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小説 『何が、彼女を殺したか』 (12)

note公式テーマ「#家族の物語」応募作品。ある一人の少女が殺された後、残された遺族たちの再生の物語です。全21回にわたり、お届けします。

▶︎目次

再び、復讐の章(後編)


 例えば、それは両親や兄弟姉妹、一生を誓い合った配偶者や、二人で育んだ娘に息子。身近な人間が突然、自分の前からいなくなったとき──それも殺されるという最悪の形で奪われたとき、人はどんな反応をするものだろうか。

 もちろん、初めに感じるのは大きな悲しみと喪失感に違いないが、俺が言っているのはその後の話だ。犯人を殺してやると喚き散らすのか、絶対に死刑にしてほしいと司法の正義に頼るのか。

 それは人によって違うだろう。奪われたのが誰かによって、またその人物との関係性によっても違うかもしれない。けれど──いま振り返れば意外なことに──あの当時の俺はそのどちらでもなかった。俺は復讐の念に囚われることもなく、また犯人を死刑にしてほしいと思うこともなかった。むしろ、そう思っていたのは俺ではなく、俺の周りの人間だった。

『犯人は絶対に死刑にしてもらわないと』
『当たり前だ。そうでなけりゃ、真紀ちゃんが浮かばれない』

 葬儀に集まった親戚は口々にそう言ったし、また、殺される直前、真紀を見かけていたという近所のおばさんは、

『あんな可愛い子を殺すなんて、あたしがこの手で犯人を殺してやりたいよ』

 と、身体中の水分がなくなるんじゃないかというほど泣きじゃくった。また、そのおばさんと同様、車中から村野を見かけていたというカメラ屋の親父さんも、

『いや、こんなことになるなら、あのとき俺があいつを轢き殺しときゃよかったんだ』

 と過激な発言をし、けれどその言葉に周囲の人々も同意していたことを覚えている。そして、それは真紀を直接知らないはずの人々も同じだった。

『犯人が死刑になることを祈っています』
『犯人は死刑にならないかもしれないなんて聞いたんですけど、だとしたら日本の司法制度は本当にひどいですよね』
『あんなやつ、さっさと死んじまえばいいんだ。あんたもそう思うだろ?』

 電話帳で調べたのだろう、見知らぬ人からの電話は鳴り止まず、彼らは一方的に憤っては、一方的にお悔やみの言葉を述べていった。携帯電話のない時代、会社や親戚と連絡を取るためにも、回線を止めるわけにもいかず、可哀想に妻はそれでノイローゼになりかけていた。彼女はいまも携帯電話を持っていないというが、その一因はあのときの経験にあるのかもしれない。

 とにかく、村野に死を求めていたのは俺ではなく、周囲の人間だった。真紀の死を知ったとき、村野が逮捕されたとき、裁判が始まったとき、まるでそれで俺の気がすっかり晴れるかのように、彼らは口を揃えてそう言った。「大丈夫だ。あいつは絶対、死刑になる」と。

 しかし、何度も言うが、俺の思いはそこにはなかった。誤解を恐れずに言うなら、そんなことはどうでもよかった。あいつを死刑にしろなどと、俺はそう口にする前に、どうしてもやつに聞きたいことがあったのだ。

 それは、なぜ、お前は真紀を殺したんだということだった。それだけを、俺は村野に問いたかった。その答えだけを求めていた。なぜ、お前は真紀を殺したのか? それは計画だったのか偶然だったのか? なぜ、お前は包丁を持ち歩いていたのか? 人を殺すためか? それなら誰を殺す気だったのか? 大人? 子供? 老人? それとも、殺せるのなら誰でもよかった? もしそうなら、どうして真紀を、よりによってうちの娘を選んだのか? なぜ、俺から娘を奪っていったのか?

