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雨を告げる感想(雨を告げる漂流団地 感想)

大雨が降る中、みなとみらいまで出向いてきた。
目的は、アニメ映画『雨を告げる漂流団地』だ。
先週金曜日からNetflixでも公開されていて、既に日本映画で一位を取ったとか。

なんでわざわざそこまで足を運んだかと言えば、監督と主演声優二人の舞台挨拶があったからだ。
まあ、半ば勢いでもあったが。
舞台挨拶の内容としては、それほど話には触れておらず、印象に残ったのは石田祐康監督自身の雰囲気が少年(子供っぽいというネガティヴな意味ではない)だなと。
あと、監督が答えていたGoogleマップのストリートビューを眺めるのは確かに面白い。過去に住んでいた場所を見るのもいいが、外国の田舎道を眺めるのもおすすめだ。


でだ、話はだいぶ逸れたが、今回は映画の感想になる。

○二人の関係の描き方がくどい

まるで姉弟のように育った幼なじみの航祐と夏芽。
小学6年生になった二人は、航祐の祖父・安次の他界をきっかけにギクシャクしはじめた。
夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに
取り壊しの進む「おばけ団地」に忍び込む。
その団地は、航祐と夏芽が育った思い出の家。
航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、謎の少年・のっぽの存在について聞かされる。
すると、突然不思議な現象に巻き込まれ――
気づくとそこは、あたり一面の大海原。
航祐たちを乗せ、団地は謎の海を漂流する。
はじめてのサバイバル生活。力を合わせる子どもたち。
公式HPより

ストーリーは大体上に書いてある通りである。
メインの2人とその同級生何人かとのサバイバルである。サバイバルといえども、そこまでアイデアや危険に満ちた(終盤に危険に満ちるが、敵となる人物や罠などはない)ものではない。そこは小学生だけの集団だし、むしろそこで出てくる『建物』『場所』の方が意味がある。

問題は、そのメインとなる2人の描き方だ。
正直、観ていてくどさを感じてならなかった。
2人が小学生ならではの不器用さと素直になれない態度で関係がギクシャクするのは仕方ない。
しかし、終始言い争っているのは観ていて疲れる。くどい。
また、主人公の男の子を追いかける女子の存在もくどさを助長させていた印象。
その関係性を楽しめる人も多いかもしれないが、過剰な関係性が二つ並び、濃すぎる関係に思えてならなかった。
結局、団地が切り離されてからはずっと子供しかいない環境のため、無理にでもなだめる存在もいない。そこが辛かった。このあと触れるが、そこにまだ幼い性格の小学生しか存在させなかった事故ではなかろうか。

○大人、もしくはそれに比例する存在の重要性

他社の作品を持ち出して恐縮だが、ジブリ作品『耳をすませば』を思い出してほしい。
主人公である月島雫も中学生ならではの、それこそ荒削りな原石らしい不器用さが見られたキャラだ。それでも、くどいとは感じなかった。
あそこで重要になった人物が、地球堂のおじいさんである。
あのおじいさんが、雫の不器用さを包み込むようにして許容し、優しくアドバイスしていた。
あの小説を持ち込んだシーンがそれだ。
勉強もせずに一心不乱に書き込んでいった小説を半ば強引におじいさんに見せるシーン。雫側は感情的に持ち込んでいたが、対照的におじいさんは多少の戸惑いを見せるものの、穏やかにそれを受け取り、感想を聞かせていた。
あの感情的な子供と余裕のある大人の対比があるからこそ面白く、雫のくどさが許される程度に抑えられたのだ。しかも、おじいさんとのやりとりを終えてちゃんと雫はおとなしくなっていった。
1人で書いていて、杉村などに当たり散らしていたら散々な作品だっただろう。

話を戻そう。
では、この作品の2人はどうか?
件の通りでメイン2人が言い争いをし、それを包み込む存在がないままなのでくどさが残ったままなのだ。
そこにフロリダ行きを誘う女の子まで現れるし、ヤンチャで制御不能な同級生までいる。
キャラ構成がくどい。

○のっぽという存在

劇中には、のっぽという不思議な存在が登場する。
この存在の扱いをもう少し変えれば、面白くなったのではなかろうかと思えてならない。
公式HPのキャラクター紹介を見てもらえればわかるが、のっぽも見た目は少年キャラだ。主人公と同じ小学校かも不明の上、自分でも何者かはわかっていない存在である。
しかし、物語の中ではかなり重要な存在だ。
重要な立場だからこそ、その扱いがカギとなっている。
漂流した団地建物の中で唯一主人公たちと同じクラスには所属していない、第三者的存在でもある。
第三者だからこそ、物語を俯瞰する立ち位置にいて欲しかったものだが。
ネタバレになるのであまり深くは触れられないが、この不思議キャラはまさに不思議な存在なのである。不思議な存在ゆえに、小学生という幼く不器用な存在をうまい具合にコントロールして欲しかったが、結局はこののっぽもまたおとなしい性格のために主人公をコントロールする存在には至らなかった。
なぜこのキャラまでもが小学生の外見(中学生にも見えるが)と性格にこだわったのだろうか? 監督は、団地の中は小学生だけの世界にしたいこだわりがあったのだろうか?
しかし、小学生だけにしてしまうとご覧のように難しさが残る。

昔読んだ小説に、『蝿の王』というのがある。あれは、無人島に飛行機が不時着し、子供たちだけが生き残ってサバイバルを始める作品だ。
しかし、話が進むにつれ子供とは思えないほどに凶暴化していき……という狂気も孕んだ作品である。
子供たちだけなのにそこまでの残虐性は違和感あるだろうと思われるかもしれないが、多少はあったもののそれほど気にはしなかった。
そこには、むしろその残虐性が非現実的で人間の凶暴性が際立っていて面白く感じられたくかんじられた。
それに、長編小説ならではの「じっくりとした変化」がそこにはあった。閉鎖された極限的な環境の中で長時間かけて狂気を養っていく描写がそこにはあった。だからこその納得感なのだ。
しかし、漂流団地の場合、少年たちは現実的であり、むしろ現実的だからこそ抱える深い悩み、トラブルがあり、それが筆者には足枷に感じられた。
だからこそ、不思議な存在であるのっぽをもっと有効的な活用が見せられたら、なんて思えてしまうわけだ。

○団地としての描き方は?

都営ならではのトックリ型給水塔が目立ち、昔巡った辰巳の団地を思い出した。
あの団地も建て替えられたのではなかろうか?
今や建て替える団地もチラホラ見かける。それゆえに、「団地が建て替えられる」という設定は今時らしくgood。

少々ネタバレになるかもしれないが、作中には団地以外の建物も流されてくる。
どれも、今は存在しない建物だ。つまりは、破壊された建物が漂流してくる。
それらには、各々の良くも悪くも思い出が詰まった場所。
そういう建物が流れてくる世界観は興味深い表現に感じられた。
思い出の失着と別れ、それがやがては成長につながるということだろうか。

○総評

少年冒険モノとはいえ、件のようにくどさが目立っただけにマイナス。
ただ、建て替えの進む団地やそれ以外の建築物などと、主人公たちの関係性などに潜む設定はgood。
まあ、少年冒険モノがお好きならどうぞ、そうでないなら……、というとこでしょうか。

サイン入りポスターが飾ってあった


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