見出し画像

世の中、はじめまして。

文章を作成するのは中学校の読書感想文以来で、ある意味新鮮でワクワクしている。

昔から表現することが好きで、目立ちたかったし、認めてもらいたかったし、負けず嫌いで、何でもできるようになりたかった。

それが思春期を境に周りの目を気にするようになり、表現をしないことで回りに溶け込む術を身に着けて、社会に適応していった。

自分を出していないのに、あいつはああいうやつだ。というイメージが定着した頃だろうか?

本当の自分はどっちなのか、分からなくなった。

そして気づく。心が凝り固まって、イメージを現実に出せない。表現できない。その間にある橋のようなものが決壊している。


橋がなければ無理だ。橋がなければ。



イメージから現実への渡り方を手あたり次第探しながら、3年と数か月が経とうとしていたある日。野暮用というか、まあ東京へと向かった。東京を歩くのは10年ぶりだろうか。新宿と渋谷をまるで海外の気分を味わいながらひたすら歩いた。田舎者か。

しかしこの日、運命的な光景を目にすることになる。

日が暮れ、夜行バスを待つために新宿駅周辺をぶらぶらと散策していると、数人が距離を置いて路上ライブを始めていた。歌唱力はそれぞれに差があり、うまい人も、あまりうまくない人もいた。ダンスを始める人もいれば、ヴァイオリンを弾き始める人もいた。

・・・。

しばらく見ていると、慌ただしく人波が流れる中、急に女性の歌い手の前で足を止めて聴き入る青年。また足を止めて動画を撮り始めるカップル。少し距離を置いて揺れながら聞くスーツの女性。

群馬からやって来たというその歌い手の女性が、全くの他人でどこかへ向かうはずの人の足をとめていた。そして自分もその中の一人だということに、この時点で気づく。思考はなかった。心が足を止めていた。

衝撃だった。よくそんな言葉を有名人のドキュメンタリー番組で耳にするが、まさに言葉にするなら、それだった。

ここでは、自分の世界を表に出せない人は見向きもされない。その辺に転がっているごみのように。みんな全力で「出して」いた。イメージの世界を現実に。眩しくて、その光に照らされた自分の心が恥ずかしくなったと同時に、高揚した。


橋はない。けど、いける気がする。

橋がないからこそ、いくのかもしれない。

いきたい。

ながいながい、だけどみじかい、いっぽめ。



世の中、はじめまして。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?