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俺とジャズ、表の世界と裏の世界と

7月12日


いきなりの松村拓海の3rdアルバムが発表されてビックリした。何も知らなかった。音を聞くと本気だ。強い。面白い。聴いてます。Four cornersからぶっ飛ばしてくれる。最後のtaipeiという曲いいですね。

私は音楽で胸が躍ったり体温が上がる気持ちを知っています。

音楽は経験値で聴き方が、聴こえ方が変わる。中身を知れるって面白い。

そんなに音楽のことを知らないで感じる「いい!」とか「いまいち!」と知らなくても感じれる何かと、経験を経て自分の引き出しや解釈と照らし合わせ「うわ〜」「すんげ〜!もんげ〜!」ってなる知っているから感じれる輝きみたいなものがある。最初はジルベルトジルの良さとかわからずに聴いていたけど、20年経ってカエターノとか通して再度聞くと、「こういうことか〜」って驚きがあるみたいな。(中学生の時にジャケ買いで岡山のCDショップで、迷って迷った挙句買ったのがジルベルトジルでした)それは絵とかにも言える。それは出会いだ。

言葉とか思考が言語化できないけど「なんだかわからんけど、、いい!」って思う感覚も大事にしてるけど、やっぱり人生は生きれば生きるほど、様々なことを経験すればするほど(これは音楽体験も含めて)、その旨味を知ることができると思ってる。最初はわからなくても、急にわかることとか。すごく面白いことだと思っています。読めなかった本が読めるようになるとか、音楽も、音の強さのことがわかったり興味が変わったり。これは知識を持っているからよくわかるってことが言いたいわけでもないんです。なんか解釈が多層的にできるっていうような感じ。

それはスパイスカレーを知れば知るほど、個体の違いや味わい深さがわかって「ハッ」とするような感じ。中身を知れるって本当に面白い。これはモノを作ろうと思うと中を解明したくなるから、、ってのもあるけど、知る喜び。知った時の喜び。知れるっていうか、その人が「気づいた」とか「独自に解釈する」っていう方がいいかな。中身に何が入っててどういう処理で扱われてるとか、どういう経路でこのカレーになったのかとか考えるのはとても面白い。

俺のジャズの定義


東京や国内の、ましてや世界のジャズシーンのこともジャズミュージシャンに対してアレコレ語る言葉を持ち合わせておりませんが、私が勝手に定義しているジャズというものが心の中にあります。(こういう詳しいことはピーターバラカンさんと大友さんのラジオを聞くと色々知れます)

ジャズは「好きに自由に生きてていいんだよ~」という教えてくれる一つの要素でありジャンルであります。フレーズに胸が高まる。旋律に胸が昂まる。なんかスポーツみたいな興奮にも思える。私の大好きなIPPONグランプリのようにも見える。「うわ〜〜〜!!!」この人こうきたか〜!」みたいな。五木田智央さんの絵にも見える。「さあ。お前!何をやるんだい!どんなことをやるんだい!」「俺はこれです」「おめえは技術に頼るのか、それとも心を出すために技術を習得してるのか!」「はっ!うっ!」みたいな。いつも心の中でトムとジェリーの掛け合いのように行われてます。

ジャズは冒険


ジャズは「こんなところまで行っていいんだ~」「こんなことやっていいんだ」とか「こんなとこまで冒険できるんだ」とかアイデアとか発想とか教えてくれる一つの挑戦のようにも見える。

イメージ、音の強さ


私の知ってる東京のプレイヤーの中で「この人はジャズだなあ」と感じる人が何人かいますが、そのうちの1人松村拓海という男は本物のジャズマンだと思っております。イメージ力が豊か、それを出す音もものすごく強いものがあります。松村さんのイメージの豊かさの即興を聞いて「ああ。もっと想像力豊かにならないと!」と思い、松村さんの強い音を聞いて「もっと練習せねば」と思います。

子供の発想、心に忠実とは


赤ん坊だとか、なんかついつい自分のイメージをそのままやってしまう子供たちを見ていると「自由だ」と感心してしまいます。そこはついつい怒ったり注意しなければならないことなんでしょうけど「そうだよな~心に忠実ってことはこういうことだよな」と改めて思う自分がいます。「嫌なことは嫌!好きなことは好き!」って感じ。すごく幼い表現でも「素直だな〜」と思ってしまします。

