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オレは発達障害グレーゾーンなのだろうか?5・前回記事の補足と、専門家に感じた怒り

グレーゾーンについて書くとどうしてもすっきりしない文章になってしまうのですが、前回は時間を理由にして無理矢理公開しました。
しかし、読み返してもやはりなにが言いたいのか、いまいち伝わりづらいなと思いました。
なので必要な個所を本の中から引用することで、すっきりとさせてこの話を一旦終わりにしたいと思います。
診察前の投稿はこれが最後です。

これでもかとリンクを貼って宣伝業者のようですが、そんなことはありません。
今回ばかりは引用する以上、絶対にリンクが必要になる。
そのためのリンクです。

前回書きたかったことは、言ってしまえば大部分が以下の文章に要約されています。
少し長いのですが引用します。

 その一方で、長時間かけて発達検査も受けてみたものの、結局、障害というほどではなく、「グレーゾーン」、つまり、境界域だと判定されることもある。
 障害というレベルには該当しなかったのだから喜ぶべきはずだが、多くの人は、もっと複雑な反応を示す。彼らとしては、自分の生きづらさの原因を「発達障害」に求めて、長い時間と労力、費用もかけて診察や検査を受けたのに、結局、どちらとも言えないという曖昧な答えだけが返ってきて、それをどう受け止めればいいのか戸惑ってしまうのだ。
        (中略)
 では、はたして、グレーゾーンと判定された場合、それほど苦しむような深刻なものではなく、軽く受け止めればいいものなのだろうか。生きづらさも、障害レベルの発達障害に比べれば、軽いと考えればいいのだろうか。
 実際に数多くのケースに向き合ってきた経験から言うと、まったくそうではなく、グレーゾーンの人は、障害レベルの人と比べて生きづらさが弱まるどころか、ときには、より深刻な困難を抱えやすいということだ。

発達障害「グレーゾーン」 その正しい理解と克服法/岡田尊司・著

長々と引用したのですが、この文章は本の冒頭部分、「はじめに」に書かれているものです。
太字も引用元に忠実にしています。
自分であれこれ書く前に、まず先に引用すべきでしたね。
完全に書く順番が逆なのです。すみません。

まったくもって「はじめに」この部分を引用すれば話はもっとシンプルだったに違いありません。
まず前提として、このような概念からグレーゾーンというものを書いていると、ただそれを言いたかっただけなのです。汗
これを読んでから、前回の話を読んでみてください…。


そして、前回の補足とは別に、かなり気になる点を見つけたので書かせてください。
二つの本の冒頭部分を読んでみて、無視できない食い違いを発見したのです。
その箇所を引用します。

 数年前、ニュージーランドで行われた長期間にわたるコホート研究の結果が発表され、世界に衝撃を与えた。その結果は、成人のADHDと、子どものADHDとは、かかっている人も、その症状の特徴も大きく異なる別なもので、成人のADHDの大部分は、本来の意味での発達障害ではないことを示していたからだ。
 コホート研究は、因果関係を証明するうえでもっとも信頼性の高い研究法で、それだけに発達の専門家たちも驚愕したのである。専門家の多くは、子どものころADHDだった人が、大人のADHDになっていると信じていたからだ。

発達障害「グレーゾーン」 その正しい理解と克服法/岡田尊司・著

続けてもう一冊の一部分を読んでみてほしい。

 さらに一般の人の誤解を深めているのが、「成人の発達障害」という言い回しである。これは正しく述べるなら、「成人期に達した発達障害の患者(当事者)」を示す言葉である。
 発達障害は生まれつきのものであり、成人になってから発症するものではない。
 だが、この点を誤解している人は多い。いまだに成人になって発達障害が出現すると勘違いしている人は少なくない。(中略)さらに専門家であるはずの精神科医でさえ、成人になって発達障害が発症すると考えている人がいて、唖然とすることもある。

