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葉っぱが、ただ枝から離れて落ちるだけなのに。

今朝もセントラルパークへ走りに行った。

新型コロナパンデミックで、3月半ばから、自宅勤務になった。通勤時間がなくなり、朝から走れる環境になった。愛犬コーディと一緒に過ごす時間も増えた。だけど、良い事ばかりではない。

今、ニューヨークは息も絶え絶えだ。経済も文化が衰退していく代りに犯罪率は上昇。街を歩くだけで、緊張を強いられる。

そんな中、セントラルパークは、例年通り、秋を迎えた。

1周6マイル(10キロ弱)のループをゆっくりジョグする。木々が随分、色づいたなぁ、と思う。青空はひたすら高く、目に染みる。

最後の1マイルだけ、スピードを上げて走る。口の中に入り込む、ひんやりとした空気は、もう、夏の名残など一滴も残していないと教えてくれる。ここから冬に向かって進むのだと覚悟をさせられる。

こうやって、季節が過ぎ、時間が過ぎるのだ。

最後までスピードを落とさず走りきれた。ゼイゼイと息を切らせたまま、近くの大きな木に抱きつく。目を瞑ると、木の鼓動が聞こえる気がする。

目を開けて、世界を見る。

ひとひらの秋色の葉が、木から落ちていくのが見えた。ゆらゆらと風に舞いながら。

何故だか、目の奥が熱くなり、鼻の奥もつんとする。ああ、泣いてしまう。あまりにも美し過ぎるから。

たかが、葉っぱ一枚が、枝から離れ、地面に落ちるだけの事。

きっと、人間も一緒。生まれて、そして、死ぬだけの事。

私もあのひとひらの葉っぱなのだ。そして、一生懸命、今を生きている。

それだけの事。だけど、きっと美しいのだ。




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