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初・高知旅!大雨で感動した高知城の設備とジョーハク企画展レポ

 7月のハチャメチャ忙しい中、どうしようもなく旅行へ行ってきました。今回は真面目に金欠(というより節制しなければならない事情があり)&時間なしの縛りプレイ旅行。宿泊がない代わり、夜行バス→行きたいところをピンポイントに観光→夜行バスという弾丸ツアーをしてきました。

 先に言うと今回の記事は長いです。

 旅の行き帰りと、夜行バスに乗った記録はこちらの記事よりどうぞ。


旅の目的

 今回は高知県立「高知城歴史博物館」(通称:ジョーハク)で開催中の企画展【武家の服飾―山内家伝来装束の世界―】が一番の目的でした。

武家の服飾! 衣装! ファッション! めちゃくちゃ好きな主題です!! おまけに、高知と言えば山内家。かつて大河ドラマで「功名が辻」が放映された頃、いつか高知に行ってみたい……と思いはせていましたが、ようやく叶う時がきたかもしれない!

 そんなわけで目的と行先は決定。調べてみたら、目と鼻の先に高知城も控えているではないですか。うむ、行くとなれば高知城もワンセットで行くのが当然ベターというものでしょう。
 あとは桂浜とか、まあいろいろあることは分かっていましたが、生憎と幕末明治期の歴史は専門外であることと、滞在わずか半日足らずな上に前後を夜行バスに挟まれた日程。あまり多くの場所へ足を運ぶことはできないなと思いました。さらには、梅雨が明けきらぬ暑さの厳しい中だったので己の体調面で不安もありましたし、折しも九州から四国にかけては大雨警報が出るぐらい天気が悪かった。こりゃ仕方ない。
 ただ、前日の夜行バスへ乗る前、お風呂に入れないことがどうしても嫌でした。高知駅周辺で銭湯とか、スパ的なものがないか……と探してみましたところ、またしても高知城&ジョーハクさんから徒歩圏内に日帰り温泉施設があるじゃないですか! ここでわずかながら、旅の疲れを癒していくことにしました。

まずは初ジョーハクへ

 高知へ行くのが……というより、四国へ行くのも初めてだったので、当然のようにジョーハクさんへも初めて伺いました。やった~~~! Twitter(X)いつも見てます!! 今回の企画展、開館以来初となる服飾企画展らしいんですよね!!

山内家伝来服飾資料の特徴
土佐藩主山内家に伝わる服飾資料の多くは、武家にふさわしく陣羽織や具足下着などの戦衣に関わるものです。大半の歴代藩主が着用したものが伝わっており、それぞれの時代をよく表す資料も含まれています。戦乱の世から泰平の世へと移り変わっていく中で、戦衣がどのように変化していったのかを捉える手がかりとなる貴重な資料群と言えるでしょう。

企画展ホームページより

 服飾は全然専門じゃないので細かいことは何一つ分かりませんが、見る分には大好き! 服飾の歴史は華やかで、国柄、人柄がダイレクトに表れる媒体のひとつだと思っています。料紙史料と同じで、見えてくるものがありますよね~! というわけで、もうめちゃくちゃ見たかったんです。やっぱり私、受容史とかやったほうがいいのかもしれん。

高知駅から路面電車に乗り、
途中乗り換えもしながら「高知城前」まで。
運賃は一律200円。
路面電車の駅から徒歩5分程度。
南側の入り口が見えてきました。

 常設展示は第一、第二と部屋があって、ちょうど第二展示室は伺った日まで改装中。甲冑見たかった〜〜!!! 一瞬涙したものの、しょんない。でも、第一展示室だけでもかなりボリューミー!!
 広い幅を取った左右の壁には高知藩の歴史、高知という場所の歴史、高知城の歴史……と、まさに高知の全てが詰め込まれた年表パネルの数々。細部にまで描かれたフルカラーの絵図、キャプションも簡潔でわかりやすく、英語対応もばっちり。大変勉強になる素敵な展示室でした……! なおのこと、第二展示室を拝めなかった自分のタイミングの悪さを呪いましたが、次は晴天の日にお伺いしたい……!! めちゃくちゃ雨だったから……!!

 そしてメイン目的である「武家の服飾」!

