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M-1のネタバレをされたくない理由。

こんばんは。
12月24日を彼女と過ごすのでもなく、芸人とM-1グランプリを観るのでもなく、友達と岐阜旅行をする日にしてしまった東です。

今日は旅館で朝食ビュッフェをいただき露天風呂に入った後、岐阜城へ行った。

岐阜城といえば、織田信長とその嫁の父である斎藤道三が住んでいたところだ。

5人の中で歴史に興味があるのは1人だけしかいなかったが、岐阜で行きたいところが他にあるわけでもないので消去法でそこへ向かった。
クリスマスイブとM-1がある日に消去法で岐阜城へ行っている芸人は俺くらいだろう。

その後はみんなで有馬記念を賭けたが、俺も含めて3人は当たらず、残りの2人も少しだけプラスになっただけだった。
過半数が大金を失いテンションが下がったので、かつやで安いカツ丼を食べて名古屋駅で早めに解散することに。

M-1をTVerで観ながら帰るか迷っていたが、新幹線はところどころ電波が悪いし家に帰ってからでも追いかけ再生できる時間になりそうなので、新幹線ではnoteを書くことにした。

この判断が吉と出るか凶と出るか。

この状況で1番恐れられるのは、誰かにネタバレをされることだ。

もしかすると、別にお笑いのネタバレくらいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。

確かに、普通のネタ番組で優勝者のネタバレをされるくらいならそこまで嫌ではない。

だが、M-1となると話は別だ。

おかしな話かもしれないが普通のネタ番組と違い、M-1は最早お笑いを楽しむために観るものではないのである。
そうするにしては、M-1に芸人の人生がかかりすぎてしまっているのだ。

だからM-1はただ笑えればいいのではなく、勝敗を競う様をハラハラ見守るものになりつつある。

感覚はスポーツ観戦に近いかもしれない。
プロ野球の試合は勝敗がわかっている状態ではなく、リアルタイムで楽しみたいものだろう。

それを成功させるには、自分が観るまで一切の情報をカットするしかない。
優勝者がわかった時点でハラハラ感は無くなってしまうからだ。

そもそもお笑いをそのような見方をするのはどうなのか、本末転倒なのではないかと言う人もたまに見かける。
その意見もわからないこともない。

ただ、M-1にそういう側面があるおかげでここまで注目される大会になったという面もあるのだ。

俺自身は違うが、M-1を観てかっこいい芸人に憧れたから芸人になったと言う人も多い。

M-1に限らず、お笑いは色んな面で競技化していっている。
そのおかげでお笑いという文化が今でも根強く残り続けているところはあるのだろう。

M-1は、スポーツなのである。

だからM-1はどうしてもネタバレされたくないのだ。
よろしくお願い致します。

おしまい。







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