クトゥルフ神話TRPG語り -1- キーパーとしてのスタンスの変化
はじめに
こんにちは、黒崎江治です。先日からソード・ワールド2.5のキャンペーンがはじまったのでワクワクしています。タイトルが『酷寒の終わり』なんですけど、初日の最高気温が34度とかで、これじゃ『酷暑のはじまり』じゃんとか思ってました。
これまでいくつかシナリオ創作論的なものを書いてきたんですが、今回はもっと肩の力を抜いてというか、エッセイ・雑記的なものになっています。
個人的な経験
私が最初に遊んだシステムは『クトゥルフ神話TRPG』でした。2013年末ごろだったと記憶しています。はじめてKP(他システムでいうところのGM)をやったのが半年後ぐらい。2つほど同人・公式サプリのシナリオでKPをやったあとは、ずっと自作シナリオのKPをやっています。ほかの人のシナリオは読むだけ。このあたりすごくこだわりっぽい感じもしますが、うまく言語化できません。まあちょっと吟遊詩人的というか、「俺の物語を食らえ!」というマインドがあるのかもしれません。
それはそれとして、最近昔のログを見ることがちょくちょくあって、そのたび自分の発言に対して「堅苦しいなあ」という印象を抱いています。口調もですます調の割合が多い。クトゥルフ神話TRPGのKPには秘密の守り手という意味があるらしいんですが、そういう超然としたイメージに引っ張られて、プレイヤーと距離を置いた裁定者みたいなスタンスをよしとしていたような気がします。はじめましての人と卓を囲む傾向が多かったのも影響しているかもしれませんが。
このスタンスにも、KPが一歩下がることでプレイヤーがシナリオに没入しやすい、というメリットがあるのかなと思います。あるいは、プレイヤーや探索者がワイワイやってるのを見守るのが楽しい、というKPにはこっちの方が向いているんでしょうきっと。
ただ私個人はおふざけが好きなので、ちょっと我慢していた部分もある。こういうこと言いたいけど雰囲気を乱すから黙っておこう、みたいな。
プレイヤーのひとりとしてのキーパー
最近のスタンスはちょっと変わってきています。ログを比べると如実に分かるぐらいに。キーパーもセッションを楽しむ仲間(プレイヤー)のひとりだ、という意識が強くなったからだと思います。積極的に茶々を入れたり、小ボケを挟んだり、探索者をいじるような発言をしたり。シナリオ内容に関わるような冗談を言ったりもします。「最終的にはみんな死ぬんですけどね」みたいな。まあ別に死なないんですけど。
ものすごーくシリアスな場面ではKPも一生懸命に描写や処理をしないといけないことが多いので、この辺のおふざけはなりを潜めますが、多少のシリアスさであれば裏(別のタブ)で軽口を言うこともあります。
どんなにセーブしても、セッションの緊張感とかエモさみたいなのが多少減じてしまう部分はあると思いますけど、ある程度やむなしかなと割り切っています。あと普通にスベったり嫌な気分にさせてしまったりというリスクとは常に隣りあわせ。そこは私とプレイヤーの楽しさとか、ストーリーの流れとかに気を配り、雰囲気をよみながらふざけていく。
ちょっとしたプレイヤー発言が探索者の命取りになるようなセッションだったり、KPもプレイヤーも泣きながらロールプレイするようなセッションだったり、そういうのとは合わないスタイルなのは間違いないですね。「(怪しげな物質を)舐めてみます」「じゃあ死にますね」「やっぱやめときます」「じゃあ死にませんでした」みたいなノリが許されるセッションでないと。要するにプレイグループ次第。
どちらかがいいというものではないが……
超然としたKPとフランクなKP、どちらかがいいというものではありませんが(重要)、やっぱりカッチリ演出しなきゃ! という観念を持ちすぎると辛くなっちゃう気がします。なのでセッション中に窮屈さを感じているKPは、もうちょい肩の力を抜いておふざけに走ってもよいのではないかと思います。「ではみなさんがずんどこ進んでいきますと」みたいな、ちょっと緊張をゆるめるような言葉選びもいいかもしれないですね。おしまい。
以下は宣伝です。
新クトゥルフTRPGのシナリオ集が出ています。私が書いた『外から訪れたもの』も収録されています。
拙著です。名前から分かる通りクトゥルフ神話の世界観を下敷きにしています。汚いビブリア古書堂。いや推理ものではないですが。
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