「芸」、つまり能の衣装が展示されたケース。

 山内家に残された『陣羽織や具足下着などの戦衣に関わるもの』。これこれこれ~~~これが見たかったんだァ~~~!
 室町(戦国)時代の前後では、装いに付加される要素が変わってきます。戦乱真っただ中で必要だったもの、泰平の世を迎えてから求められたもの。展示会ではそうした戦国過渡期の大名家を通して、服飾の変化をダイレクトに見ることができると感じました。
 山内家初代藩主である一豊かずとよ所用と伝わる時代のものから幕藩体制が終了する江戸終盤までの服飾資料が大変すばらしい状態で保存されていたことは本当に感動です。やっぱり江戸を生き抜いた御家と言うのは強いわ~~!! 残るんですよね【物】が!(※勿論、江戸期における災害(火事とか)や幕末期、あるいは近代の大戦時において失われてしまったの物も数多く、また失われた物のほうが多いとは思うのですが……)
 これだけの物量が保存されてきたのは、ひとえに高知の人々、また山内家に関わった人々が大切に大切に受け継いで、外部への散逸を防いだからに他ならないでしょう。

写真だと少し暗いですが、「白色」の陣羽織。
山内家歴代当主だけが身につけられる
色として定められていたとか。

 具足の下に身に着ける「具足下着」、まんまですが、要するに肌着というもの。陣羽織に、公の衣装であるかみしも、山内家当主がお正月の行事時に着用していた紙衣かみこ
 このような品々、特に陣羽織の数は大変多く展示されており、すべて実物というのですから更に感謝しかありません。
 これだけの品々を今後も保っていくことは本当に大変だと思いますが、私も(新米に毛の生えた程度でも)文化財に携わる身、勉強させていただくと共に応援していきたいと感じました……!

戦国時代によく使用されていた生地の紹介パネル。
文章だけではなく、実際に肌触りを確かめられる
素敵な展示のやり方! 情報社会において
五感に伝わる実物展示は本当に貴重だと思います!

 ていうかジョーハクさん、館内がめちゃくちゃお洒落で格好良くて綺麗。めっちゃ綺麗。声に出して「めっちゃかっこいい」って五回くらい言っちゃった。グッズも洒落てる。マジで皆んな行くべき(オタク特有の過大表現)
 あとね、展示パネルなどで山内初代の「一豊」を「かとよ」と濁さず発音させていたのが印象的でした。ずっと「ず」で覚えていたので……。書状とかで「かつとよ」の書いてる物があるのかな? それとも発音の差かなあ。この時代は濁音と清音が混じっていたので、必ずしも現在の鼻濁音を示す「テンテン」が付いてるとは限らないんですよね。後述するガイドの方も「かつとよ」と清音で呼んでいました。地域的なものかもしれないし……答えの出ない言語思考楽し〜〜〜!!!

豪雨の高知城

 たっぷり山内家と服飾歴史を楽しんだあとは、そのまま高知城へ!

高知城歴史博物館目の前にある橋を渡り、敷地内へ。
正面には「御馬場跡」が広がります。

 大雨の更に上をいく豪雨の中、一瞬気持ちが萎え二の足を踏みつつも「ここまで来たのに目の前の城に行かないなどあってたまるか!!」と自分を鼓舞しました。本当にすごい雨だった。よく高速バス無事だったな……。

三の丸方面へ登る。
一眼レフ持ってこなくて正解だった。

 私はこの度、初めてきちんと高知城のことを調べたのですが……。特筆すべきは城内石垣部分に設置されたあるもの。それが「石樋いしどい」という設備です。

これ!! 石樋!!!

 石樋とは排水設備のひとつで、城内の水を外に流すために造られています。高知城は昔から比較的雨量の多い地域であり、日本に住んでいれば必ずと言って良いほど体験する台風や大雨の影響を大きく受けるのだそうです。(土地の位置の問題とかありそう?)そのため、城に水が溜まらないよう、下へ排水する設備が整っているのですね。

また別の場所の石樋。
引きで見ると、水の排水具合が良く分かります。

 豪雨の中の僥倖です。もし仮に、晴天の中で訪れていたら実際にこのような水が排水されている様子を確認することはまず出来なかったでしょう。なんて運が良いんだ! 怪我の功名と言うべきか。

 石樋は流した水による石垣へのダメージを軽減させるため、石垣よりもせり出して造られているそうです。直接当たらないように飛び出ているの、写真で分かりますでしょうか。水が落ちる箇所には水受けの敷石が敷かれており、やはり地面を保護しています。天才の発想。こういうの誰が思いつくんだ。
 高知城には現在16基の石樋が残っているそうです。いかに水と戦ってきたか分かります。流石に全て回って確認できなかったのですが(それこそ雨に負けて)登っていくにつれて排水される水の量が多い(当然上のほうが水が多いため)のを確認できたのは大変素敵な体験でした!

「杉の段」あたりから見上げた高知城。
雨粒が大きくて一人大騒ぎ(笑)

 城内では現地のボランティアガイドの方にご案内していただきました。現存天守とされる建造物は全国で現在12城ありますが、その中でも高知城は本丸御殿と天守閣がそのまま残っていて全国的にも大変珍しい!

