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平成最後の夏に「夏休みの終わり」を取りもどせ

8月31日の次は8月32日じゃない。
9月1日である。

こんなことを考えるのも8月ぐらいなもので、子どもの頃のぼくたちの頭の中にはいつだって8月32日があった。

しかし、それと同時に、いやおうなしにやってくる9月1日というものがあって、やり残している宿題や、やり残した「この夏やりたかったこと」の数をかぞえながら、ぼくらはその日を迎えたものだ。

そう、子どもたちには「9月1日」がある。
しかし、大人たちには「9月1日」がない。

いや、もちろん暦の上では9月1日という日は確かにある。ただしそれは、10月1日や11月1日と代替可能なただの1日にすぎず、あの「9月1日」ではないのだ。

ぼくたちは気づかぬうちに、夏休みそのものだけでなく、「夏休みの終わり」も失ってしまったのだ。

多忙な大人にとって、夏休みそのものを取りもどすことは難しい。不可能といってもいい。仮に長期休暇を取れたとしても、それは決してまぶしかったあの夏休みではない。

しかし、平成最後の夏、ぼくたちはとてもラッキーなことに、あの「夏休みの終わり」を再び味わう権利を得た。

それが「ペンギン・ハイウェイ」である。

■あらすじ(Amazonより抜粋)

ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。ある日、ぼくが住む郊外の街に、突然ペンギンたちが現れた。このおかしな事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした──。少年が目にする世界は、毎日無限に広がっていく。第31回日本SF大賞受賞作。

ぼく、ことアオヤマくんはかしこい。とても頭のいい小学4年生である。

アオヤマくんの落ち着いた物腰や態度、その精緻な研究ノートなどから、人によっては「子どもが描けていない」と捉えてしまうかもしれない。

だが待ってほしい。
あなたは子どもを、小学4年生をあなどってはいないだろうか。

確かにアオヤマくんは、ある種の誇張された「頭のいい子」ではある。しかし、仮に「頭のいい子」ではなくても、子どもというのは、彼らなりの深い考えや洞察力、そして何より大人顔負けの探求心を持った存在なのである。

そういう意味では、たとえアオヤマくんほど優れていなくても、誰もが皆アオヤマくんであり、かつてアオヤマくんであったのだ。

ぼくもまた、アオヤマくんだった。

夏休みの自由研究も読書感想文もおざなりに済ませていたが、図書館でホームズやルパン、ズッコケ三人組と共に謎に挑んだ。
デュエル・マスターズのデッキ構築やロックマンエグゼのフォルダ作成に頭を悩ませた。
あの丘の向こう、あの川の先、あの墓地の奥、父の書斎の奥、すべてが未知の世界であり、謎に満ちあふれていた。

それらを探求する毎日こそが、ぼくにとっての研究の日々だったのだ。

「ペンギン・ハイウェイ」は、そんなかつての探求心をよみがえらせてくれる映画だ。

なぜペンギンは町に現れるのか。
なぜ「海」は膨張収縮を繰り返すのか。
なぜお姉さんのおっぱいは目を引きつけてやまないのか……。

ぜひ、あなたも映画館で、アオヤマくんと一緒に謎に挑んでみてほしい。

さて、原作者がインスパイアを受けたと明言している名作SF小説『ソラリスの陽のもとに』は、主人公がある喪失を乗り越え、それでも研究をつづけていくと決意する物語である。

アオヤマくんもまた、一つの喪失を乗り越え、研究への決意を新たにする。大人への道を歩んでいくのだ。

それこそが「夏休みの終わり」であり、ぼくたちはこの平成最後の夏、久しぶりの「夏休みの終わり」を味わい、涙するのだ。

しかし、ぼくらの研究はつづく。

#映画 #映画感想 #ペンギンハイウェイ #ソラリスの陽のもとに #平成最後の夏

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