連続小説・「アキラの呪い」(7)
前話はこちら。
ところで校内での晶との交流は、俺の対人関係にも変化を与えた。平凡な奴に「ヤバい奴とやり合えるすごい奴」というステータスが追加されたのだ。だからなのか、幼なじみの拓人とこんな会話をしたりもした。
「お前、噂になってんぞ」
ある帰り道、拓人がひそひそと話しかけてきて、俺は怪訝に片眉を上げた。
「はあ?」
「お前の姉貴の…何だっけ名前…異名はすぐ思い出せるんだけど」
口を歪めながらもどかしそうに拓人は顎を触っていた。
「晶のことか。ちなみに異名って?」
「狂人、悪魔、魔王…色々ある。もう名前を言ってはいけないあの人状態」
異名の数だけ指がどんどん折り曲げられていく。話しぶりから察するに、姉には片手では足りないほどの通り名がついているらしい。
「何それウケる」
弟の耳には意外とそういった類の噂が入ってこないのか、それともこいつの野次馬根性がすごいのか。まあ、両方だろ。多分。
「だろ?まあ。似合ってっけどな。昔からあの人すげーし、色んな意味で。でも、お前の噂の方がもっと面白いぜ」
幼なじみはにやつきながらこちらを覗き込んだ。あの頃、拓人は俺より小柄だった。高校に入ってからは体がぶっ壊れるんじゃないかってくらい身長がいきなり伸びたけどな。お陰で奴は成長痛にひいひい言ってたっけ。
「さっさと言えよ。焦らすな」
いい奴だけど、こういうところはイラつくと思いながら俺は先を促した。
「化け物使いって呼ばれてるよ、お前」
「はあ?」
「だって歩だけだぜ、あの人がまともに口きくのなんか。家族だとしてもなかなかすごい。俺も全面同意だわ。たまに思うんだよな。歩って実はすげー奴なんじゃね?ってさ」
「お前はいきなり何きもちわりーこと言ってんだよ。ジュースなら奢んねーぞ。そもそも今週はお前が奢る番だ」
そう言ってやると、拓人は短く舌打ちをしてサッサと近くの自動販売機に寄っていった。毎週一回交代で奢るのが俺たちの習慣だった。
「褒めがいのない奴だな。たまには言葉を素直に受け取れよ。損するぜ?」
そう言いながらスラックスのポケットからジャラジャラと小銭を投入口に入れていく。
「歩、いつものでいいか?」
「おう」
拓人はそのまま、コーラと三ツ矢サイダーを流れるように選択した。すぐにガコン、と音がしたかと思うと、三ツ矢サイダーが投げて寄越された。
「おい!炭酸投げんなって言ってんだろ。爆発したら困る」
「安心しろよ、ペットボトルならせいぜい溢れるだけだろ」
「…いやざけんな。どっちにしろベタベタになるじゃねぇか」
言いながら、恐る恐る開栓するがなんともなかった。思わず詰めた息を吐きながら、一口煽る。
「…で?その急な褒めはどっからきたわけ」
濡れた口を拭うとべたついている。後悔したがもう遅い。
「だから噂だよ」
「だとしても、事実は違う。拓人は知ってるだろ。からかってんならやめろよ。俺と姉さんを見て仲がいいと思うやつなんかいねーよ」
そもそも正常なコミュニケーションを取れているのかどうかも怪しい。姉と話していると、たまに言葉を投げつけ合っているような気になった。
「仲の良し悪しなんか、比較の問題だろ。少なくとも、お前の姉さんはお前以外の人間なんかまともに相手してない。みんなそう思ってるよ」
「だからって…あれがマトモな関係に見えるだって?おかしいだろ、絶対」
すると、拓人は少し間を置いてから俺の胸を指差して言った。
「前から思ってたけど、歩は自分のことなーんも分かってねーよな。姉貴のことばっか気にしてないで、ちょっとは自分のことも気にすればあ?」
拓人の悪戯っぽく大人びた笑みはずっと心に残った。あれから長い時間が経ち、俺たちは一度高校進学でで別れた。あいつが外部進学したからだ。けど、奇妙なことに大学でもう一度再会を果たすことになった。しかも学部学科まで一緒。再会した拓人の第一声は「マジかよ」だった。それはそのまま俺の心の声だったが、驚きすぎて声にはならなかった。
大学で再会してから、拓人に尋ねられたことがある。
「そういや、なんでお前進学したんだ?」
拓人はそう言うなり、ベンチの背に体を預け、空を仰いだ。喉仏が動くのがよく見える。
「いきなりなんだよ」
「だってお前、中学の頃は勉強なんか嫌いだったろ。俺はてっきり専門でも行ってさっさと働くと思ってたんだよ」
つくづく俺のことをよく分かっている幼なじみだった。俺もそのつもりだったさ。高一まではな。
「うるせぇなあ。いいだろ俺が勉強したって」
「なんで大学来たか、当ててやろうか」
「はあ?」
「姉貴関係だろ」
