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子宮の詩が聴こえない1-⑧

始めから読む) (⑦を読む

■| 第1章 詩人の勧誘
⑧「譲れない」


西日のあたるリビング。
久しぶりに子どもを挟まずに夫婦で隣り合った。
セミナーから数日経ち、まさみが「話したい」と切り出したのだ。

そして打ち明けた。
番長あき達と交流したこと。華襟島(かえりしま)へ移住する勧誘を受けたこと。
これからはブロガーとして、子宮の詩を詠む会のグループで活動をしたいと考えている、と。

要望通りに取材先から直帰した誠二は、隣に座って耳を傾け、やはり驚きを隠せなかった。

しばらく沈黙も続いた。まさみからのまなざしが痛い。

言葉を選びつつ、諭した。
「ちょっと落ち着いて考えないか。これから、ネットで自分を世の中にさらけ出して生きていくのか。島で暮らすことになって本当にいいのか」

こんなに急展開するとは思わなかった。
そこまで子宮の詩を詠む会に傾倒しているとは……。

勧誘を受けたという説明も、半信半疑ではあったが、妻の美しさが他者に認められたことは悪い気はしない。
事情は分かったが、複雑な感情でいた。

今は善悪を判断する材料が無さすぎる。
ただ、お互いの人生にとって軽い選択ではないことだけは分かった。

「もっと早く“胡散臭い”と、けん制してセミナーに行かせないようにしておけば、あるいは……。その時には言い合いになっていたとしても……」

口に出せない後悔が誠二の頭を巡った。

まさみも、譲れない思いで夫と対峙している。
ただのファンだった自分が、憧れの大物たちにプロデュースしてもらえる。
しかも故郷のO県にある島に施設ができるのだ。
その奇跡と僥倖(ぎょうこう)を夫に理解させなければ。

説得に力がこもる。
「こんなチャンスはもうないって。私は好きなことができて、人気者になって、大儲けができるかもしれない。生活も楽になるよ。マコにだって、もっといい思いをさせてあげられる」

娘の名前を出され、誠二は少しだけムッとした。

子どもが生まれる前に、誰からの力も借りずに頭金を支払って都内中心部にマンションを購入した。
日本中に名の通った出版社に勤め、家事や育児をしながら家族を養っているプライドもある。
そしてそれを鼻にかけて、ともすれば陥りがちな、抑えつけたり威張ったりするような態度は一切とっていない。
自分よりも家族を第一に考えてきた。

「マコはいい思いができていないのか。こうして衣食住が足りていて」
「そうじゃないけど……」
「大儲けできる保証がどこにある。俺はまだ、その番長あきだのラッキー祝い子だのって信用できない」
「あきちゃんもラッキーちゃんもあんなに稼いで、大勢に慕われている人だよ。ミジンコ公式ブログで信用だってある」
「そのミジブロっていうのは、そんなに信頼していいものなのか」

既にブログは開設済みだ。
番長あきの猛プッシュも受け、たった数日で、アクセス数も急上昇して素人のそれでは無くなっていた。
彗星の如く表れた、番長イチオシの「美女ブロガーまさみ」に、ファンも付き始めている。

だから何を言われても、まさみはもう後に引けない。
「今は自分から発信していく時代。ミジブロには色んな人がいて、自分をさらけ出しているの。あなたみたいに雑誌を作っていて文章力があって、社会の中の優等生としてうまくやっていける人じゃなくても輝ける」

攻撃的な妻の言葉に、誠二も冷静さを欠いていく。
「発信が悪いとは思っていない。でも、その知り合ったばかりの番長やラッキーたちの口車に乗って、狭い世界で得た一時的な人気が何になるっていうの。そのリスクだって」
まさみはトーンを上げて夫の言葉を遮った。
「どうしてあなたはいつもそう正論ばかりで攻めてくるのよ」
「……」
「私はあなたみたいに落ち着いて育児をしたり、家事をしながら面倒をみたりできないの。私にできるのは自分のことだけ。ブログではそれでいいし、あきちゃん達も自分を出せって、後押ししてくれる」

ますます感情が入っている。
こうなって、一方的にまくしたてられて話し合いができなくなることを誠二は何度も経験していた。
ヒステリックな性格を知っている。一旦は黙ってしまうしかない。

「もっと自分のやりたいように自由にやりたい! 子どもなんか関係ない! 私は、私なんだよ!」
まさみの大きな目から涙が溢れた。

誠二は努めて落ち着いて話す。
「……やりたいように、今までだってやらせてきたつもりだよ。俺は」
「……」
「だから、まだ2歳のマコに対しての態度も、できればこうして欲しい、こうしたらどうかと伝えるけど、一度も強要はしなかった」
「……」
まさみは両手で顔を覆い、固まったまま聞いている。

「君が母親である前に、自分だということは分かる。……でも、それは本当に自分なのか。疲れて視野が狭くなって、それが正しいとしか考えられないだけだとも思うんだ」
「……」
「俺はマコのイヤイヤが終わるまでは我慢の時だと思っているから、まだ色々と一緒にやっていきたいと思っているし」

涙をぬぐいながら、まさみは返した。
「……私には、何でもやってくれているあなたの背中が、『もっとこうしてくれたら』って言っているように感じる」
「……確かに、そう思うことも無いとは言わない」
「だから、そんなネガティブにならずに済むように、私自身がもっと楽しくできることをやりたい。自分が好きなことをやって何が悪いの?」
「悪いとは思わないけど……」
「そうでしょう。マコだって、自由に好きなことをしているママがいいに決まっている」

子どもはまだ小さくて何も分からない。そう言いかけて誠二は堪えた。
現実から逃げるような短絡的な考えに陥っていることを、なんとか気付かせたかった。
「……今、家族は関係ないと言って得体の知れない人達に飛びついて、環境を変えることが、本当に自分のためになるのか?」
その言葉を聞くと、まさみは立ち上がって、リビングに置いてあったバッグから本を取り出した。

鳩矢銀太郎にもらった本だ。熱心に読んだのだろう。付箋がたくさんはみ出している。
サインの入った最初のページを示しながら、言った。

「ぎんさんがくれた。“人生は冒険や。迷惑をかけろ” 大人でもこう思えるってすごいことだと思う。本に書いてあるよ。何をしても好きなようにまず行動すれば、その分、誰かがカバーしてくれるって。助けてもらえって」

カバーするのも助けるのも俺だ。そして、迷惑をかけられても、今までも何の文句も言わずにそうしてきた。
そんなふうに考えたが、また誠二は言葉にできなかった。

鳩矢のことは知らない。番長とラッキーに同行していた仲間だというのは聞いた。
心の専門家だと? ブログから派生した子宮だの何だの胡散臭いスピリチュアルを肯定するような人間が、なぜそんなに人を焚き付けるような無責任なことを書けるのか。
軋轢を生まずに主張することの難しさも募って、いつも冷静な誠二にも少しずつ、怒りがこみ上げていた。

「見せて。どこの出版社が出しているの」
本を受け取り、ページをめくりつつ背表紙を眺める。

仕事柄、どのような本を出す会社かはすぐに分かる。
ミジンコブログと関わりの強い出版社だ。スピリチュアルや自己啓発本の専門のようになって業績が上向いたと認識していた。

「なんだよこれ。ページも字も少ない。こんな薄っぺらな内容で……」

まさみが激昂した。
「いつも否定ばっかり! その出版社を知っていたら何か偉いの!?」
勢いよく本を奪い返した。

腕を爪で引掻かれたようになって、誠二も思わず立ち上がった。


― ⑨に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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