 村野の死を願う前に、俺は聞かなければならないことが山ほどあった。それこそ星の数ほど幾つも、一生かかっても数え切れないほどに。そんなことを聞いてどうするかだなんて、俺にだって全然分からなかった。けれど、聞かなければ、生きて心臓が引き裂かれるようなこの痛みに耐えることができないと思った。真紀のいなくなってしまった後を、どう生きていけばいいのか、見当もつかなかった。

 だから、俺は辛抱強くそのときを待ったのだった。復讐してやりたいとも、死刑にしてほしいとも言わず、ただ公明正大な裁判を、その厳正な場ですべてが明かされるそのときを待ち続けた。すべての真実はそこで明らかにされると、底なしの馬鹿だった俺はそう信じていたのだ。そして、その期待は当然のごとく裏切られた。

 初めて足を踏み入れた法廷は、思ったような厳粛さはなく、何やら会議室じみた雰囲気に満ちていた。それは具体的にどこというわけでもなく、例えば古びて汚れた床や、安っぽい色をした長机が醸し出したものかもしれない。もしくは、入廷してきた裁判長が取引先の社長に似ていたせいか、国選弁護人だという村野の弁護士が、何度もあくびをかみ殺していたせいか。

 傍聴席の椅子に腰掛けながら、俺はそんな雰囲気に一抹の不安を覚えていた。会社の下らない会議のような、そんな雰囲気で真紀の事件を扱われては困る。けれど、結果から言えばその不安は的中した。検察側の冒頭陳述が終わると、村野の弁護士は隣に座る彼をちらりと見てため息をつき、まったくやる気の感じられない声で一言、こう言ったのだ。被告人は心神喪失による無罪を主張します、と。

 そう聞いたときの衝撃がどれほどのものだったか、理解できる人間がいるだろうか。そのとき、俺は吐き気がするほど混乱した。心神喪失による無罪。つまり、善悪の判断がつかない状態での行動だったため、責任能力がなく、よって罪はないものにしてほしいと、たくさんのなぜを抱えるこの俺の目の前で、あいつはそう言ってのけたのだ。なぜ殺したか、どうやって殺したかもよく覚えていないし、何も説明できることはない、と。

 その主張は、その日まで耐えた俺の願いを、すべて否定するものだった。やっと真実が明かされるそのときが来たと思ったのに、ここでも何も分からないのか──絶望に似た感覚が体を支配し、俺は凍りついたようにその場に固まった。

『被告人は血まみれの文化包丁を手に、現場付近を徘徊しているところを警察官に発見、逮捕され、その直後に詳細な殺害方法について自白、調書にサインをしていますが、それでも心神喪失だと?』

 弁護人の主張に、渋面をつくった若い検察官が尋ねる。はい、やる気のなさそうな弁護士が、再びどうでもいいといった調子で答える。

『えー、その詳細な殺害方法の自白はですね、現場の証拠を元に誘導、強要されたものであり、無効であるという主張です』

『調書には、意識も口調もはっきりしていたとありますが?』

『それにつきましては、取調官の感想であり、当時の依頼人の状態を正確に言い表したものではないと考えます。もっとも、彼に当日の記憶はなく、ということは冤罪の可能性も無きにしも非ずというところで──』

『……馬鹿馬鹿しい』

 思わず口から出てしまったというような検察官の呟きを、裁判長が木槌を叩いて戒めた。彼の隣に座った、年配の上司らしき男も、失言を咎めるように腕組みをした。

 失言をした検察官は、村野の起訴が決定したときに一度会ったことがある、藤沢という若い男性だった。彼は殺人事件を担当するのは初めてということだったが、それだけに真紀の死に同情し、言葉の端々からこちらに親身になってくれていることが感じられた。馬鹿馬鹿しいという言葉は、だからこそ口をついて出たのだろう。