そこだけ、囁くような声だった。俺は自分の息が止まるのを感じた。一瞬からかっているのかと思ったが、目が笑っていなかった。
「…俺ってそんな分かりやすい?」
努めてなんでもないような声を出そうとして失敗した。
「いやーうちの県そこそこ田舎でほんとよかったよな。お陰で大学少なくて、被っても違和感あんまねぇし。俺らが一緒になったのもそれが原因だろ」
頬杖をついて、奴はふぅと息を吐く。俺の胸は相変わらず、でかい音を鳴らしていた。
「ひいた、よな?」
足の間で組んだ手は、いつのまにか汗で濡れている。拓人の目を見れない。
「いや、別に。ただ昔っから一途だと思っただけ」
その言葉には一欠片の軽蔑も滲んではいなかった。秘密にしてくれ、と言いかけてやめた。こいつは言わないとどこかで確信していた。体から力が抜けていく。
「……そうかよ」
隣ではふっと笑った気配がした。俯いた視界の端では拓人の組んだ脚がぶらぶらと揺れている。相変わらず呆れるほどボロボロなサンダルだった。拓人は結構男前だが、身なりにはまるで気を使わなかった。それでも彼女が途切れないんだから、やっぱりイケメンって奴は得だ。足元をしばらく眺めていると、また声が降ってきた。
「昔から聞きたかったことがあるんだけど、聞いていいか?」
「ああ」
「なんで姉貴のことそんな気にしてんだ?お前見てると、単に好き嫌いだけじゃない気がしてさ」
「お前はなんでも分かるんだな」
「ちげーよ。たまたまだ。ま、中学の時ずっとお前と連んでたし、なんとなくな。で、聞いていい感じ?」
正直、誰かに話してしまいたかった。この会話をしたのが、晶が自殺未遂した直後だったというのも大きかったのだろう。姉の自殺衝動は大きすぎる秘密だった。
「……あいつ、昔っから目を離すと消えそうなんだよ。だから、不安なんだ」
「そんな弱そうには見えなかったけど?」
「あいつが消えるのは弱いからじゃない。強すぎるからさ」
その強さで己が身を焼いている。それを俺がどんな気分で目の当たりにするか、晶は知りもしない。そして、この先思い至ることもないだろう。そう考えると、深い虚しさに端から蝕まれるのが分かった。
「ふうん…」
「あいつの自由にさせると、昔から碌なことがないからな。そのうちとんでもないことに手を出す。ずっと、そんな予感がしてる」
これは少し、過去の言葉だった。もう予感なんて生温い言葉じゃ足りない。確信だった。姉は既に一度、自殺未遂した。いずれあいつは自らを滅ぼすだろう。俺が何度止めようとも、死に惹かれる限り何度でも続けるはずだ。いつのまにか握り込んでいた拳は、力が入りすぎて白くなり、震えていた。
「あのさ…」
出した声は恥ずかしくなるほど無防備で、幼く聞こえる。尋ねるべきでないと分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
「なんで何も言わないんだ?前から気付いてたにしても、気持ち悪いだろ。俺みたいなの」
「なんだ、拒絶して欲しいのか。それとも裁いて欲しい?」
「いや…」
横目で相手を見ると、まともに目が合った。その瞬間、逃げ出してしまいたいような衝動に襲われる。
「ただ、俺はそこまで偉くないってだけだ。俺にだって誰にも知られたくない秘密くらいある。なのに、今ここでお前を責めたらそれがそのまま、俺に跳ね返ってきそうじゃねえか?悪いが誰彼構わず批判できるほどできた奴じゃねーよ、俺は。生理的に無理っってんならまあ、仕方ねぇけど。お前の話聞いてみたけど、どうやらそれもないっぽいし」
俺はもともと結構適当だからな、と付け足し、少し間をおいて拓人はこう続ける。
「だからさ、我が身可愛さでこんなこと言ってんだぜ?あと、俺が前に言ったこと、忘れてんだろ。歩」
「えっ?」
俺が間抜けな声を出すと、拓人の人差し指がすっと伸びてきて、俺の胸に突き立てられた。その姿を見て、何かが蘇る気配がした。そして、「いいか、俺の言葉、今度こそ忘れんじゃねーぞ」とさも偉そうに念押しして、拓人は言う。
「お前はすげぇ奴だよ。自分で思ってるよりずっと。それに面白いやつさ。それだけは俺が保証してやる」
そう言い切った顔は、いつかのガキの笑顔と重なる。大人びて自信に満ちた表情だった。
昔からこいつには敵わないのだと、俺はその時ようやく思い出した。自分の口から「ありがとう」とらしくもない言葉が出たのは、きっとそのせいだったのだろう。
***
アキラの呪い(8)へとつづく。
次話はこちら。
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