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藤井風とハイヤーセルフと私たち
※はじめにお断りしておきますが、このnoteは極めて個人的かつ主観的なnoteです。
藤井風と初めて出会ったのはいつだったっけな、と思い返してみると多分2020年、J-WAVEで流れていたのがきっかけだったと思う。
まだ1st EPを出したくらいで、そのときは「めちゃくちゃセンスのいいアーティストが出てきたな」くらいの感覚だった。
けども。そこからYouTubeで過去の弾き語り動画や楽曲解説動画を漁るようになってぶったまげた。
音楽的技量の高さはもちろん、その精神性が日本人のそれからは外れているようにしか思えなかった。特にこれ。
「ハイヤーセルフを探そうとする歌」
そんなことを真正面から言い放ったアーティストが過去にいただろうか。どこかChristianityも感じるこの解説動画を観たことで、私は完全に藤井風に“入信”してしまった。(《帰ろう》もちょっとChristianity感じる)
そこから怒涛のようにスターダムにのし上がっていった彼の活躍と、急速に広がる周囲への認知に、ひたすら圧倒されていた反面、不思議に感じていた。
なぜなら、藤井風の言う「ハイヤーセルフ」の概念は日本人にあまり馴染みがなく、また「無神論」や「無宗教」を掲げる人が多い(ように感じる)この国で、藤井風のある種独特の精神性がこんなにも熱狂とともに受け入れられるのが意外だったからだ。
しかし、藤井風は別にクリスチャンではない。《まつり》ではBuddhaを思い、新曲《grace》ではヒンドゥーを強く意識したMVを公開している。
そう、彼は実際に世界を旅するとともに、その土地土地で、文化、宗教、人々と交わり、訪れた土地の精神性への理解を深め曲を作っている。そして、自らの「ハイヤーセルフ」に深く潜り、自らをも高めようとしているのだ。多分。知らんけど。
高きものに達するために、身を低くし、深いところに潜る。
それは、簡単なようで誰もができることではない。なぜなら、そもそもその行為が矛盾の中にあるから。
高いところに達しようとするのに、身を低くする。それは、単に重力のような自然法則に従って沈むのとは訳が違う。確固たる意思の力が必要になる。
彼が生み出す曲には、その意思とそこから見出された自己との対話の数々が滲んでいる。時に迷い、悩み、失敗し、それでも「ハイヤーセルフ」を諦めない姿に、私たちは自己を揺さぶられる。
魂、高めてますか?
「セコムしてますか?」並みの気軽さで、魂の純度を問われる。こんなポップカルチャーなかなかない。
2022年10月15日、Panasonicスタジアム吹田で行われた「LOVE ALL SERVE ALL STADIUM LIVE」でも、それは有り有りと感じられた。
ほとんどMCのない2時間弱で彼が伝えたメッセージ。それは「いろいろある世の中だけれど、愛すること、生きることを諦めないで」だった。
愛することと生きること。これら2つも意思の力を要する。もちろん何となく愛して、何となく生きていい。平常時は。
でも、なにか大きな絶望の淵に立たされたとき、人は真っ先に愛することと生きることを手放そうとする。
実は、愛も生も日々まあまあ大きなエネルギーを消費するが、私たちはそのことに気づかずに毎日を過ごしている。元気な時は、消費エネルギーに対して生み出されるエネルギーがそれなりにあるので、プラマイゼロないしはプラスくらいで生きていられる。
しかし、エネルギーを生み出せないほどの状況に置かれるとどうだろうか。飛べなくなった飛行機が燃料タンクを切り離すように、一つずつ重たいものを手放していく。そう、愛や生を。
だからこそ、意思の力と自分の中に揺るがない「ハイヤーセルフ」が必要なのだ。
コロナ禍やウクライナ侵攻といった、経験したことのない大きな出来事に直面している私たちに、藤井風のシンプルなメッセージは強く響き、彼の求める「ハイヤーセルフ」はとても美しく、憧れの対象として輝く。
だが、真に彼が伝えたいことは、「ハイヤーセルフ」は誰の中にも存在し、それを見つけることは私たち人間に等しく与えられたものだということだ。
生きよう。そして、愛そう。
何を隠そう私自身、藤井風のメッセージを聞いて、生まれてはじめて「生きたい」と生を肯定できた。藤井風が紡ぐ言葉はただ美しいだけではない。私たちの心に直接侵入し、問いかける。
僕らはまだ先の長い旅の中で
何かを愛したり 忘れたり
色々あるけど
これからまた色んな愛を受けとって
あなたに返すだろう
永遠なる光のなか
全てを愛すだろう
彼の存在を崇高なもの、純粋で美しいもので終わらせてはいけない。誰しもの中にある高く尊いもの、そう「ハイヤーセルフ」は自らの手でしか到達できないのだから。藤井風(と私たち)の「ハイヤーセルフ」を巡る旅路はまだまだ続く。
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