自分の娘がお母さんになった姿を思い描きながら、頭を撫でてやるのだろうと。

 それは幸せな予感だった。母が、そして母の母が繰り返した瞬間を、私もきっと繋げていくのだ、という。そして、それは未来へ、子々孫々と続いていくのだ、と。

 しかし、いざその「お母さん」になった私から、娘はそんな幸せな未来を取り上げてしまったのだった。「りんごの皮剥きなんか、包丁でやる必要がない」「食べたければ皮ごと食べたっていい」「そもそもりんごなんか食べなくてもいい」などと、そう言って。

 それはそうかもしれない、と私は思う。りんごの皮が剥けなくたって、生きていくことはできる。包丁が使えなくたって、ピーラーしか使えなくたって、困ることはないのかもしれない。「良いお母さんになれないよ」という言葉に至っては、いまの世の中、反感さえ買うだろう。人はまっさらな「一個人」として生きていくべきで、お母さんだとかお父さんだとか、女だとか男だとかそれ以外だとか、そういう余計なタグはつけられるべきじゃないという世の中になっているらしいから。

 そう考えれば、あの幼い日の私の予感を——再び訪れるだろう誇らしく幸せな日を無いものにしてしまうのは娘ではなく、いまのこの時代なのだった。必要な事以外はしなくていいというような、効率を求めるあまり余裕のないような、女の子がみんな「お母さん」になると決めつけてはいけないというような、この時代。

 だから、私は屈するのだ。私の子供でありながら、同時にこの時代の産物である娘に。包丁でりんごの皮を剥く練習をしなければいけない時代ではないから、それを押しつける明快な理由などないから、「お母さん」になるのが女の子の幸せでは決してないということになっていて、だから私が娘にりんごの皮を包丁で剥かせたい理由はただ一つ、私の予感を叶えるためのエゴということになってしまうから。

 りんごの皮一つで、たいそうな話だと思われるかもしれない。けれど、いじめっ子がいじめをしたことをすぐに忘れてしまうように、あるいは自分の行動がいじめだと気づいていないように、圧力をかける側は私の苦しみには気づかない。圧力をかけられ、屈する私の苦しみには。私が幸せだと思っていたものを、不幸の色へと塗り替えていく世の中には。

 それでも私が屈するわけは、娘を愛しているからだ。こうして私のような古い人間の「幸せ」が「不幸」になった未来では、娘のような新しい人間が幸せになれるだろう——そう信じたその日から、私はりんごの棚を黙って過ぎるようになったのだ。

 だから今日も娘のために、私は不幸を優しく装う。私はとても不幸だった、だからあなたにはその不幸を押しつけまい。あなたは女の子であることも、いずれ母になるかもしれないことも、知らないままに育てば良い。囚われないままに育てば良い。そうして新しい時代の中で、時代の価値が導くままに、その時代を生きれば良い。

 私? それでも私は大丈夫だ。屈することに疲れても、私にはあの記憶がある。私は自分のためにりんごを買い、それを包丁で剥くことができる。薄く、途切れず、美しく、「祐子は良いお母さんになれるね」、そんな母の言葉を、時代に指摘されぬように隠しながら、それは不幸ではなく幸せだったのだと、自分だけに確かめながら。

『剥けないりんご 完』

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