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私が自己啓発本を読まない理由4つ


自己啓発本を読まない4つの理由。


よく、自己啓発本を読む人を見かける。

見るたびわたしは思う。

なぜ読むのだろう?

と。わたしはこれまで二十五年の人生の中でほとんど所謂「自己啓発本」と呼ばれる類のものを読んだことがない。

ここで言う自己啓発本とは、「○○するために必要な○○のこと。」という感じの本だと思って欲しい。

要するに、誰かがより良い人生を送るための秘訣のをまとめた本のことだ。(哲学入門書などは別として。哲学書はちょくちょく読むことがある)


なぜわたしは自己啓発本を読まないのだろう。
これはいくつかの自己分析に基づく。
自分語りになるので、暇な人は付き合って欲しい。

一つには、書いてある全てのことが自分に当てはまるとはとても思えないからだ。著者は確かにそこに書いている方法を用いて、成功したのかもしれない。

しかし、著者はわたしではない。

わたしのことを微塵も知らない人間に言われたことを鵜呑みに出来るほど、わたしは素直ではない。


二つ目に、わたしの性格が理由として挙げられる。
わたしは昔から〜すべきだ、と言われるのが大嫌いだった。同じように〜してください、と指図するのも大嫌い。(なので、新しい職場で部下を持つようになって超苦しんでいる)

こんなわたしが人が提示したものを参考に生き方を変えようと思うだろうか。

否である。


三つ目にはわたしの人生設計によるものが多い。私には生きているうちにクリアしたいミッションがいくつかある。その一つは例えば今の職に就くことだった。

私は基本的にそれ以外のことをしたいわけではないし、するつもりもないのだ。

私にとって生きるとは、自らの欲望を満たし続けることだ。もしも満たすことができなくなれば、そこが私の終わりだろう。

自らの欲望を具体的な形にしたのがミッションであると言える。

そして、そのミッションの中に例えば社会的地位を得る、お金持ちになる、などは含まれない。社会的ステータスを得ることにはさほど興味はないからだ。

世の自己啓発本の多くは、資本主義社会で幸せを得る方法を説く。それは多くの場合、わたしの欲望の方向とは合わないことが多い。だから、私の食指は自己啓発本に伸びない。



四番目には自己分析で大体のことはなんとかなる、と思っているからだ。

自己啓発本とは、どう生きるべきかわからなくなったときに読む本だと思う。

私は今まで、「どう生きるのが正しいか」を考えたことがない。「どう生きたいか」しか考えてこなかった。例えそれで失敗するとしてもそこまで込みで覚悟すればいいだけの話である。

よく、自分が何をしたいのかわからないと言いながら自己啓発本を読む人がいる。

私はそれを見ながら、「お前がいますべきはそんなことじゃねーだろ」とちょっと苛ついている。

そういう人がなぜ自分との対話を軽視するのか、私には理解できない。本を読む前に、金を払う前にできることがあるだろう。

自分のことは自分しかわからないのに。なぜ他人がそんなものを知っていると思っているのか。

一番身近な他者は自分自身だ。

それと向き合うこともせずに、生き方がわからない?意味がわからない。

自分がこれから何をすべきかは、自己分析で大概わかる。わからないのなら、まだ時が来ていないか、自己分析が甘いかのどちらかだ。

生き方に正解はない。

これが私の持論だ。


生きるという複雑怪奇なことを、他人の物差しを持ってきて、正しいか正しくないかの二択で分けようとするなんて。そんな暴力的なこと、私にはできない。


皆様はどうだろうか。

クロミミははてなブログにて、「KUROMIMIには本が足りない。」を更新中。先日連載小説「海のなか」の最新話とまとめ記事を更新しております。忘れちゃった人はまとめ記事読んで話を思い出してくれ。

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