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綴草子〜千夜一夜小噺集〜 前掛け


#創作大賞2023

 さて、一つ不思議な話をしよう。
 ある一人の女性がいた。彼女は、いつもの道でいつもの自転車に乗り、いつもの時間に家路へと向かっていた。
 職場と家路のちょうど半分のあたりに、祠があった。その祠には、優しい笑顔を浮かべた地蔵が安置されていた。
 真面目な彼女は、毎日そこを通るたびにお参りするようにしていた。彼女にとっての道祖神であった。
 毎朝毎晩欠かさずお参りした。彼女は決して、世間でいう幸福でも不幸でもなく、ごくごく平凡な日々を過ごしていた。
 ある日、彼女が地蔵の前へ来た時、彼女は違和感を覚えた。いつもつけてある前掛けがないのだ。
 彼女は、そばに落ちているのではないかと、辺りを見回してみた。しかし、それらしきものは見当たらない。
 実は、酔っぱらった不良達が、肝試しの証として盗んで捨ててしまったのだった。
 そうとは知らない彼女は、必死で辺りを探す。
 その日は見つけられず、諦めて帰宅した。
 翌日も職場からの帰りに日が暮れるまで探した。しかし、だんだん視界は悪くなる。どんどんと日が暮れていく。
 気付けば、彼女は暗闇に包まれていた。もう諦めて帰ろうとした時、地蔵の周りを光が浮かんでいるのに彼女は気付いた。

「え、何?」

 彼女は、驚きのあまり声を零した。

「困ったなぁ……。地蔵様、前掛けはもう戻りませぬ」

「仕方があるまい。前掛けを新しく用意してくれまいか?」

「かしこまりました。しかし、わたくし不器用なものして……」

 彼女の声が聞こえていなかったのか、話し声は続く。

「すまぬが、早めに用意してもらうことはできるかの? いつも参ってくれる娘が、夜遅くまで探してくれておっての。かの娘を安心させてやりたいのじゃ」

 彼女は直観で、これは地蔵様とその使いの者の会話だと気付いた。
 偶然にも、彼女は裁縫が得意であった。彼女は意を決して、地蔵に近付き話しかけた。

「お地蔵様。その前掛けを、私にご用意させていただけませんでしょうか? いつもお見守りくださるお礼がしたいのです」

 使いの者が、驚いて振り向く。

「貴様は何者だ!?」

 地蔵もさすがに驚いたらしい。

「娘よ、何故ここにおるのじゃ? ここはそなたのおる場所ではないぞ?」

 地蔵の声は優しく、それでいて、心配を含んだ声だった。

「実は、先程まで探していたのですが、見つけられず、気付くとお二方の声が聞こえてきたのです。私、裁縫は得意なので、この機会にいつもお見守りくださるお地蔵様にお礼がしたくて」

 娘は混乱しつつも、そう地蔵に告げた。使いの者は、こちらを疑うように、話しかけてきた。見た目は色の黒いメジロだが、天狗のような恰好をしている。

「そなた、さてはあの不逞の輩の一味だな? 盗んだ罪に苛まれて、申し出ておるのだな?」

「これよさんか。この娘は、いつも私を参ってくれる、数少ない者じゃぞ」

 地蔵が、使いの者を窘める。

「はっ、申し訳ござりませぬ! 娘、すまぬ。どうやら勘違いしておったようだ。この通り謝る」

 そう言うと、使いの者はペコリと頭を下げた。地蔵に仕えているだけあって、根は良い者らしい。
 彼女は微笑みながら、一体と一羽に言葉をかけた。

「私は、気にしておりません。むしろ、疑われるような行動を取ってごめんなさい。ただお礼がしたくて、声をかけただけなのです」

 そう告げると、再度、

「私に、前掛けを作らせてくれませんか?」

 と告げた。

「では、そなたにたのもうかの」

「地蔵様!」

「よいよい。この者なら、きちんと作ってくれる。不器用なそちが無理をする必要もなくなるであろう?」

「そうですが! しかし、人間に作らせるのは、やはり不安です!」

 この使いは、人間を信用できないらしい。

「あの! それでは、二日だけお時間をください! 必ず、二日後にお持ちします! 完成した前掛けが気に入らなければ、新しく作り直していただいても構いません」

 彼女はそう言うと、にっこりと笑顔を浮かべた。使いの者も、そう言われては仕方がないと、しぶしぶ彼女が作ることを認めた。

「二日だぞ? きちんと二日後に、地蔵様におかけするのだぞ?」

「はい」

 そこへ、話を聞いていた地蔵が口を挟んだ。

「それでは、娘は元いた場所へ戻りなさい。おぐろや、娘を元いた場所へ送り届けなさい。この暗闇では、元の場所もわかるまい」

 地蔵は相変わらず、優しい声で娘を気遣った。

「かしこまりました。では、のちほど。娘、行くぞ」

「おぐろ」と呼ばれた使いの者は、彼女の前をぴょこぴょこと歩き出した。

「ねぇ、おぐろさん。どうして、前掛けはなくってしまったの?」

「それは、不逞の輩が、『肝試し』と称して盗んでしまったからだ。罰当たりな奴らめ」

 そう言うと、彼は舌打ちをした。

「そんな酷いことをする人もいるんですね……」

「そうだ。人間は、神様や仏様への、尊敬の気持ちを持っていなさ過ぎる。いくら、目に見えていなかろうが、もっと思うべきだ」

 その言葉に、彼女は少し悲しそうに告げた。

「確かに、見えないですもんね……」

「見えなくとも、我らはそばにおる。昔の人間は、もっと畏敬の念を持っておった。それが、今では、このようないたずらまでするものもいる。一体、どうなっておるのやら……」

 そう言うおぐろの顔は少し寂しげであった。

「さて、ここでそなたとはお別れだ。必ず、二日後には、前掛けをかけてさしあげるのだぞ?」

「はい」

 そう言うと、おぐろは、暗闇の中に溶けていった。
 彼女が辺りを見回すと、少し離れた所に街灯があり、真後ろにはいつもお参りしている地蔵があった。あんなに暗かったはずの道は、街灯により明るくなっていた。
 狐につままれたような気持ちを抱きつつ、彼女は近くの裁縫道具屋で赤い布と糸を買い、帰宅した。
 帰宅して、諸々のことを済ますと、買ってきたばかりの布と糸を取り出し、さっそく前掛けを作り始めた。手慣れているだけあって、手が早く、二日と待たず、その日のうちに完成してしまった。
 翌日。彼女は、仕事帰りにいつものところに自転車を停めて、カバンから前掛けを取り出した。
 地蔵にその前掛けをかけて、手を合わせた。特に何か起きる様子もなく、彼女はそのまま帰ろうとした。

「ありがとう」

 どこからか、あの優しい声が聞こえた気がした。彼女は、にっこり笑顔を地蔵に向けた後、自転車で颯爽と家路についたのだった。
 気付くと、彼女を見かける者はいなくなっていた。風の噂によると、彼女は結婚して幸せに暮らしているらしい。
 時折、彼女は地蔵のいる方向へ、手を合わせているそうだ。
 地蔵はその時に、彼女に子どもができたこと、ペットを飼い始めたこと、彼女の祖母が亡くなったことなど、たくさんの話を聞かせてもらうそうだ。
 その時の地蔵は、心なしかいつもより優しい微笑みを浮かべているように見えるらしい。

-次は、第五話 月と星-
https://note.com/kuromayu_819/n/nf8e513666204

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