小傷

投稿しようと思って忘れてたもの放出③

案外大きな傷というものは少なくて、劇的なイベントなどそれほどなくて、意識から抜け落ちてしまうたくさんの小傷たちこそ私たちを作り上げていく基本要素となっている。
後悔、と言えなくもないがそれだけでは包括しきれないものもある。

いつかこの小傷たちを愛し、癒すことができたなら。

ランドセル
セイバンのCMが話題になった。ちょうどほんの少し前に友人から聞いた話とよく似ていた。
自分の選びたいものではないものを選ぶ時、納得したつもりでも心に小傷が残る。この傷は癒えない。ただ忘れるだけで、でも時にふと思い出して、苦しくなる。

イベント
参加できなかったイベント。楽しげなみんなに水を注したくないから、寂しいとは言わない。だけどLINEのアルバムに載せられる写真たちを見ると、そこにいない寂しさを感じずにはいられない。

言ってしまった言葉
人を呪わば穴二つ。というわけでもない。手の力が抜けて荷物がすとん、と落ちるように口から出てしまった言葉。大抵は悪気などない。しかし悪気の有無は関係ない。人を害し、そして害してしまったという後悔、害してしまったのではないかという不安。それらが小傷として残る。人を害したのは自分のくせに。

ふと見かけた表情
人を見ているとたまに言葉とは裏腹の表情が見える。多くが切なさや悲しさを湛えている。人は時として、色々な心を言葉で隠し、仕草で隠し、小さな感情の動きを殺しながら人と接する。殺された感情たちは小傷としてその人の心に沈着する。私はその様を見るのがどうしようもないほどに切なく、辛く感じられる。こうして人の小傷に感化れるようにして小傷を抱える。


ニキビ跡のひどい肌。写真を見るたび突きつけられる。だから写真には写りたくない。

ずれ
饗宴の雰囲気というのにはどうも馴染めない。浮かれ、楽しげな空気の中にぽつんと残されたように冷めてしまっている私。何がそうさせているのか。


私は毎晩、気絶するように眠りに落ちる。12時を過ぎると怪しくなり、1時を過ぎればほぼ確実に寝てしまう。追い詰められていても、人と話していてもそれは変わらない。意志薄弱で起きていることができない。そうして朝目覚め、眠ってしまったことを悟り、日々小傷とともに朝を迎える。

活躍する若者
とある活動家が若ければ「若き」と、学生であれば「学生」と、枕詞が添えられる。それに比べて私ときたら。同じ長さの時間を重ねても、そこで何を成したか、何を成そうとするかが大切なのである。メディアに溢れるそうしたら枕詞に、劣等感を深められ、小傷を重ねる。

たぶんまだまだたくさんある。
だから下書きにしていた。
でも多分このままだと一生日の目を見ることがない文章たちだから、一旦、手放す。


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