 そんな彼の抵抗も虚しく、それからは馬鹿馬鹿しい受け答えが続いた。

 事件の詳細に関して、村野はすべて覚えていないの一点張りだった。凶器となった包丁をどこで入手したかも覚えておらず、真紀の後を尾けていったことさえ覚えていない。やりとりだけを聞けば、本当にこの男が真紀を殺したのだろうか、そんな疑念さえ覚えるような内容だった。これは冤罪なのではないか。彼の弁護士が言うように、その自白も警察に強要されたものだったのではないか。所持していたという血まみれの包丁も、真犯人に押しつけられたものではないか。この男もまた俺たちと同じ、可哀想な被害者なのではないか。

 けれど、彼の一言により、そのすべては覆された。それは、本当に何も覚えていないのですか──注意深い様子で裁判長が尋ねたときだった。俯きっぱなしだった村野の顔がぐにゃりと歪んだ。それが彼の笑顔だと気づくのには時間がかかった。それほどその表情は奇妙だった。

『ひとつだけ……』

 その奇妙な笑みを浮かべたまま、彼は発言した。

『夕焼けがとても赤くって、それが真紀ちゃんの血の色とおんなじだったことを覚えています』

 その瞬間だった。見たこともないその風景が、俺の脳裏にはっきりと映し出された。赤く染まったリビングと、逆光にくり抜かれた大小二つの影。その一方は床に伏して動かず、もう一方はそれを見下ろしている。その手から伸びた刃の切っ先から、ぽたぽたと赤いものが滴り落ちている──。

 ──こいつが真紀を殺したのだ。

 確信が胸をついた。たくさんのなぜが、再び俺の中に膨れ上がった。犯人はこいつだ。こいつが俺の家に入り込み、包丁を振り上げ、真紀の命を奪ったのだ。心神喪失なんかじゃなく、すべてをその目に焼きつけたまま、何度も真紀を刺したのだ。俺の娘を殺したのだ。それでいて、その最期を語ることを拒否しているのだ。

 裁判とは何だ。俺は拳を握りしめた。法廷とは、真実を明らかにする場所ではないのか。その義務があるのではないか。それなのにどうして誰も何も言ってくれないのか。

 しかし、その答えを聞くことはできないまま、裁判は終わった。一貫して心神喪失を主張した弁護側に対して、裁判長はそれを「真実だとは思えない」として退け、また「何度も執拗に刺すというその手口の残酷さからも情状酌量の余地はなく、また無差別に幼い子供を狙うという犯罪は非常な脅威である」として彼に死刑を申し渡した。

『日本の裁判は判例主義ですから、この判決は画期的ですよ』

 裁判長が退席し、閉廷すると、藤沢は傍聴席に駆け寄り、興奮したようにそう言った。

『最近、子どもを狙った犯罪が増えていますからね。裁判所も厳罰化の流れをつくっておきたいんでしょう。となると控訴審では、極刑は覆らないと思いますよ』

『控訴審では?』

 聞き咎めた俺に、藤沢はしまったという顔をした。では控訴審で、と言葉を濁し、戻っていく。そしてその言葉通り、一審の流れを踏まえての控訴審は速やかに結審し、村野には同じ死刑判決が下された。

 未だ殺害理由も明かされないままの、村野の死刑にざわめく法廷の隅で、俺はそれをどう感じていいのか分からずにいた。いや、どう感じるべきかは周りを見れば明らかだった。俺の隣に座っていた両親はハンカチで涙を拭き、「よかったね」と繰り返していた。妻の両親もそれは同じだったし、妻も、由紀も、駆けつけてくれた会社の同僚も、友人も、全員がほっとしたような顔をして、同じ感情を共有しているようだった。村野が死刑になってよかった、相応の罰が下ってよかった、という。

 だから、俺もきっと喜ぶべきなのだろう。頭の片隅でそう思いはしたが、俺はなぜか感情を表すことができなかった。その代わりというわけではなかったが、俺は図書館や本屋に通い、いまままで以上に法律関係の本を読み漁るようになった。

 とにかく俺は知りたかった。裁判のことを、法律のことを。なぜ、真実は語られないのか、どうしてこの胸の靄は晴れないのか、この積み上がった疑問の山を、俺は一体どうしたらいいのか。

