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子宮の詩が聴こえない3-④

③を読む)(第1章から読む

■| 第3章 謀略の収束
④「父との電話」


電話口とはいえ、久しぶりに父と話す。

「待っていろ、場所を変える。ここの個室は壁が薄いから」
それを聞き、未久はおどけたような顔をまさみに向けて待った。
まさみが心配そうに見詰める。
「お父さんに連絡してどうするの……?」
すると、未久は「ふふっ」と笑った。
「別に今さらあんたのことを怒ってもらおうだなんて考えちゃいないよ。ちょっと横で聞いてなさい」

父は病室から電話ができる場所まで移動したようだ。
落ち着いた声が聞こえてくる。
「どうしたんだ。東京からこっちに帰ってきてるんじゃないのか」
声を聞いても、さほど感慨もないように、未久はさっさと要件を伝えようとする。
「お見舞いには行けない。もうすぐ東京に戻る。それより仕事の話をしたいんだけど」
「病人に新聞記者さんの仕事を手伝えるようなことはないな」
「ま、とりあえず聞いてよ」
そっけない長女とのやりとりに、父は「相変わらずだな」と笑った。

成人してからの親子関係は決してよくなかった。
それは元々の性格もあって清のほうから積極的に娘2人と関わってこなかったことも一因ではある。
特に未久は、高校を卒業して10年以上も家を出たっきり。結婚してから2度ほど、孫の顔を見せに表れただけだった。

そんな未久からの滅多にない要望は簡潔だった。
「すぐに県警本部長と連絡をとってもらいたい」

O県警の阿南本部長は清にとって高校の剣道部の後輩にあたる。
かつて県下有数の剣士であった清を慕っていて、県警剣道部の特別指導員として招いたこともあった。

「阿南とはもうずいぶん会っていない。ことしで定年のはずだ」
「なんとかならない?」
「まあ、やってみよう。何の件だ。大きいネタなのか」
「詳しくは言えないけど、華襟町長のこと。お金関係で叩けば必ず簡単にホコリが出る」

未久はこの島の短い滞在期間でいくらでも情報を入手していた。
子宮宮殿の建設に関しても不適切な行政の介入があると見ている。この施設運用について、条例も不自然に改正されようとしていることさえも掴んだ。

首都新聞O県支局とも連動している。週刊誌記者の誠二たちでは真似できない、全国紙の社会部記者ならではの情報収集のネットワークを生かしていた。
何よりも、これまでの豊富な取材経験から、怪しい事象に対してどのような目線を向けてどう動くべきか分かっていた。


話を受けた清は、数日前に誠二から聞いた華襟島のカルト集団の件を思い出していた。
そして、まさみのことも。
「いま取材中なのか」
「うん、島にいる」
「ということは、まさみもそこにいるんだな」

未久は、その指摘に驚いて少し間をあける。
「どうして分かったの」
「お前は妹思いだから。今こうやって話しているのを聞かせて、安心させているんじゃないかと思ったんだ。そうじゃないとわざわざ電話なんかしてこない」
「……当たってるけど」
「昔からすぐにまさみの周りの物の粗探しをしていたな。良い記者になれたのも、そういう環境で育ったからだと今になって思うんだ」

思わぬ父からの言葉に戸惑った。
思春期の頃なら、「私の何が分かる」と反発していたかもしれない。
不思議そうに通話中の自分を見詰めるまさみに視線をやり、少しため息をついた。
「……ちょっと、まさみにも代わるね」
自分も妹の性格などを多少は分かっていたつもりだ。ただ父親は、やはりそれ以上に娘達のことをよく分かっている。
そう思うと、今のまさみとも会話をさせずにはいられなかった。

驚いたまさみは両手を体の前に出して「拒否」のジェスチャー。
未久ほどでもないが、以前から父親とサシで話すような関係性ではない。
病床を見舞っていない負い目もあった。
もっとも気まずいのは、カルト集団に傾倒してしまっていたこと。

