荒井裕樹さま

まとまらない言葉を生きる(柏書房)
第4話「負の感情」の処理方法
子供がいない外国暮らしの私がはじめて知る「保活」という言葉。いつの日からか「就活」「婚活」「終活」と新語が行き交うことに新鮮な驚きを覚えていた。何一つ関わることがないこうした活動の中で後期高齢者となった今では「終活」がリアルなテーマとなってきたぐらいか。
そもそも何故「活動」しなければならないのか。
私が暮らすドイツではそれに比べ、「あるがまま」「なせるまま」でだれもこんなことでアレコレ悩まないし、動かない。
保育園・幼稚園不足、教員不足は新聞をも騒がせるテーマだが、それは個人に委ねられる問題でなく自治体の責任の範疇である。
子供は「自宅周辺に設置されている幼稚園・保育園、小学校に通わせるもの」、収容の可能性は需要に見合ったものであるのが一般理解だが、これがなかなかバランスがとれないために新聞沙汰になる。
そんな中「保活」の実態に筆者の荒井裕樹さんがフォーカスされたことは、日本社会の縮図をみるようだ。そもそも預かって欲しい立場の保護者は弱者に置かれあげたい声が声にならないことを指摘されている。
女性の社会進出がうたわれて久しい。常々疑問に感じていたが日本のジェンダーにまつわる話題は産声を上げて以来多くの女性が社会で活躍し啓蒙活動も取り沙汰されるようになったが、私には変わり用のない「国民感情」が女性問題を後押ししているように思えるのだ。
今流行りのSNSの炎上になるのを覚悟で敢えて言おう。日本人がこよなく愛する演歌やノーベル文学賞をも受賞した川端康成の名作「伊豆の踊り子」他、名作と言われている純文学、そして今流行りのアニメの世界、話題のテレビドラマ、これらはみんな男らしさ、女らしさを基軸に、時には情景描写として時には葛藤ドラマとして描かれてはいないか。
私はドイツのリトルジャパンと行っても過言ではない都市で暮らしてきた。1980年代の初め海外進出しこの都市を拠点にヨーロッパでビジネスを展開する企業が多く、現地社長ほか駐在員はほぼ男性で女性社員は現地の雇用となる。そうした日本人社会の中で女性が起業し仕事を展開することの難しさを感じたことはしばしばある。その場合は女性が組織の長であることを敢えて公言せず「仕事ありき」に徹底し仕事が既成事実として認められて「あの会社は誰がやっているの?」と噂され女性の私が経営していることを知ることになる。そこには海外ということでの特別感もあるかもしれない。荒井氏の著書にもどると、「保活にふりかかる働く女性ならでの生きづらさがある」と指摘したうえで「女性の痛み」に言葉をあたえた人、田中美津さんのことに触れている。田中美津さんは「日本のウーマンリブの活動に大きな存在感を放った人」でありながら彼女がいたから「日本のリブが無味乾燥な社会運動にならず、魅力的な運動になったと言われている」とのこと。
荒井氏は「叫び」というのは不思議だ。実際に声を出すのは一人ひとり。でも人は独りじゃ叫べない。一人がやるけど、独りじゃできない。そうした「叫び」が、世の中を変えていくのだろうと語る。(70ページ7行目)
胸に刻みたい言葉だ。

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