火葬場の思い出
火葬場と言っても、粗末なガラス張りの待合室と、その奥に焼却炉、煙突が一つ、手前側には車がぐるぐる回れるような駐車場を兼ねたロータリーがあり、その中心には桜が三本という、こぢんまりとしたもので、ぶどう畑があるほかには、すぐ近くに民家が一軒、その民家こそ、祖父母の住む家であった。
それで、というのも、いまの人にはおかしな話と思えるだろうが、昔のことだ、それでその火葬場は、兄弟との遊び場で、週に一度、祖父母の家に行くたびに、自転車を漕ぎ、木に登り、走り回っていたのだった。
そこが火葬場であることは、誰か大人が教えたが、子供の耳には「かそうば」で、そこで何が行われるのか、まるで分かっていない。
分かっているのは、そこで遊べるということと、時にはお坊さんが来て、何やら経を唱えているということくらい、そのときには行くと怒られるというくらい。
もくもくと、白い煙の上がる煙突を、庭石の上から仰ぎ見て、つまらない、早く遊びたいと思ううちに、黒い車が過ぎ去って、黒い服の人々が、来た道を戻っていく。
その旧式の火葬場は、いまでは大手企業の傘下となって、綺麗な葬祭施設へと様変わり、祖父はそこで焼かれたけれど、願わくばあの粗末な待合室の、粗末な焼却炉の前、祖父の煙が空へ上がっていくのを、三本桜の一つに登り、ずっと眺めていたかったような、いまではそんな気がしてならないのだ。
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