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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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#走る人

ランナーの話:「ジミー」後編

2018年1月6日、ジミー、初トレイルレースに参加。マイナス14度の深い雪が残る森の中を4時間程度走り、その魅力を知る。 それまで、ボストン資格を取る為、踏み入れなかったウルトラやトレイルの世界。だが、流石のジミーも、少し、ロードマラソンだけに集中するのに疲れたのかもしれない。そこで、気分転換程度に参加したトレイルが、実は、走りのターニングポイントだったのではないかと推測する。 なぜなら、初トレイルレースの2ヶ月後開催のNYCハーフマラソンを、なんと90分切りで完走。ビッ

ランナーの話:「ジミー」中編

ところで、ジミーはサイクリストでもある。 いや、元々、サイクリストで、その後、ランナーになったタイプの様だ。だから、良く、「ラン力アップに、バイクがいいよ。クロストレーニングが効果あるよ。」と言われているが、ジミーは通常運転が、クロストレーニングタイプであった。 つまり、それは、ジミーのラン力アップに、バイクは新たなトレーニングにはならないという意味でもある。その上、ジミーは、本来の性格から、コツコツコツコツと地味に練習をするのが大得意で、そのレベルは、疲労骨折をして目標

ランナーの話:「ジミー」前編

「僕って、そんなにスペック悪くないと思うんですが、なんか地味なんですよね。印象に残らないっていうか。」 確か、2014年か、2015年かのNYCマラソンの打ち上げで、ジミーは、自分のことをそんな風に語っていた。 なるほど、ジミーは、東北の一流国立大学出身で、名の知れた企業に勤め、顔立ちも決してブサイクではなく、体型も細マッチョで、マラソンもサブ3.5で、スペック的に全然、悪くない。だが、本人が自覚している通り、彼という存在は、雑踏に紛れたらさっぱり分からなくなりそうだし、

ランナーの話:「道産子丸」後編

40代になっていた道産子丸にとって、妊娠は予想外だった。もちろん、最愛の人との子供が授かることが嬉しくないはずはない。ラン友が沢山集まるウェディングパーティも、それはそれは夢の様に美しかった。 何も文句はない、 はずだ。だけど、複雑な気持ちはあっただろうと想像できる。 2017年2月のロッキーラクーン100マイルレースを、22時間で完走し、女子7位となり、これからもっと上位を目指せると思っていたはずだ。 40代に入り、自分の体力の衰えを感じる前に、ベストな走りを極めた

ランナーの話:「道産子丸」中編

2011年という年が、道産子丸にとって、ランナーとしてのターイングポイントであったのは間違いない。東北大震災をきっかけに、Run for Japanを立ち上げ、今まで知らなかったランナー達と出会い、刺激を受け合い、そして、ランナーとして互いに成長していった。 それにしても、道産子丸の成長は著しく、持ち前の負けず嫌いで頑張り屋の性格から、あっという間にボストンマラソンランナーになった。ロードマラソンだけじゃなく、ウルトラマラソンやトレイルランにも次々に挑戦していった。また、自

ランナーの話:「道産子丸」前編

彼女に最初に逢ったのは、2011年3月20日(日)、場所はニューヨーク・セントラルパーク72丁目の入り口前。その日、彼女は、東北大震災のチャリティーコミュニティ「 Run for Japan」の代表として、ベンチの上に仁王立ちで、人々に語りかけていた。 ご存知の通り(いや、知らない人もいるかも)、私の実家は宮城県石巻市。2011年3月11日、東北大震災の地震と津波被害で、実家は被災。被災者家族でランナーの私は、「Run for Japan」という響きに吸い寄せられるように、

ランナーの話:「黒杉さん」後編

「レースの準備は4ヶ月前から始めた方が良いよ。30キロ走を出来れば、レース1ヶ月前までに、3回はやった方が良いよ。」 妹・黒リスにアドバイスをされた黒杉さんは、2014年4月27日(日)開催の第一回東北風土マラソンに向け、人生初のLSDというものにチャレンジをしていた。しかし、レース4ヶ月前というと、真冬の東北の時期。それも、ラン友もいないボッチ練。その上、風景はどこまで行っても変化のない田舎の山、田んぼ、畑。もしくは、復興途上の被災の色濃く残る街。 相当、苦痛だった模様

