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私とカエルの思い出

今、うちでは8匹のアマガエルを飼っています。
それぞれ次女が外で捕まえて飼うことになったカエルたちです。

私も小さいころはオタマジャクシを田んぼで捕ってきてカエルになるまで育てていました。
カエルになったらエサの確保が難しいので、田んぼに放していました。

それからしばらくカエルとの縁は無く、高校生になりました。
高校では生物部だった、という話をこちらの記事に書きました。

私が所属していた生物部では毎年文化祭の出し物の目玉として『カエルの解剖』をやっていました。

生きたままのカエルをお客さんの前で解剖していくのです。

今思えばよくそんなことをやっていたな、と恐ろしくなってしまうのですが、当時はただみんなの反応が楽しくてやっていたような気もします。
男子も女子もキャーキャー言いつつ、手のひらで目を覆いつつ、それでも興味深そうに見ています。

人間って残酷なことも平気でできるんだな、と当時高校1年だった私はその様子を見ながら考えていました。

1年生のうちは先輩のサポートや準備など、カエルを触ることはほとんど無かったのですが、2年生になると率先して解剖することになります。
解剖に使っていたカエルは『アフリカツメガエル』という大きな実験用のカエルでした。

文化祭前日に山盛り届きます。
カエルを水槽に入れたり、解剖の道具の準備をしたり、当日より前日のほうが忙しかったです。

さて、文化祭当日、生物室前には人だかりができています。
みんな、そんなにカエルの解剖見たいかね?と思いながら白衣を着て、ゴム手袋をし、いよいよ本番です。

「これからカエルの解剖をします。ゆっくり説明しながらやっていくのでしっかり見ていてください。」

「これが今から解剖に使うアフリカツメガエルです。実験動物として使われています。」
カエルを水槽から1匹つかみ、みんなに見せます。
この時点でもう女子からはキャー!という声。
カエル嫌いな子多いもんね〜と後輩達が後ろで話しています。

カエルを解剖台に固定して麻酔を吸わせます。
そして、静かにお腹を切り開いていきます。
みんなも静かに見守っています。
生き物の体の中なんてそうそう見る機会もありません。
内臓があらわになると、前のめりで見てくる子たちも。
ひとつひとつ、ここが肺、ここが胃、ここが心臓、と説明しながらみんなに見せます。

人間の体とほぼ同じだという説明をしていると自分の体を触りながら、内臓の場所を確認している子もいました。

お腹を開かれたカエルはまたお腹を縫うでもなく、心臓を切り取られて終わりです。
切り取った心臓はビーカーの生理食塩水の中でしばらく動き続けます。
不思議な光景にみんな驚いていました。
カエルはもう絶命しているのに、心臓だけ動いているのですから。
命はどこにあるの…?とつぶやいた女子がいて、とても印象に残っています。

解剖が終わるとお客さんから拍手喝采。
みんな口々に感想を話しながら生物室を出ていきます。
すごかった、面白かった、ちょっと気持ち悪かった、みんなの反応は様々でしたが、これはやって良かったな、と思いました。

2日間の文化祭で10匹前後の何の罪も無いカエルたちの命を奪ってしまった生物部員は、文化祭が終わったらカエルたちのためにお墓をつくり、ありがとうございましたとごめんなさいの気持ちを込めて一生懸命お参りしていました。

生物部の出し物はそれだけでなく、上記の記事にも書いたことがあるウニの卵の観察結果の展示や、先生方が山奥でつかまえてきたプラナリアの展示など見応え十分な内容になっていて、その年の文化祭はかなり盛り上がったことを覚えています。

そんな私がカエルを飼ってお世話することになるなんて、当時の私に話したらビックリしそうです。
これは何かの呪い…?もしかして、私カエルに祟られている?とちょっと怖くなったのはここだけの話です。

今、私がカエルを一生懸命お世話しているのはそのときの罪滅ぼしもあるのかな、と少しだけ思っています。

命はどこにあるの?
あれから20年以上経ちますがその答えはまだわかりません。
たくさんの生き物の命が消えていくのをこの目で、この手の上で、見て、感じてきました。
生きているって当たり前のことのように思いますが、とても尊く、奇跡のようなものだと私は思っています。

貴重な経験ができた生物部とあのときのカエルたちに心からの感謝を込めて、今日は終わりにしたいと思います。

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