 答えは思ったよりも早く見つかった。

 それはいつか藤沢の言った判例主義という言葉に行き当たったときのことだった。判例主義、それは、裁判所がこれまでの裁判結果、つまり判例を参考にした判決を出すという意味であった。これくらいの罪へは、これくらいの罰を与えるというような暗黙のルールがそこにはあり、日本の裁判では滅多にその判例から逸れることはないのである。

 例えば、殺人の場合。人を一人殺したというだけで、その犯人が死刑になることは滅多にない。死刑という罰は、人を一人の命を奪う罪に見合わないと、過去の判例から導き出されているからだ。『これは画期的な判決ですよ』、一審での死刑判決後、藤沢が言ったのはそういうことだったのだろう。俺のような一般人には考えもつかないことだが、判例を鑑みれば、真紀を殺しただけで、村野は死刑になるはずがなかったのだ。

 けれど『最近、子どもを狙った犯罪が増えているから、裁判所も厳罰化の流れをつくっておきたいんでしょう』と、同時に藤沢はそんなことも言った。ということはつまり、こういうことだった。

 いままでの判例からすれば、人を一人殺したくらいでは死刑にはならない。しかし、村野への死刑判決は、これから起こる事件──子供を狙った犯罪を厳しく罰するために、またその種の犯罪を厳罰化することによって、そもそもの犯罪を抑止しようという裁判所の思惑で出されたものだったのである。

 また、『控訴審では』と、彼がそう言ったのも、一般人には分からない、裁判というものの特殊な性格のせいだった。控訴審、いわゆる二審というものは、たいていが一審の流れを汲み、原判決、つまり一審の判決と同じものが出されることが多いというのだ。だから、控訴審では死刑だろうが、最高裁判所ではどうなるか分からないと、藤沢はそう言ったのである。

 判例、裁判所の思惑、そして導き出される死刑という刑罰。机の上に何冊も広げた法律書を前に、俺はしばらく惚けたようにそれらを見つめた。その無味乾燥な言葉に則り、仕事を進める検察官や弁護士、裁判官たちのことを、裁かれる犯罪者のことを、その裁きを待つ俺たちを思い浮かべた。傍聴席を埋める人々を、生真面目な顔をした書記官を、いかめしく仁王立ちする廷吏たちを、そこで村野に死刑が言い渡された瞬間を思い浮かべた。そして、俺があのとき喜ぶことができなかった理由を思い知った。

 それは、真紀の不在だった。この裁判は、真紀が殺されたからこそ開かれたものであるはずなのに、誰もその真紀のことを考えていないからだった。

 弁護士は村野の刑を少しでも軽くするために弁舌をふるい、検察官である藤沢はその刑を少しでも重くするために弁論の穴を突く。そして、神の代理であるかのように厳かな顔をした裁判官たちは判例に沿い、真紀の殺された過去ではなく、これからのための判決を下す。真紀のいない明日のために、彼女がいなくなってしまった未来のために。裁判とは、加害者のために開かれるもので、決して被害者のために開かれるものではなかったのだ。

 ──すべては、茶番だったのだ。

 突然、俺はそう悟った。真紀はいない。殺されてしまったから、もういない。弁護士も藤沢も裁判官たちも、みんな真紀のことを知らない。可愛くて、純粋で、ほんの少し生意気で、水泳が得意で、椎茸とトマトが嫌いだったあの子のことを、誰一人として知る者はない。

 だから、彼らは考えずにいられるのだ。なぜ殺されたのか、なぜ真紀だったのか、どうして、どうやって殺されたのか、最期の言葉はなんだったのか、どんなことを思ったのか。お父さん助けて──真紀はそう叫んだはずなのに、俺はどうして娘の声が届かない場所で笑っていたのかということを。

