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「破魔矢の元祖矢守」

平賀源内が破魔矢を商品化したという

★ジャンル【宗教】 
★場所 大田区矢口1-21-23
★最寄駅 東急多摩川線武蔵新田駅

★解説文
「社殿のうしろには、昔から決して神域を超えることがなく、雷が鳴るとピチピチと割れたという不思議な竹があり、江戸時代にエレキテルを制作した平賀源内がこの竹で厄除招福・邪気退散の『矢守』を作りました。これが全国の社寺で授与されている破魔矢の元祖になります。これを記念して、日本を代表するグラフィックデザイナー浅羽克己氏の制作された矢守のオブジェが社頭にあります」

★解説
 東急の武蔵新田駅(「むさしにった」駅です「むさししんでん」ではありません)を降りて商店街を南に3分ほどで新田神社があります。この境内にさまざまな謂れのモニュメントや掲示があります。
 この神社の祭神は、南北朝時代の武将・新田義貞(にった よしさだ)の次男・新田義興(にった よしおき)です。ですから駅名も、あちこちにある「しんでん」ではなく「にった」なのです。
 境内に掲げられた「社史」に「破魔矢の元祖矢守」との項目があり、解説文に掲げたのはその文章です。
 新田神社では当社が「破魔矢の元祖」という表現をしています。しかしながら弓矢が霊力を持つということは古来から日本で行われていたことです。例えば「鳴弦(めいげん)」という儀式は、矢をつがえずに弓の弦を引いて音を出すことで魔除けとしたもので、平安時代ごろから行われていました。源氏物語にも出てきます。
 また「射礼(じゃらい)」という儀式は毎年正月に天皇の前で行われた弓の競技会で、古代から南北朝時代まで行われていました。この競技の的のことを「ハマ」と呼び、これを射た矢を「はま矢」と称したそうです。これがいつしか「破魔矢」となり、男児のいる家庭へ弓矢の玩具を贈る風習につな

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