発達障害/岩波 明・著

読み比べてもらえれば分かると思うのですが、言っていることに食い違いがあります。
成人の発達障害について述べていることが正反対なのです。

私はたまたまこの二つの本を「入門書」として手に取りました。
もともとどちらの著者も知らず、なんとなく星が高いからとかそんな理由で選んだはずです。
しかし、こうもしょっぱなから食い違ってくると、読んでる方は激しく混乱します。
一体どっちの言っていることが正しいのだ!?どっちも信用していいのか!?と。
無意識に本の巻末に目を向けて、著者のプロフィールを確認してみる。
どちらも医師経験と著作経験があって、疑わしいような類の人物ではないはずです。

引用した2か所だけを切り取ってみると、面白いことに気が付きます。
続けて読むと、後者の著者が、前者の著者を精神科医として全否定しているように読めるからです。笑
「成人のADHD」と「成人の発達障害」という言葉はこの場合同じものとして考えてよいと思います。
だとすると、後者の著者が前者の著者に「唖然としている」と読めてしまう。笑
しかしちょっと待てよと、本の発行時期を確認してみるとまた別の面白いことに気が付く。
前者の初版が2022年なのに対して、後者の初版は2017年となっています。

よくよく読んでみます。
前者の冒頭に戻ると、「数年前に出た研究の結果が世界に衝撃を与えた」と書かれています。
この「数年前」がまさに後者が書かれた時期と重なっているのです。
実は、後者の著者こそが、前者の著者がいうところの「子どものころADHDだった人が、大人のADHDになっていると信じていた多くの専門家」のひとりなのかもしれません。
もしそうであれば、厳密に言えばこれは食い違いではなくなります。読んだ順序が悪かっただけで、実際は後者の著者はこのあと「衝撃を受けた」のかもしれないのですから。
でも、実際のところは知る由もありません。そんなものは関係なく、やはり単に意見が食い違っている可能性だってあります。
割とこっちが、親切な解釈をしているだけのことなのです。

その後、岩波氏が考えを変えたのか、未だに唖然としているのか、けっこう気になるところではあります。
さらに新しい著書が出ていればその本の中で言及されている可能性もありますが、でもそもそも、読者側がそこまで厳密に追いかけなくてはならないものなのでしょうか。

だから、面白がってばかりもいられないのです。
私はいま、書いていて怒りすら覚えます。
まず専門家が意見を統一してくれよ、と強く思う。
どちらの著者も発達障害に対して誤解が広がっていることを憂いている。
でもその原因の一旦は、あなた方専門家の伝え方にもあるのではないか。
発達障害とは、たった5年でがらりと常識が変わってしまう世界なのか。それとも私がたまたま大きな発見の転換期に書かれた本を手に取ってしまっただけなのか。だとするなら、アップデートした情報を積極的に発信するべきではないのか。
珍しく怒っています。

確かに、この点だけをとって著者を責めるのは理屈が合わない気もする。
でもですね、いちから学ぼうとしている人間にとって、この仕打ちはやる気をそがれます。
しかもこっちは、自分から発達障害を疑ってかかっている人間だぞ!?
そんな、資料を細かく読み漁らせるような、あえて不得意な行動を課してくるのかと。

一方で、冷静に考えるとむしろ私は幸運だったのだな、とも思います。
発達障害とはそれほど、専門家や現場の医師のあいだでも、個人によって認識や概念ががらっと変わる世界なのだなと、この二つの本を読み比べて早い段階で気づくことができたのだから。
私は割と医者の意見を鵜吞みにする傾向があります。
でも、こと発達障害に関しては、少し疑ってかかるくらいでちょうどよいのだろうなと考えるようになりました。
診察前にそのような心境になれたのは素直によかったなと。

まあでも、それは結果論であって、はじめから妙な食い違いで悩まずに読めた方が良いに違いない。(実際は食い違いでなかったとしても)
もしかしたら、分野によっては、専門書ならこれくらいのことはよくあるのかもしれません。
すべての本が手放しで信用できるわけでもないでしょう。
たまたま、今回は貧乏くじを引いたのだと思って一旦黙るしかない。
これ以上文句を言うのであれば、また相応の証拠を提示しないことには、ただの愚痴になってしまいますから。

発達障害に理解のある、あるいはグレーゾーンも含めて知識のある先生に診てもらえることを祈ります。
グレーゾーンの話は一旦ここで終了です。
長々とありがとうございました。

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