 死んでしまった真紀のことなど、皆、最初からどうでもよかったのだ。

 法律書に突っ伏すように、俺は声を殺して泣き崩れた。襖を隔てた隣の部屋では、妻と由紀が平和な寝息を立てていた。このとき、すでに控訴審から2年の月日が経ち、村野側の上告による最高裁が始まっていた。最高裁判所──刑の最終決定がなされる場が開かれたのだ。

 最高裁が終わってしまえば、真紀は忘れ去られてしまうだろう。事件は一件落着、解決済みの箱に押し込められる。俺はそうなることを恐れた。どうしたら、このまますべてを忘れられるというのだろう。あの日から問い続けた疑問の答えを、俺はまだ何一つとして得てはいない。それなのに法廷は閉じてしまうというのか? その内容に関わらず、手続きを終えたというだけの理由で? そんな不誠実なことが許されるのか? それが司法というものなのか?

『雨ヶ谷さん、安心してください。今回の裁判長はきっと厳罰化の流れを汲むはずです。そういう人物ですから』

 最高裁で再会した藤沢は、よく分からない励ましの声を俺にかけた。そうは言いながらも、どことなく浮かない顔をしているのは、村野にどこぞの有名な弁護士がついたせいだった。あの女弁護士──野洲久美子だ。何でも、その女は死刑廃止派の急先鋒で、村野の死刑を覆してみせると宣言し、この法廷に乗り込んで来たらしかった。そしてその言葉通り、あの女はいままでにはない手法の弁護を開始した。それは、俺にとって、さらなる茶番が始まったことの合図に過ぎなかった。

 野洲はまず、マスコミを巻き込んだ。「これは死刑廃止派の戦いである」と銘打ち、日本の死刑制度そのものを前世紀の遺物として、テレビカメラの前で批判した。また、判例に照らし合わせても死刑は不当に重すぎる、この死刑は厳罰化の思惑から出された見せしめであると言って憚(はばか)らなかった。

 その一方、法廷では、「虐待が殺人の引き金になった」という珍説を披露し、賛否両論を巻き起こした。幼少時に虐待があったとしても、二十歳過ぎた大人はその行動の責任を自ら取る必要があるという、至極当たり前の反論も、あの女の前では無駄だった。「あなたたちのように恵まれた人間には、彼の置かれた境遇が分からないでしょう」と、そう感情的に訴えるばかりで、何の論理的説明もなされない。

 いちいち大げさで芝居掛かった態度に、俺は彼女の発言を無視するように努めたが、虐待死した妹に似ていた真紀を村野はつい追ってしまったのだ、という話にはそれも忘れて呆れ返った。なぜなら、虐待死した妹というのは、生まれて一ヶ月もしない赤ん坊だった。独身だというあの女は、赤ん坊というものを見たことがないのだろうか? その新生児特有のサルのような、性別も分からない顔が真紀に似ていただなんて、お笑い種(ぐさ)もいいとこだ。あんなものが真紀に似ているのなら、日本人全員が似ているだろう。それは嘘と言い切ることはできないかもしれないが、限りなく嘘を含んだ事実には違いない。

 裁判官の前で、「可哀想な村野」を切々と訴える野洲を、俺は冷めた目で睨みつけた。弁護士は被告人の罪を少しでも軽くするために弁舌を振るう。それが事実すれすれの嘘だったとしても、誰も構う者はいない。これが公明正大な裁判なんて笑わせる。

 俺の目の前で繰り広げられていたのは、あることないこと言ったもん勝ちのゲームだった。あの女が勝つか、それとも藤沢が勝つか。そこにやはり真紀の存在はなく、それどころか俺たちの存在さえないようだった。

 いや、厳密に言えば、そのゲームに俺たちは存在していた。しかしそれは俺たちという人間ではなく、「被害者遺族」というとしてだった。だから、あの女は「謝罪の手紙」という道具を使い、「被害者遺族」という駒を動かそうとした。それが効かないと知れば、俺という駒を見切り、妻という駒に手を触れた。そして、妻はあの女の持ち駒となった。逆転勝利の切り札となった。その時点で、俺はゲームを抜けた。妻と娘を置いて、元の家へ──真紀が殺された場所へ戻ったのだ。

