「玉川小学校発祥之地」
世田谷区玉川地区で一番古い小学校
★ジャンル【学校】
★場所 世田谷区等々力3-8
★最寄駅 等々力駅
★碑文
特になし
★解説
東急大井町線等々力駅を降り、北側の世田谷区玉川総合支所前の等々力通りを西、二子玉川方面に進むと、右側のスーパー先の角、マンションアプローチ内に建っています。
玉川小学校は1874年11月20日に、第1大学区第2中学区9番小学校として創立します。大学区とか中学区とは以前にも書きましたが、明治政府が全国を機械的に区割りしたもので、大学区はこの区域内に大学を1校設置する。中学区は大学区をさらに細分して中学校を1校設置する。さらに中学区を小学区に分けて、そこに1校小学校を設置すると定めたものです。番号だけで味気ないので、その後行政区域やゆかりの名前をつけて現在のような校名になっていきます。
この学校は旧等々力村の中心地に創立しており、等々力村は1889年に周囲の村と合併して玉川村となります。玉川村役場は現在の玉川総合支所向かいにありました。合併のころには玉川小学校となっていたと思われますが、それ以前すでに、合併を先取りしてその名前になっていたかもしれません。玉川地区では一番古い学校になります。
開校当時この場所には西光寺というお寺があり、その堂宇を改造して学校にしたと、玉川小のホームページに書いてあります。ただこの西光寺というお寺は明治初期の地図にも見当たらず、地元の有力旧家が一族の菩提を弔うための邸内の堂宇だったようです。そこをまず寺子屋として提供し、学校にしたと思われます。寺は現在は近くの満願寺にまとめられたようです。
1917年には、学校は等々力通り沿いに西に200メートルほど行った現校地に移転します。
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