ランナーの話:「富士子さん」前編

「黒リスさんのバージルクレスト50マイルの話を聞いたのが、きっかけですよ。」 NYのラン友の富士子さんは、ウルトラトレイルランナーだ。もう、何本も過酷な100マイルレースにチャレンジし、完走している。あの有名なウエスタンステイツ100マイルもその一つ。 だけど、2011年当時は、まだ、普通にロードを走るのが大好きな、アメリカ人の旦那様と10代前半の息子さんを育てる専業主婦の女性だった。 それが、ひょんなきっかけで、ウルトラトレイルレースと言う、山や森林など、大自然の中を

ランナーの話:「OKちゃん」中編

変わった理由は簡単だ。膝を故障したのだ。 もちろん、ランナーに故障はつきものと言えばそうだけど、その度合いにもよる。上手に付き合いながら、走り続けられるケースもあれば、もしかしたら、一生走ることが無理になるケースもある。頭の良いOKちゃんだから、当然、自分が今、どんな状態なのか、客観視できていただろう。だから、少しの間、いつものルーティーンから外れることにしたようだ。 走ることに依存しているランナー程、故障時はストレスが溜まる。 自分が休んでいる間、どんどん体力、走力が

ランナーの話:「OKちゃん」後編

ベルリンマラソンは、6大ワールドメジャーマラソンとして有名だ。だが、このベルリンマラソンに、ローラーブレードレース部門があるって、知ってました? もちろん、私、黒リスは知らなかった。 OKちゃんが出るまでは。 そう、OKちゃんは、なんとこのインラインスケート(ローラーブレード)ベルリンマラソンに挑戦することに決め、黙々と練習を重ね、本当にレースに出た。そして、見事、完走した。 実は、OKちゃんがこのレースに出るという話を聞いた時、相方とこっそり、Youtubeで、レー

ランナーの話:「OKちゃん」前編

マラソンは年2回、ボストンとニューヨークで勝負します。 私がOKちゃんの存在を知った2009年当時、OKちゃんはジョグノートの自分の紹介欄に、こんな感じの言葉を書いていた。 そう、OKちゃんは、私からすると、正統派シリアスランナー。練習も、勝負レースに向けて、理に適ったメニューがあり、それを着実にこなす。何年もニューヨークのレーシングチームに所属し、練習会もサボらず、そして、レースでも、淡々と結果を出す。もちろん、サブスリーランナー。それも走り始めて、最短でサブスリーを取

ランナーの話「疾風女史」後編

それは、2013年のNYCマラソン。疾風女史にとっては、2010年のサブスリーを取って以来のマラソンだったかと思う。 ニューヨークのエリートランナーが集まるランニングチーム所属の彼女は、ローカルエリート枠として、先頭のコラールスタートだ。一方、私は一般枠だが、それでも、結構、先頭のコラールスタートであった。スタート時間は、同じ午前9時40分。ただ、疾風女史は下の橋からスタート、私は上の橋からのスタートで、全く、お互い、出走していることさえ知らなかった。 その頃の私は、マラ

ランナーの話:「疾風女史」中編

「今の自分のベストタイムを出したいんだよね。」 疾風女史と、二人で話す機会があった。疾風女史の娘さんと私の相方が、ブロンクス・バンコートランドパーク開催の5キロクロスカントリーレースに出走し、偶々、私たちは両方応援で来ていたのだ。スタートを見送り、だだっ広い芝生の上、大きな青空の下で、立ち話を始めた。話すことは当たり前の様に、走ることばかり。 私より年齢が上の疾風女史は、走りのレベルは違うにせよ、未来の自分である。ただ、数年前から走り始めた自分は、まだ、タイムが進化中。だ

ランナーの話:「疾風女史」前編

ずっと、自分の周りのランナーの話を書いてみたいと思っていた。 色んな生き方があるように、色んな走り方がある。自分の周りのランナー達から受けた影響、学び、そして、感動。そんな記憶を留めておきたいと思う。第一回目は、「疾風女史」。 🌬疾風女史の存在を知ったのは、私が走り始めて2年ほど経った頃だったと思う。 人生初マラソンで、NYCマラソンを3時間48分24秒で完走し、ボストンクォリファイも取った自分を、先輩ランナー達が大いに褒め称えてくれ、”え、もしかして、私って、結構、