 ゲームの結果、村野は無期懲役刑を言い渡された。マスコミはこれを「死刑廃止派弁護士の逆転勝利」として華々しく報道したが、それはあの女の戦略が嵌(はま)ったせいか、それとも裁判官たちが判例に従っただけなのかは、俺には分からなかった。

『これは弁護団の勝利ではありません。この国の、死刑廃止派の勝利なのです』

 あの女はカメラの前でそう宣言して、この勝利が自分の手柄であることを強調した。テレビを通してそう言われてしまえば、詳細を知らない一般市民はそうなのかと思うだろう。馬鹿馬鹿しい──どこかで聞いたような台詞を呟きながら、俺はこの1週間、何度も流されているのだろう、その会見を眺めていた。正確には、あの女の隣に立つ、妻を眺めていた。その画面の右上に、「覆った死刑判決」「無期懲役刑確定」という赤文字が踊っているのを意識しながら。

 そのとき俺が見ていたのは、会社の帰り道にある電機屋のテレビだった。家では真紀が見ているようで、そんなニュースをつけることはできなかったのだ。

『無期懲役刑というのは一生刑務所に入ると誤解されがちですが、実は期限を決めずに課される懲役刑のことで、20年から30年……現在ではそのくらいで仮釈放されることが多いんですね』

 会見の映像から切り替わった画面で、専門家と思しき男性が解説をしていた。

『ということは、彼はいま27歳だということですので、早ければ47歳で出てくると?』

 アナウンサーが専門家に尋ねた。

『まあ、そういうことになりますね』

 専門家は頷いた。

『仮釈放って、みなさんもよく耳にする言葉だとは思いますが、これがどういう制度かということをご説明しますと──』

 町には木枯らしが吹いていた。タンスの奥から引っ張り出したばかりのコートは樟脳の匂いがきつく、クリーニングを忘れがちなスーツはそろそろ皺がひどくなっている。立ちっぱなしで冷えたせいか、膝の古傷が痛み──俺は、ふと自分の年齢を数えた。ちょうど40、いや、41歳。仮釈放までの時間が、最短で20年。20年経てば、俺は還暦過ぎ。そのとき47歳になる村野と、61歳の俺──。

 そう考えたとき、俺の胸は心臓発作でも起こしたかのように、一気に苦しくなった。町の音が遠くなり、景色が色を失った。あいつは出てくる。ここへ戻ってくるのだ。真紀のいなくなったこの世界に。

 だめだ──俺は全身でそう感じた。こんな理不尽には耐えられない。耐えられるはずがない。

 俺がはっきりと己の意志を理解したのは、多分その瞬間だったのだと思う。死だ──その決意は、強く俺の心臓に刻まれた。あいつには死を以って償ってもらわなけれはならない。それが国による刑罰としての死ではなかったとしても、俺がこの手であいつに死を与えなければならない──。

 真紀が殺されてから5年、その間、心を占めていた悲しみが、一気に激しい憎しみへと変化したのだった。それは小さな亀裂を食い破り、灼熱のマグマが吹き上げるような、そうしてそこにあった景色のすべてを灰へと変えてしまうような、それほど凄まじい変化だった。そんな己にどこかで戸惑いながらも、俺はあの瞬間、村野を殺すことを真紀に誓ったのだ。

 ──あなたは善い人だったのに。

 ──あたし、いいもんになるよ!