私もそうなりたいと学んだりしながら「あ。イメージの部分はこういうシンプルなことでいいんだよな」と思う。だからか、芸術家の「圧倒的にすごい発想」というよりは「余計なものにとらわれていない選択」なんだよな~と思う。大体囚われてますから。見えない何かに。
これは自分がどれだけ暗黙のルールとか既存のカッコいいものに胡座をかいているかを知らされます。それを最初に「こんなふうにやってます」って人が真の芸術家だと思っています。表現というか。どんだけアバンギャルドなように見えても型にはまってやってるのが見えると、「あ。そうっすか」となる。

そんなものじゃない、子供たちを見てみな。もっともっと自由な地平から発想できるじゃん!子供を公園で見たりしているとそう思います。子供はそういう欲求をストレートに表現して行動に出すことができます。僕はそれを見て「ブラボ~」と思いながら、再度、自分の中の既成概念をもう一度冷静な場所から見ます。美術館に行ってもそれを感じさせられます。

子供の急に出てくる生っぽい行動とかを見て「こういうことだよな~」って1人すごいなと思ってます。僕はそういうものが好きです。大人が既成の概念や感覚、暗黙のルールでストップしていること、ストップさせてしまってること、子供は全部シカトしてぶっ飛ばしてダイレクトに行動するから「おお!」って思います。「素敵だな」と思ってしまうのでございます。

これを大人の世界でやってしまうと「え?」ってなることが多いです。言ってもなかなか伝わらなかったり「それは当然こうやるでしょ」ってのがまかり通ってることが多いです。また空気を読めないとも言われます。「いや、それつまんないじゃん」って言ってもなかなかわかってもらえないことがあります。会社とかでも。「え?ここから議論するの?」ってビックリされます。一緒に仕事する人によりますが、わがままだと思われてしまったり、面倒臭い奴だと思われたりすることがあります。大人になるにつれショウモナイすでに出来上がっていることにすがりついている奴もいて「それお前の言葉じゃね~だろ!」と思ってしまうことがあります。ただ権力に擦り寄ったり、自分で考えてない人もたくさん見えます。その人に対して「ば〜か!」と言っています。賞をもらったり誰かに評価されてようやく「黒岡さんすごいんだね」と言われることもあります。心から「ば〜か」と思いながら「ありがとうございます」と言ってます。

よく学校現場などでも「多様性を尊重しよう」って言いますけど、現実にはそうなっていないと思うことは多々あります。

しかし、現実の世界だと、それを言ってしまうと「こいつ何言ってんねんっ」ていうなります。何度か言って場を白けさせたことが、、何度もありますが。

でも、でも芸術の世界では、ここでは「芸術の世界」と言いますが、そこでは称賛されてたりするんです。

ジャズの世界


私はジャズみたいな世界を、現実の裏にある「ふくよかな世界」だと思っています。裏の世界に行くと、できていなかったことが急にもてはやされることがあります。まるで大富豪で革命が起こったかのように世界が変わります。私はその変わった世界が大好きで、大好きだからこそ芸術を愛しているんです。裏の世界って、僕の中では表なんですけど。生きていける場所だから。

多分、表の世界で「この人すごい人!」って人に会ったことが少なかったことが原因かもしれません。もちろんいっぱいいるもの知ってます。
逆に裏の世界はすごい人たちの集合体として触れていました。音楽で、芸術で。表の世界で生きられない人もたくさんいるでしょう。表も裏もないけど、ルールが違うんだから当たり前ですね。

表は、誰かすごい人が作ったルールとか、管理しやすいルールとかを尊重して、あんまり外れないように生きている人たちが輝きもしかしたら搾取される世界、裏の世界では強いものが勝つって世界。面白いやつが全て。のわかりやすい世界だと思ってます。極端に書いてしまいましたが、ま。僕はどっちの世界にも足を突っ込んでるので、どっちでも楽しく生きていきます。
「すごいやつはすごい!」って世界に行くと、水を得た魚のように「そうなんだ~~~!!!」って思ってしまいます。グダグタ書きましたが松村さんは最高なプレイヤーだと思います。以上です。


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