それでも未久は無理にスマホを押し付け、ベンチから立ち上がってその場から少し離れてしまった。

まさみは仕方なく、おそるおそる話し始める。
「……もしもし」
「まさみか。久しぶりだな」
「うん。あの、私もお見舞いにもろくに行けてなくて……」
「代わりに誠二くんが来てくれた。そんなの気にする必要はない」
「……はい」

既に夫から全ての事情を聞いているのだろうか。何から話したらいいか分からなかった。
黙ってしまうと、電話口から笑い声が聞こえた。

「今な、あの未久が珍しくお父さんの交友関係を頼ってくれたぞ。嬉しいもんだな。まさみも何かリクエストしてみるか。小さい頃は、それぞれの誕生日に二人分プレゼントを買っていたな。ケンカになるからってそう決めたんだ」

久々の父の声。懐かしい話も聞いて、一気に感情が溢れてきた。

なぜいつも、こんなにも優しい身内を軽んじてきたのだろう。それよりも、最近は明るく楽しく感じる目に見えないものばかりを追いかけてしまっていた。
いま島にいるのもそのせい。姉が助けに来てくれて、こうして繋いでくれるまで気付かなかった。ずっと泣いてばかりだ。

そんな自分が情けなくて声にならない。

「お父さん……私ね、私……」

清もその心情を察していた。
「何も心配しなくていい。まさみも、頼りたくなったら、いつでも言ってきなさい」
「……」
「いつも強気な未久とはちょっと事情が違うかもしれないな。お前には私より先に頼るべき人がいる。もしも何かを信じたくなったら、まずは今の家族を信じてみたほうがいいな」
「うん……」

清も話しながら、ほんの少しだけ声を詰まらせる。
「説教はもういいか。無事に東京の、自分の家に帰れよ」
「うん……、そうするよ」

まさみが涙を拭うのを待っていた未久は、全てから解放されたように深呼吸をして夜空を見上げていた。


ロビーで待っていた若田は、この時の二人のことをもちろん知らない。
屋上から降りてきた時、やけに親しげだったのも気にはならなかった。
「前田記者」の取材を受けたまさみはこれで一旦は落ち着き、部屋に戻ったはずだった。

しかしそのまま、若田からの連絡に二度と応じることはなく姿を消し、リハーサルがおこなわれた前日はおろか、本番の日になっても連絡はつかなくなったのだ。


そうして場面は再び一昨日と同じこの場所。
祭りが全て終わった後の宮殿ロビーだ。

若田が未久に問いかける。
「何か知りませんか? まさみがどこへ行ったのか。一昨日の屋上での取材の時に、何か話していませんでしたか?」

素直に答えるはずもない。元より姉妹であることすら隠しているのだ。
深夜のうちに、未久を泊めてくれていた華襟町役場勤務の野村由記子の家に逃げ込んだ。
それを知っているのはメッセージのやり取りをしている自分だけだ。

「変わった様子はなかったわね。せっかくやる気になっていたのに、逃げるなんてちょっと無責任よねえー」
やはり大げさに芝居がかってはいたが、とぼけている確信も持てない若田。
「どこへ行ったんだ……逃げただけならもういいのですが……」

未久はニヤけそうになったが、感情を悟られないよう深刻に提案してみる。
「捜索願いを出した方がいいかもしれませんね。記事にしましょうか? 島のイベント出演予定者が行方不明……」
確証や警察発表もなく全国紙がそんな記事を掲載できるはずもない。
だが、若田は思いのほか慌てた。
「い、いやいや、そこまでは。まだ事件と決まっている訳でもないですから」

うろたえる様子を見下して楽しむのも飽き、出されたコーヒーを一口飲んだ未久は、
「では、そろそろ失礼します。まさみさんが見つかるといいですね」
そう言ってほほ笑んで席を立った。

「ああ、取材ありがとうございました。あの……どうぞ宜しく」
媚びを売るように言ってきた若田に、一瞬じっと冷たい目を向ける。
だが即座に表情をにこやかに変えて言った。

「他にも取材をしてから記事構成を考えてみますね」


― ⑤に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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