本丸
本丸には天守・本丸御殿・納戸蔵・廊下門・東多聞・西多聞・黒鉄門などの建造物が残り、いずれも国の重要文化財に指定されている。東多聞は武器庫として使用したといわれ、西多聞には本丸警護の武士が詰める番所が置かれていたという。黒鉄門は本丸の南に位置し、儀式の際に藩主が出入りする門
であった。

天守
外観4重(内部3層6階)の望楼型天守で、最上階には廻縁高欄が付けられている。「咸臨閣」という別称を持ち国の重要文化財に指定されている。

https://kochipark.jp/kochijyo/about-kochi-castle/fukan-map

 大雨故に野外部の遺構を見て回ることは断念しましたが、その代わり城内は隅々までガイドの方に教えていただいて本当に充実した時間でした! いつも思うけど、こういうの無料でいいのか……!? 100円でもいいからお金取ってほしい……と思ってしまう……兎角、教育が絡むとどうしても「有償」や「営利目的」が難しいのはわかるんですが(制度的にも)、せめて一日拘束されている皆さんの飲み物代くらいはしっかり払わせてほしい……。全国でボランティアガイドなどされている皆様、本当にありがとうございます。皆様は知識の宝庫で地元の宝そのものだと思います。

本丸御殿内部。1727年に起きた火災で消失して
しまったものの、その後1753年までに再建され
現在まで残っています。
室内デザインなど、平和な江戸中期ごろなんだな〜と
思わせる造りで面白かった。

 前述したとおり、私の高知への知識は大河ドラマ「功名が辻」を通してのものです。勿論、大河ドラマは『ドラマ』ですから脚色や異説・逸話も多く盛り込まれているもの。しかしあの山内一豊と千代の物語は、私の中で情熱的で素敵な物語として今も強く記憶に残っています。細川家もけっこう取り上げられてましたしね!!(大事)
 関ケ原の合戦の後、山内一豊は土佐一国を与えられ、同地の藩主として城の建設と城下町造りに力を入れていきました。山内家は江戸時代続き、明治を迎えて現代に至ります。今回初めて土佐へ行きましたが、そうした山内家の歴史と文化をぎゅっと詰め込むことができて、充実した半日を過ごすことができました。

天然温泉「三翠園」とカツオ

 高知城歴史博物館と高知城をハシゴした後は、高知城から見て鏡川方面(南)へ進み、かつては土佐藩主山内家の下屋敷だった場所に建つ高知城下の天然温泉 三翠園へ行きました。目的は立ち寄りの日帰り温泉。高知城下唯一の良質天然温泉だそうです。金額はタオルを持ち込みして大人1100円。
平日の昼間だったこともあり、私のほかに2~3人程度のおそらく地元の方が温泉へ入りに来ていました。広い大きなお風呂をゆったり堪能させていただきました!

 お風呂の後は駅方面へ戻って遅めの昼食を。勿論カツオ! カツオが食べたい! というわけで定食を出してくれるお店に行きました。「COCOCHIコーヒー」というお店も行きたかったんだけど、こちらは残念ながらちょうど行った日が臨時休業……そういうの、多かったなあ! 時間が中途半端で、もうランチが終わっていたり、夕方まで開いてないとかだったり……。うーん、タイミングは仕方ない。いろいろ遠出もしたかったけど……何度も言うけど一日中降っていた雨はかなり動きを制限しました。

で、行ったのは駅すぐ横の「くつろぎの里 庄や JR高知駅店」。定食屋寄りの飲み屋って感じでしょうか。カツオのたたきは外せないとして、天ぷらにしようか、刺身にしようか……丼ものも美味しそう! 食べ比べなどもあってめちゃくちゃ悩みましたが! 天ぷら! 天ぷら食べたい!!

二千円ちょっとくらい。
ウマーッ

 高地ではカツオに塩付けて食べるんですね!? 美味しい! 醤油じゃないのか~~塩分過多、なんて美味しいんだ。白米もりもりいけてしまいます。どう考えても食べすぎた。でも夜はまた夜行バスだったので、食いだめっていうか……(※アラフォーはしないほうがいいやつ)まあ歴史散策に比べればおまけみたいな感じではありますが、ゆっくりご飯も食べて満足でした。すごい長居してしまった。ご馳走様でした。

市内を走っていた路面電車。
ふと見たら、デッ、デカレンジャー!!
映画で高知が舞台になってたらしく、そのコラボラッピングだったみたいですね(ボス見切れてすまない)

 というわけで、弾丸縛りプレイ旅行記でした。夜行バス、便利だったけど次は泊まりたいな(笑)それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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