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伝説の小学生。

小学生の頃、俺は生徒会長として有名であった。

俺の母校、鈴鹿市立郡山小学校は田舎にしては大きな学校である。

同じ学年の生徒は80人くらいはいて、3クラスあった。
東京の人からしたら大したことないのかもしれないが、鈴鹿にしてはすごい。

隣町の天名小学校合川小学校は1学年10人いるかどうかくらいだったはずだ。
(天名小学校は17人いたとの指摘をいただきました。申し訳ございません。)

つまりその大きな小学校の生徒会長になれば、郡山はおろか、天名、栄、合川、稲生や白子(全部鈴鹿の地名)すらも纏める最強のリーダーと言えるだろう。

郡山小学校での生徒会の任期は、前期と後期の年2回に別れていた。
選挙権は確か3年生以上で、立候補権を持つのは5年の前期から6年の後期までだった。

演説日、選挙権をもつ生徒たちは体育館に集められる。

立候補した人達は、そこでマニフェスト等を語る演説をし、それを聞いて投票するのだ。

俺はもちろん5年の前期から立候補した。
だが生徒会長に立候補できるのは6年生のみだったので、立候補したのは副会長である。

最初から当選する気満々ではあったが、想定外なことに副会長に立候補したのが8人くらいいた。

俺たちの学年は目立ちたがりが多かったのだ。

先輩たちの選挙を見ていて、2、3人での戦いを予想していた俺は焦った。

いくら人気者の俺とはいえ、8人も立候補者がいれば僅差の戦いになるだろう。

どうすれば確実に勝てるかどうか考え、まずは演説の日までの間、3年生達のところに頻繁に顔を出し、投票してねと伝えた。

どうせ下級生は知ってる人がいたら投票するので下級生の票を確実に集めようという作戦だ。

後は演説である。
喋りは流暢なので大丈夫として、インパクトのあるマニフェストが大事だろう。

そして演説の日、俺が語ったマニフェストは

「僕が副会長になったら、休み時間を増やします!!!

であった。

生徒たちは大いに沸き、興奮のした生徒たちの雄叫びやざわめきで体育館は揺れまくり、震度4を記録した。

その後俺は全校生徒のほぼ全票を獲得し、副会長となったのだ。

当選した後大変だったのは先生達だっただろう。

当時の俺はアホすぎて考えてもいなかったが、普通に考えて小学校の生徒会ごときが休み時間を増やしたりできるわけがないのである。

だがこのまま休み時間が何も変わらないとなれば、俺が嘘つきとして小学校全体からのいじめにあうことは火を見るより明らかだ。

そうならないように先生達はめちゃくちゃ動いてくれたのだ。

水曜日の10分休みを5分休みにして、20分休みを30分休みにするということで、なんとか嘘はついてない感じにしてくれた。

当時の先生達には本当に感謝しなければならない。

俺はその後も卒業まで会長、副会長、書記、色々と立候補したが、その余力だけで当選し続けた。

俺は郡山小学校の伝説となり、その栄誉を讃えてやがて銅像が建てられることとなる。

数十年後、その銅像を見て小学生たちは担任の先生に「この人は何した人なんー?」というだろう。

まだ転勤してきて浅い担任の先生は、「何した人なんだろうね〜」と返している。

その様子を見て、後ろからフォッフォッフォッと笑う校長。

その校長がかつて休み時間を増やした"伝説"であったことは、誰も知らないのであった。

おしまい。

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