主体と客体(対練について)

対練をやっている人にも、やってない人にも、教室ではあまり教えてくれない役に立つ考え方です。太極拳では、一つ一つの動きが技となっていますので、こう来たらこう受けてから突くとか、こっちに流してから蹴るとか、右手で流して左手で押すとか、色々あります。説明もされます。最初はそれで良いのですが、ある程度覚えたら、こう「押してくる」からこっちに受け流すのではなくて、ここを「押させて」それを受け流すというように、主体を常に自分に持ってくるようにすると意識が変わります。

押して来たら流す、突いて来たら受けるという意識だと、必ず相手より早く動かなければなりません。最初に相手が動いて、その動きにより早く対応するという練習はいくらやってもスピード勝負、筋力勝負になってしまいます。でも、相手に押させて受ける、相手に蹴らせて流すだと、常に自分が先に来ていますので、ゆっくりと対応できます。

なので、ある程度技の意味が分かって来たら、相手がここしか押せない、相手がここを押したくなるような隙を作って、押してきたのを受けたり流す意識で練習すると虚の中に実があり、実の中に虚があるというのが分かるようになります。また、虚が極まると実に転じる、実が極まると虚に転じるというのも、実感を持って理解できるようになって来ます。

あくまでも主体は自分です。攻撃されたから受け流すのではなく、攻撃させて受け流すから相手の体勢が崩れるのです。捨己従人というのは、自分を失ってまで人に従うということではありません。そしたら打たれます。蹴られます。無理に逆らわないというイメージです。打たせた力に逆らわないで、もっと発揮させてあげると、つんのめって前に倒れます。引いた力をもっと引かせてあげると、相手は後ろに倒れます。相手を主体にして従うのではなく、自分が主体となって引き出した動きに逆らわないというイメージがいいと思います。

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