 そのとき、荒っぽく運転を続ける俺の耳に、悲しむような妻の声が、いない娘の声に重なって聞こえた。唐突に蘇ったその声に、突然、目の前の景色が滲み、慌てた俺はハンドルを握る手でそれを拭(ぬぐ)った。けれど、拭っても拭っても、目から溢れ出る涙は尽きず、俺は路肩に車を寄せた。込み上げる感傷に抗いながらも、胸の奥に、そこにいるあの頃の自分に頷いた。

 認めよう。

 この世に生きている人間を善悪で分けるなら、俺はずっと善い側の人間だった。とはいっても、俺は警察官だったわけじゃないし、かといって困っている人を見ると放っておけないような正義漢だったという意味じゃない。けれど、そういう特別な人間だけが「善である」ということはないだろう。

 「世界」などと大きな風呂敷を広げずとも、この日本、いや、俺の住んでいるこの町にも、善い人間はたくさんいる。それは特別ではない、いわば当たり前の人間だ。家族のために働いたり、食事を作ったり、子供や年老いた親の世話をしたり、目標に向かって努力したり、友達の相談に乗ってあげたり、人のために泣いた笑ったり、そんなふうにして毎日を過ごしている人間のことだ。

 お天道様に顔向けできないことをするんじゃないよ──明治生まれの俺のばあさんは、口癖のようにそう言っていたものだが、善い人間というのは、つまりはそういうことだろう。盗みをせず、人を傷つけず、人前で口にできないような行動はしない。それが本来の人間のあり方だ。「善」とは、当たり前を行うことだ。そうやって生きることだ。

 繰り返そう。俺は善い人間だった。そして善い人間は、復讐などしない。人に暴力を振るうことなど、考えもしない。だから娘が殺されてさえ、俺は法の裁きに従おうとしたのだ。彼らが正しく真実を導き、裁いてくれると信じていたから。なぜ、の答えを示してくれると信じていたから。

 けれど、それは思い違いだった。裁判は弁護士と検察官という、プレイヤーたちの舞台だった。被害者の死で始まるこのゲームの目的は、被告人の罪の軽重を争うことであり、決して真実を明らかにすることではない。被害者とその遺族を軽んじ、彼らは楽しいゲームに興じる。勝つためならば、真実すらも闇へと葬って。

 いや、真実が失われたことさえ、この際どうでもいいのだ。ぎりぎりと音が出るほど歯を食いしばり、俺はハンドルを握る手を睨みつけた。

 俺が抱えていたたくさんのなぜ──そこにどんな理由があてがわれたとしても、娘の死だ。そこに納得のいく答えなど存在しないだろう。そんなことには、俺だって薄々気づいていた。あの女の差し出した理由が「虐待」や「妹の死」でなくとも、俺は納得することを拒否したかもしれない。また別の種類のなぜが増えるだけかもしれない。そんなことは誰に指摘されなくとも、俺自身が分かっている。だからこそ、俺が欲しいのはそんな答えなんかじゃなかった。

 善い人間だった俺が本当に欲しかったもの──それはきっと謝罪だった。ごめんなさい、すみません、申し訳ありませんでした──どんな言葉でも構わない。心の底からの反省が滲み出るような、当たり前で真摯な謝罪だった。

 それは決して、あの女弁護士に書かされた謝罪の手紙ではない。罪を少しでも軽くしようという魂胆から生まれた謝罪ではない。本当に、真に心からの謝罪が成されれば、俺は苦しみながらもそれを受け入れられただろうと思う。俺は善い人間だったのだから。娘たちが誇りに思ってくれるような、当たり前に善い人間であったのだから。

 けれど、謝罪はなされなかった。それどころか、村野を許せといわんばかりの言い訳ばかりが並べられた。許さない人間が善い人間であるはずがないとでもいうような、攻撃的な言い訳が投げつけられた。そんな中で、俺は一体どこまで我慢すればよかったのだろう。娘が殺され、裁判の駒にされ、そうして踏みにじられてなお、我慢しなければならなかったのだろうか。村野を許すと言わなければならなかったのだろうか。

