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サンデル先生の話:テクノロジーに突きつけられていること

とても興味深い記事だったので、ご紹介。

サンデル教授と言えば、すぐには答えのでない問いを我々に突きつけ、市民の中での議論を活発にさせようとして下さることでよく知られています。

今回もその例にもれず、う~むと考える内容でした。

詳しくは記事を読み、お時間があれば皆さんにも色々と考えて欲しいなと思いますが、私にとって大切に感じたところを書いておきます。

「技術が民主主義を置き去りにすることがないよう、市民社会や大学といった公共の場で倫理をめぐる課題を広く議論していかねばならない。悪用の危険を最小化するために判断を下せるだけの知識をもった議員や規制当局者の存在も必要だ」

市民社会は結果だけを享受するのではなく、その過程から議論に入るというのは本当に大切だと思うのですよね。それがいかに大変だとしてもその道を探るのを諦めてはいけませんよね。そして人として判断を下せるだけの知識というのが本当に大切だなと感じます。○○リテラシーという言葉もあるように、多くの市民の知識が増えること、そしてそれを活用する知恵というのがセットで増加するといいですよね。

「真の問題は『計算能力』や『予測する力』といった知能でAIが人間を超えるかどうかではない。AIによって、私たちが現実と仮想の区別を失うかどうかだ。手のひらの中の画面が人間関係やコミュニケーションの中心になっていると、人々のつながりは単にバーチャルなものだと思い込みがちだ」

現実と仮想の区別はかなり曖昧になりつつあり、さらにそれが加速すると感じているので、その一線については守りたいなと感じています。それをするためには、原点回帰かもしれませんが、”生身”の対話なのかもしれません。「その場にいる」ことによって得られる情報は、バーチャルでは得られない気がしています。技術はそれも超えますかね?

「市場原理だけに任せるのではなく、技術の方向性を広く公に議論する必要がある。(政府などの)公共投資の役割ももっと増やすべきだ。プライベートエクイティ(PE)ファンドやベンチャーキャピタルだけに投資を任せると、彼らが技術開発の優先順位を決めることになる。医療分野などでみられるように、技術が私利私欲でなく(社会全体の)共通善に資するよう仕向けるには公共の役割が欠かせない」

ファンドだけに投資を任せていい場合とそうでない場合はありますよね。社会全体の共通善に資する部分への公共の役割は拡充することは今後の世界にとってプラスになるだろうと感じました。そういった意味では、企業の共通善へ果たせる役割はあるように感じました。そういう変化の時期なのかもしれないとも感じます。

この記事を読んでどう感じたか、教えて頂けると嬉しいです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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