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情報の受取力鍛えよ SNSと現代社会

ここにも気になる記事がありました。

この記事のタイトルに目が行く方も多いはず。
以下のような、出だしから始まります。

コロナ禍の現在、SNS(交流サイト)では科学者の発言も大きな注目を浴びている。わかりやすい説明に加え、人柄も伝わる科学者のSNSは、有用であると同時に情報の収集もしやすい。テレビや雑誌など他のメディアで流された情報が、SNSで増幅拡散をされることも多い。

ふむふむ、確かに確かに。

そして、問題提起は以下です。

しかし時に対立する専門知は、何を信じるべきかの判断を困難にする。その隙をつくようにインフォデミック(不確実な情報の拡散)も起きる。そもそも専門知を持つ科学者の発信を、どう読み解き、活用すべきなのだろうか。

まさに、これ大切な問いです。科学的なリテラシーも必要だと私はいつも思っているので、こうした投げかけを新聞社がしてくれるととても嬉しいです。

さて、専門知というのは変化します。常に新しい「確からしい」考え方によって、古い考え方がアップデートされ続けるからです。

そのため専門家が言っていることは、常に正しい訳では決してありません。

危機時の科学は、平時とは異なることを知る必要がある。危機時は科学者でさえ、知見が日々更新される。こうした状態は「進行中の科学」と呼ばれる。健全な専門家は新たな知見を得れば意見を変える。平時なら一貫性を保とうとする専門家にはあまりない行動である。そうした中では、「より確からしい」情報を選択することはできても、本当に正しいかは検証が必要であり、また別の問題である。そのため、むりやり意見を一つにまとめる方が不利益を生む場合もある。

科学の方法論として、
仮説→検証→仮説の訂正→検証
を繰り返します。

ある意味無限ループなのですが、
問を立てて(仮説)、仮説の確からしさを検証する(検証)
これを実行しているのが科学です。

今回のパンデミックのような非常時においては、手持ちのデータ量が圧倒的に少ないために、様々な仮説が生まれます。

記事にもあるように、生まれた多くの仮説は、その後に収集される新データによる検証を受け、間違った仮説は棄却されることになります。


専門家は自身の経験・知識に基づいて、様々な仮説を立てています。これが科学の発展の基礎と言えます。

ただコロナウイルス対策などについて政府や行政機関に助言する際には、個別の専門家の声を五月雨式で届けるのではなく、専門家グループとして意見を集約し届けることで、政策立案・行政側は意見を利用しやすくなります。

異なる意見が存在し、いち早く政府に助言をする必要がある場合はどうするのか。そうした際には1人で発信するのではなく、一定数以上のグループで意見をまとめ、学会などの推薦を受けて提言として出すことが望ましい。こうした意見集約の作業を経ると偏った専門知は検証され、より正しい形で世に発出できる。筆者はこれをワンボイスと対比させ「グループボイス」と呼んでいる。単なる対立でも学会などによる検閲でもなく、より信頼の厚い情報源となる。


専門家グループとしての助言は、日本工学アカデミーの取組みと一致しています。その取り組みは以下のnoteに書いてありますので、ご興味があればどうぞ。


さて、この記事で一番の核心の部分は、専門家の責任の部分だと私は思っています。

そもそも科学者にはどのような責任があるのだろうか。「科学者の社会的責任」については科学技術社会論の分野で長らく議論がされてきており、最近では3つにまとめられている。第1は研究不正のない責任ある研究の実施(質管理)、第2は危険なものを作り出さないという責任ある製造、第3は社会の求めに応じてわかりすい説明をする応答責任である。

SNSの発展に伴い、多くの専門家が情報発信をして、社会とのギャップを埋めるような役割を果たしている。

しかし、SNSを利用しようとする善意の人ばかりでないことを指摘している。

実は専門家の中にもSNSで貢献しようという善意の人ばかりでなく、利用しようとする者がいる。注目を浴びれば、各種メディアからの取材がありさらに大きく目立つことができる。政府に呼ばれる可能性も生まれ、権力を振るうこともできる。承認欲求が強い人の場合、こうした状況は麻薬のように効き、目立つためには手段を選ばなくなっていく。SNSは私的な発言として扱われるので、よほどのことでなければ組織から指導をすることも困難である。
こうした現象には、メディア側にも責任がある。いま話を聞くべき、本当の専門家はどこにいるのか、メディアは十分な調査を経て探す必要がある。

これはコロナウイルスの最中の専門家と呼ばれる方の中に、上記のような方がいるような気もします。

サイエンスリテラシーや情報リテラシーといった自己防衛に大切な知的防壁は必要だと私も思います。ただこれはそんなに簡単に手に入れられるものではないのが難点です。

結局のところ、テレビにしろ雑誌にしろ、そしてSNSにしろ、受け手側が賢く情報を取捨選択する必要がある。それには、専門だけの専門家を、信頼できる人物に育てる過程が必要なのかもしれない。権力に飲み込まれていないか、忖度(そんたく)をしていないか。社会に誠実に向き合っているのか。そうした人柄は、SNSを通じてよく理解することができる。

発信者側は気を付けながら発信し、
受信者側は気を付けながら受信する。
この両者の意識が大切だと考えています。

受け手側は常に流れ込んでくる大量の情報に対し、受け身な感覚に陥りがちだと思います。

情報の真贋や確からしさについてある程度懐疑的な態度がないと、流されてしまう危険性が高いと感じています。

この危険を回避するためにも、自分の頭で考えて情報をより分ける能力が必要であると私も強く思います。

以下のnoteでは、サイエンスリテラシーに関して調べたことをまとめています。もしよければ併せてどうぞ。

文科省の科学白書に書かれているこれからの子供たちに求められるものをここにも引用しておきます。中々示唆のある内容だと私は思っています。

<科学白書(平成19年度)より抜粋>
これからの子どもたちに求められるのは,
1)知識や技能に加え,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する力などの「確かな学力」
2)他人を思いやる心や感動する心などの「豊かな人間性」
3)たくましく生きるための「健康・体力」
などの「生きる力」を身に付けることです

これって子供だけでなく、我々大人にも当てはまると思いませんか?


専門家の発信に対して、専門家でない人が質問をするのはハードルが高いのは理解できます。

でももし疑問に思ったことがあるなら、是非調べて見て欲しいしと思います。

この一歩は非常に大切な一歩になります。

現在までの世界でその疑問に対して、どんな風に考えられているのかを自ら能動的に調べていく姿勢こそ受け身から脱する第一歩だと思っています。


#COMEMO #NIKKEI #専門家の発信 #受け手のリテラシー #批判的思考 #科学的思考

この記事を読んでいただいたみなさまへ 本当にありがとうございます! 感想とか教えて貰えると嬉しいです(^-^)