 だめだ。そんな理不尽に耐えられるわけがない。

 だから、そう気づいたとき──巨大な悲しみが巨大な憎しみへ変わったとき、俺は善い人間であることをやめたのだった。俺は何の挨拶もせずに会社を辞めた。嫌なことがあればすぐにそれを怒鳴り散らし、そればかりか暴力に訴え、それを相手のせいだと嘯(うそぶ)くような人間になった。そんな態度が許されるはずがないと、以前はそう思っていたが、実際にそうしてみると、特に不便なことはないのだった。無理が通れば道理が引っ込む。村野が真紀を殺したように、それは絶対に許されないことであっても、絶対にできないことではなかった。それ以来、俺は道理ではなく、村野と同じ、無理の側にいる。そしてそれをやめるつもりもない。

 残念だったな──俺は過去の自分に向かって、無理やり皮肉な笑みを浮かべた。お前はもう俺ではない。お前はあのとき死んだのだ。真紀の奪われた命とともに。

 最後の涙を拭い、真っ直ぐに前を見ると、俺は再び車を走らせた。そのときは近づいている。後ろを振り向く暇はない。

 そう思いながらも、俺は最後の最後にほんの少し、バックミラー越しに過去を見やった。唯一の心残りは、由紀のことだった。中学生のときに別れて以来、会うどころか声も聞いていない、もう一人の娘。別れ際、あのうさぎの公園で聞いたところによると、由紀はここ数年、妻にも連絡をしていないのだという。

 妻の会見をテレビ越しに見たあの日、一緒に行くか──そう尋ねた俺に、由紀は小さく首を振った。無理もない、俺はそう思った。年頃の女の子だ。父親と二人の生活よりも、母親と一緒のほうがいいだろう。そう思ってあのアパートから出て行ったのだが、それは間違いだっただろうか。いや、しかし、俺は以前の家にいるのだ。固定電話も残してある。何かあれば、向こうから俺に連絡をとることは容易なはずだ。それがないということは、やはり──。

 堂々巡りする思考を振り切るように、俺は息を吐いた。由紀も辛い記憶から逃げたいのだろう。だとすれば、こちらから連絡を取る手段もないことだし、何よりこれから俺は村野を殺すのだ。そんな父親とは縁がない方がいいだろう。幸せでいてくれたらいいが──。

 区切りをつけるように考えてから、俺はぎくりとした。永遠に6歳のままの真紀とは違い、由紀は今年──36。36といえば、あのときの俺たちと変わらない歳だ。真紀が殺されたときの俺たちと。可愛い娘が二人もいた俺たちと。

 36歳になった由紀を、俺は想像しようとしたが、それはうまくいかなかった。それでも、長い年月を拙(つたな)く手繰(たぐ)るように考える。俺たちに内緒で、由紀が結婚しているという可能性はあるだろうか。それだけじゃない。もし、由紀に子供がいたら?

 後ろ髪を引かれるような思いに、俺は振り返りそうになった。由紀がいまどうしているか、無性に知りたくてたまらなくなった。目的地が見えたのは、そのときだった。律儀な字で、手帳に記されていた住所。その小さな単身者用のアパート。その向かい側に車を止め、俺は深呼吸を繰り返した。

 いまさら引き返すことなど、できるはずもない。すべてはもう遅いのだ。だから──それが勝手な願いだと分かっていながら、俺は少しの間、目を閉じ、祈った。

 妻、それに由紀。彼女たちがまだ善を信じることのできる世界に生きているのなら、最後までそのままでいてほしい。村野と同じ側に堕ちてしまった俺のことなど忘れて、幸せに生きて欲しい。

 車を降り、見上げると、そこには事前に調べた通り、ウィークリーマンションの高い棟がそびえていた。妻のアパートの玄関が道路側に面しているのに対し、こちらのマンションの道路側は大きな窓のついたベランダだった。これは想像以上におあつらえ向きじゃないか──そのときを思って、俺の鼓動は静かに熱く打ち始めた。

 真紀の命日まで、あと6日だ。


▶︎次話 村野正臣の手紙


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