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文化人類学的視点で視る

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文化人類学を学び始めて3ヶ月が経った。

まず第一に驚いたことは、文化人類学が対象とする分野の広さだ。医療、市場経済、国家、政治、芸術、ありとあらゆる分野において文化人類学の研究は行われている。

対象を細分化して、テーマを絞って深掘りするのがその他の学問だとするのならば、哲学や文化人類学はその区切りに疑問を呈し、ありとあらゆる分野を横断しながら、わたしたちとは何者かについて徹底的に考える学問だといえるだろう。

文化人類学と哲学は非常に似ているが、大きな違いはフィールドワークの有無だ。哲学はいつでもどこでも自分の頭さえあればできる。一方で文化人類学はそうではない。対象の中に自ら入り込み、五感を使って"ズレ"を見つける。それから現地の人々との関わりを通して徹底的に考える。そして日常に戻ってからも再びズレを見つけてまた考える。それの繰り返しだ。

文化人類学が分野を絞らない学問である以上、私達の身近な生活の中でも文化人類学的視点は役に立つ。

何か大きな問題に突き当たり、様々な思惑が絡み合っていい解決策が思い浮かばない時、エスノグラフィーを読んでみる。そこには過去の文化人類学者たちが記録した豊富な事例が載っている。中には自分では思いつきもしなかった視点で問題を解決しようと試みる人々の姿が描かれている。それが直接眼前の問題を解決することにはならなくても、解決のヒントを与えてくれるかもしれない。

自分の生き方に不安を覚えた時、社会問題に憤りを感じた時、分かり合えない他者と出会った時、文化人類学的視点は凝り固まった価値観をほぐしてくれる。他者との関わり合いの中で生じるズレや対立を、俯瞰し、根本的な原因にまで遡ることができる。自分が当たり前だと思っていることが誰かにとっては当たり前でない。遅れていると思っていた彼らが自分とは全く違うやり方で、賢く懸命に生きている。切り離して考えていたことが実は繋がっていることに気づく。

そうした気づきや揺さぶりが堪らなく心地いい。まだまだ自分が見ている世界がほんの一部に過ぎないことを知ることで、心にゆとりが生まれる。

この学問を通して私は人間のことが堪らなく好きになった。人間は不合理で、感情的で、時には暴力的で狡猾だ。かと思えば思いやりの心を持ち、他人の痛みを感じ、泣き、助け合い、生きていく。人間とは、わたしたちとは、何者なのか。答えは誰にも分からない。それでも私はこの問いについて考えることが楽しいし、理解できない人間のことが堪らなく愛おしい。

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